三曲目
【前回までのあらすじ ~Last time record~】 ~ 2.0
西の最果てに住んでいたレンカとヨシヒト、二人の姉弟は、貧しくも仲良く暮らしていた。姉は270cmを越える大魔法使いで、海女。
「歌と食は世界を救う」
大魔法使いの姉にそう教えられながら、ヨシヒトも、いつか大魔法使いに食らいつけるようになりたいと願う。
ある日、黒炎の魔王が、ヨシヒトを自分の弟であると言い、奪いにやってきた。ヨシヒトは、いずれ黒炎の魔王に代わる、ワルイコという名の魔王であると言う。
大魔法使いのレンカは、魔王の分身に騙されながらも弟を守りきった。しかし、最期の魔法が終わった後、レンカの姿はどこにも見あたらなかった。
【三曲目】 101
世界の最果て。歌の果て。
大魔法使いの歌の果て。
残ったモノは、弟と、たったひとつのベッドだけ。
世界の最果て。歌の果て。
ベッドの下には何がある。
ベッドの下には光がある。
世界の最果て。歌の果て。
残せないもの残っている。
大魔法使いの弟は、終わらぬ光に手を伸ばす。
姉と遊んだ賢者の譜面と、
大空色の幼な子と……
『絶対調理魔法 包炎の器』
―― チン♪
光も衝撃もなく、小さな鐘の音が一度だけ鳴る。
ほのかな光が消える。
家の支えがなくなったのか、本を閉じるようにパタリと倒れた。
風も凪ぎ、波の音もない。
空の星々はすべて落っこちてしまったのだろうか。
星天も隠れ、真っ暗になった世界で、ただ、ただ、産声が……。
ヨシヒトは泣いていた。姉が〝絶対〟と言ったのだ。限定された空間で、ヨシヒトの家の中のものは、全て調理されてしまったのだろう。肉が燻されるような匂いがする。
ヨシヒトは顔を上げて泣いていた。声の続く限り、息の続く限り。
肉の匂いに涎が溢れ、喉が詰まる。意識が途切れそうになり、ようやく下を向いた。
見たくもない現実が目に飛び込んでくる。目を塞げばいいのに、見ずにはいられない。見ずには、いられなかった。まるで姉の恐ろしさのように、目を逸らすことが出来なかった。
本を閉じたように崩れた家。姉と魔王らしき女が立っていた場所は、ガレキが膨らんでいる様子もない。レンカほどの巨体が残っていれば、ガレキは大きく膨らんでいるはずだ。
だが、ベッドのあった所だけ影が膨らんでいる。
かつて、地震があった時に姉が言っていたことを思い出した。
――「家は崩れても、ベッドの下は、〝絶対に安全〟なの」
ベッドの下に隠れながら、レンカの巨体でベッドが持ち上がっていたことも気にせず、姉はハッキリと言っていた。地震が怖くて泣いていたヨシヒトを、そんな言葉で慰めてくれたことを思い出した。
〝絶対に安全〟。その言葉が、ヨシヒトの涙を止めた。
『包炎の器』
左親指の爪に火を灯す。真っ暗闇の崖の上が、ほんのりと明るくなる。
寒い夜気から遮断され、ほっと大きく息を吐く。頬に残った涙を、未だ小さなおててでぐしぐしと拭った。
ボロボロの家のガレキは軽く、大人と遜色ないヨシヒトの腕力で、十分に運ぶことができる。
ガレキを片付け始めてから、月がだいぶ高く昇っていた。そろそろ日が代わった頃だろうか。
瓶詰めされた金柑のジャムが、ガレキの下から出てきた。
毎年、ヨシヒトの誕生日が近くなると用意した金柑の一部を使って、姉がジャムを作ってくれる。姉の調理魔法で出来たのだろう。まだ温もりが残っていた。
ヨシヒトは今日が自分の誕生日であることを思い出した。いつの間にか零れていた涙を、小さなおててで再び拭った。
ベッド上の敷物は燃やし尽くされたのか、何もない。しかし、不思議な事にベッドの木枠だけは焦げ跡もなく残っていた。いや、姉が〝絶対に安全〟と言っていたのだから不思議ではないのだろう。
肉の燻される匂いは、ベッドの下からする。ヨシヒトは唾をゴクリと呑みこんで、恐る恐る下を覗いた。
「なにこれ……」
ベッドの下には雲海がひろがっていた。
白い綿雲。と形容するしかない何かが、ベッドを持ち上げんとばかりに、モコモコに詰まっていた。
雲を掴む。ふわふわとしているが、雲でも綿でもない。髪の毛だった。
姉のレンカが生きているのかも。そう思ってベッドを持ち上げる。ワタ毛のモコモコの力も借りて、大きなベッドは簡単にひっくり返った。
白い綿雲の中心に、女の子がいた。
長いまつ毛が月明りに照らされ、キラキラと光っている。1mほどの小さな体に、朝凪色の服。裾から見える手足は腸詰め肉のように細い。手のひらは金柑を握り切れそうにないほど小さい。
世界で最も怖い姉とも、あの小さな女の魔王とも違う。恐ろしさの欠片もない、ふわふわな存在がそこにいた。
「姉さん、なの?」
ヨシヒトが声をかけると、眠そうに目を覚ました。小さな手足を伸ばし、大きく欠伸をしている。
「おはよ~、ヨシ君」
呼ばれた名に違和感を覚える。
「……ヨシ……くん??」
レンカであれば、「ヨシ」や「ヨシヒト」と呼ぶはずだ。
「あっ、あれっ、どうしよ~」
白雲の小女が間延びした声をあげる。モコモコな髪の上で、バタバタと手足を動かしている。
「おき……、起き上がれないよぉ~。ヨシ君、手を貸してくれる?」
「う、うん……」
ヨシヒトは釈然としないまま手を伸ばす。
白雲の小女は手を取ると、そのままヨシヒトの頭までよじ登って、肩車のように座った。白雲のように軽い。
「えっへへぇ。ありがと~」
ヨシヒトの視界が白雲の髪に覆われる。わずかな月明かりでも、青い光が元気いっぱいに散乱して、晴れ渡る大空色が広がる。真昼の月のような、二つの青白い瞳が、ヨシヒトを遥か高みから見下ろしている。
小女はヨシヒトの頭の上から顔を覗き込んでいた。
「かわいい」
ヨシヒトの口から、言霊が自然と零れる。
「えっ」
大空の一部が夕焼けに染まる。
「かわいすぎる……」
「いくらウチがかわいいからって、んもー」
頭の上で身をよじっているのがわかる。ふわふわとして心地よい。
「ウチ……?」
けれど、彼女のかわいさが、ヨシへの呼称が、「あたし」と言わない一人称が、ヨシヒトの中で一つの答えを導き出した。
「やっぱり、姉さんじゃないんだ」
ヨシヒトは振り落としたい気持ちを堪えて、頭の上の小女をガレキのない所に置いた。
「ヨシ君……」
無言でベッドやガレキを片付け始めたヨシヒトに、小女はそれ以上、声を掛けられなかった。
ベッドの下、小女が眠っていた場所には、ガルテススコアが残っていた。
円連環の描かれた板を拾い上げると、床下貯蔵庫の扉がある。肉を燻す香りが強くなった。
地震の時に姉が言っていた言葉を思い出す。「家が崩れたら、非常食、ここにあるの」とも言っていた。
姉が獲ってきた魚や、木の実を保存食にして、定期的に入れ替えていたのをヨシヒトは知っている。
膝を着き、床の金具を回して引っ張りあげる。煙がないのが不思議なほどの勲香が広がる。潮のかおり、ダシを取った後の昆布を燻材の一部にしたソレは、姉の作った燻製で間違いなかった。ヨシヒトの知らない燻材の匂いもいくつか混じっていた。
「モミジ、シラカバ、カシ、そして、サクラ」
小女が鼻をスンスンと鳴らしながら言った。小女は立っていたが、膝をついたヨシヒトと目線の高さがほぼ変わらない。
「カシ? サクラ……」
モミジやシラカバと同じ樹の名前だろうか。聞いたことのない樹。いや、サクラは姉が寝入りに聞かせてくれた話に出てきた気がする。
小女のことも気になるが、それよりも姉が残したモノの方が気になる。平たい石の蓋を、全力をこめて持ち上げる。姉のレンカは、この石も軽々と持ち上げていた。
薫風と熱。封じられていたモノが姿を現した。
【三曲目 ~A back record~】 249
世界の最果て。命の果て。
腐り落ちる運命の鎖。
鎖、断ち切るヒトの業。
世界の最果て。命の果て。
腐る運命、俎上に乗せて、
切った張ったの大立ち回り。
焼いて煮込んで蒸して干し、
蝕の呪いを食へと変える。
誰もがいずれ、食を知り、
誰もがいずれ、食と成る。
世界の最果て。命の果て。
いつも姉がうたっていた、
歌と食は世界を救う、と。
朝昼晩の三色が、音をつづりて運命を食べる。
〝焼く〟という調理法は、文明人が火を発見して得た調理法である。
〝煮る〟を覚え、毒となるアクを除き、流れ出る栄養を液体に留めた。
〝蒸す〟ことで芯まで熱が通り、更に圧力をかけ、調理時間を短縮した。
〝干す〟、生を忌避する乾燥が、腐る運命を遠ざけた。
新たな調理法を得るたび、料理にかける手間を省き、保存期間を伸ばし、栄養を逃さぬ知恵を獲得していった。
多くの動物が消化しづらい食物や、口にすべきでないモノを、調理し摂取することで、ヒトは生き延び、繁栄してきた。
消化に必要なエネルギーを代替するための調理、それはもはや、〝体外での消化作業〟と言い換えて良いだろう。
ときに、他の動植物をも調理して食に変えた。
ときに、毒を除き、ときに、毒を無害化して食に変えた。
ときに、腐ることすら利用して、発酵させて食に変えた。
ときに、身体を適応させ、土や霞すらも食に変えた。
ときに……、口にすべきでないモノすら、ヒトは食に変えた。
姉のレンカが家の外で星肉を作りながら、そんな話をしてくれた。
「調理によって、森羅万象、食に変わるの」
希少な肉を入手できたので、姉は上機嫌に笑いながら、肉を燻していた。
星明かりの下で凪風に晒し、石を動かした火花で着火、海の水泡に投げ入れた砂で燻す〝星肉〟。姉のアレンジで、ダシを取った昆布やモミジの燻材を加えている。晴れた日の磯の香りがする。
ヨシヒトは、姉の恐ろしく気色の悪い微笑みを見ながら、海藻みたいな姉の長髪が、火に触れないよう両の手で束ねていた。
木枯らしの風が、西の最果ての崖を吹き抜け、ヨシヒトの肌が泡立つ。
「ヨシ、寒いの?」
頷くと、夜昆布色の髪がうごめいて、弟を髪で作る星天に取り込んだ。
風を遮り、姉のぬくもりで温かい。
姉の髪が火に触れぬように束ねていた意味がなくなってしまったが、ヨシヒトが中に居る限り、髪は傍を離れない。そんな確信があった。
「あたしたちは、命を食べて、生きてるの」
揺れる火が、髪を通して、星空のようにキラキラと瞬いている。
「生き物は、死んだら、腐るの」
黄昏の瞳が上から現れる、ヨシヒトは星天の下で、その恐ろしさに震えた。
「腐ることも、実は小さな生き物が、食べていることなの。
食べた分、あたしたちも、食べられる。
食べて、食べられて、歴史はつづられるの」
難しいお話と思っていたが、姉が伝えたい意図がわかってきた。
「食べないと、なにもできないの。
だから、いっぱい食べて、大きくなるの。
大きくなったら、いろんなこと、できるの」
大きな大魔法使いの姉が言うのだから、その言葉は大きな説得力がある。
「僕も、姉さんみたいな大魔法使いになりたい」
「フヒヒッ、ヨシヒトなら、なれるの」
黄昏の瞳が閉じて、大きな口が夜を割る。
遥かな星天を望みながら、いつか大魔法使いレンカに食らいつきたいと、まだまだ小さなおててを伸ばした。
【三曲目 ~Aサビ~】 19
白き森のフクロウ
灰の千樹
金の雫々焼
無戴の王
七色の大魔法使い
そして、黒いカラス
現す呼葉は、天多在り
されど現在、過去、未来
時を貫く、あの今通葉
重たい石を動かして、封じられたモノが姿を現す。
それと同時に、地に円連環の魔法陣が広がる。強い魔力が風に乗って、ヨシヒトの頬を撫ぜる。
「もしかして、姉さん!?」
風の吹いた方へ振り返る。
「まさか、黒炎の魔王か?」
冷たい空気によく通る声と、強烈な殺気が、姉ではない事を示していた。
一言で表すならカラス。黒い外套と、耳あたりに短く切った黒い髪。黒い双眸が細く中性的な顔から鋭く睨んでいる。おそらくは女性。声が高くなかったら、男と思っていただろう。人間の年齢であれば姉と同じくらい、二十歳前後だろうか。背丈は160cmほどのヨシヒトとほぼ変わらない。
カラスが睨んだ対象は、白雲の小女。
小女は顔をぶんぶんと横に振った。
「レンカ……が、こんな小さいわけがないか……」
魔法陣は展開されたままだが、カラスの殺気が和らぐ。と同時に、風が凪いだ。まるで、周囲の精霊が静まり返るような雰囲気の女性だった。
「姉さんを知ってるの?」
黒い双眸がまっすぐにヨシヒトを捉える。夕焼けを捧げて黒く染まった姉の瞳のような転洞に、すべてが見透かされてしまいそうだ。
「弟か、大きくなったな」
ヨシヒトのことも知っているようだが、まったく記憶にない。
「覚えていないのも無理はない。キミはまだ赤子だったからね」
ヨシヒトの考えを見透かしたように言葉を発する。
「ケオ……、ケオ・マキアだ。君の姉とは友人、とレンカの方は思っていないかもしれないな。ところで、レンカはどこに?」
「えっと、その……」
姉の所在を聞かれ、ヨシヒトは俯いた。
「無限円連環魔法陣が見えたのだから、魔王に遅れを取ったと思えないが」
姉はおそらく、自身の絶対調理魔法によって、魔王と共に消えてしまった。信じたくはないが、姉が絶対と言うことが、絶対でないはずもない。姉の言葉を信じる気持ちと、認めたくない気持ちがぶつかりあって、涙が零れた。
「あぁ、無理に言葉にしなくて良い。だいたい把握したよ」
ケオと名乗った女性は、匂いを確かめるように鼻を鳴らし、周囲を見ながら片肘を組む。空いた手で、頬の横で指をパチン、パチンと鳴らしながら、何か考え込んでいる。
七回目の指鳴らしで、人差し指を立てた。
「なあ、ワル……、すまない、間違えた。ヨシヒトだったな」
魔王の小女が呼んでいた名をケオが言いそうになり、疑いの気持ちが湧いてきた。ケオを信じて良いのだろうか。足元の魔法陣では魔力が走り、魔法が蓄積され、高位のランクに書き換えられていくのを感じる。
ガルテススコアの要素自体は実戦に似たものだが、円連環の魔法陣を実戦で展開することは、姉を除いて一般的ではない。なぜなら、円連環魔法陣は1000年前の旧式であるため、各ランクのLv.1しか使用できず、高位の魔法に膨大な手数が掛かるなど、多くの制限を課せられる。
レンカ以外の魔法使いはよく知らないが、魔王も円連環の魔法陣は使っていなかった。ケオは、おそらく普通の魔法使いではない。
「なあ、ヨシヒト。大魔法使いにならないか?」
「言われなくても、いつか大魔法使いに食らいついてみせる」
睨みつけるヨシヒトをよそに、ケオはニヤリと笑った。
「では、ヨシヒトが二十歳になる頃、北の最果てまで来い。七年後、私はそこで待っている」
「なぜ?」
ヨシヒトは警戒を強める。
「レンカも、黒炎の魔王も居ないのなら、今は私が〝大魔法使い〟だ。私に食らいつけるようになりたい、のだろう?」
「別に、お前に食らいつきたいわけじゃ……ない」
嫌な考えがよぎって、言葉に詰まる。
「まだ認めたくないが、姉がいないなら大魔法使いになる意味はあるのか、と考えているな?」
「っ⁉」
状況も思考も全て、このカラスに見透かされているようだ。
「大魔法使いになれば、君の姉も取り戻せる」
「本当に⁉」
「ああ。大魔法使いになれば、何でも一つだけ願いが叶う。事象の限度はあるが、君なら叶えられるだろうね」
ヨシヒトは歯噛みする。
「だったら……」
感情まかせに言いかけた言葉を引っ込めた。
「大魔法使いになったばかりの私に『僕の姉を元に戻して欲しい』とでも言うつもりだったかい? 残念ながら、私にそれはできない。だが、君は安易に他人の願いを奪おうとはしなかった。とても利口なようだ」
大魔法使いが近づき、手を伸ばす。一瞬、身構えた。が、ケオに恐ろしさを感じ、その恐ろしさゆえに触れられることを許してしまった。
それが間違いだった。
大魔法使いに頭を撫でられる。と同時に視界がグラついて、頬が地に着いていた。首から下に強烈な悪寒が走って、意識が遠のいていく。
「利口だが、見知らぬ他人に、簡単に隙を見せてはいけないよ」
反撃のため立ち上がろうとしたが、手足が動かない。
凍り付いてしまったように寒い。視野が黒く染まっていく。
最期に見上げた視界の隅で、小女が「ヨシ君!」と何度も叫んでいた。
【三曲目 ~Bメロ~】 19
真っ暗闇の中で、歌が聞こえる。
雨音のような小さな声。
いくつも輪唱し、九十九折りに重なり、百折不撓につづられる。
絶対に諦めない想いを感じる。諦めなければ、姉さんを取り戻せるのだろうか。
……家が崩れて、気持ちも一緒に崩れてしまった。
…………どうしてすぐに諦めてしまったのだろう。
姉さんの言うことが絶対だったとして、それを受け入れたくない想いも、諦めない想いも、同時に在って良いはずだ。何も悪いことではない。
姉のレンカの瞳のように、姉の綴る連歌のように、千紫万紅で良いはずだ。
何も……、ワルイコとではない。
雨音の声に、太鼓の音が混じる。太古から綴られ続ける太鼓の音。それは強く、儚く、命の果てまで止まらない。
雨音が止む。世界は千変万花に変わり続ける。暗闇の切れ間から、光が広がる。青空が広がる。七色の虹の果て。世界の最果てから、姉がこちらを、ただ、ただ、見てくれている。
姉が見ていてくれたから、僕は……。
姉が見ていてくれるなら、俺は……。
ヨシヒトは目を醒ます。どこかの家、見覚えはあるが、ボロボロの自分の家ではない。ベッドの上で、あたたかい布団を掛けられていることがわかる。
「ヨシ君。気が付いたんだね」
小女がヨシヒトの手を掴み、祈るように握っている。笑うでも泣くでも、驚くでもなく、慈しむように、ただ、ただ、ありのままにヨシヒトを見ていた。
「ここは? ケオという女は? 何がどうなって……」
「い、いっぺんに説明は無理だよ~」
ようやく小女の表情が変わる。困り顔で笑っている。
――コンコン♪
部屋の戸が叩かれる。
返事を待たずに、村の男が一人、部屋に入ってきた。金柑を毎年もってきてくれる人間だ。
「ヨシヒトは、起きたようだな」
彼の名はトレイド。村の交易を主に任されている三十歳を過ぎた頃合いの痩せた男だ。日に焼けた浅黒い顔で彼は微笑んだ。
「ここは金柑オジサンの家だよ。ヨシ君をここで介抱してくれたの」
「あ、ありがとうございます」
身体を起こそうとしたが、頭痛が走り、再びベッドに身体を沈めた。
「無理しなくていい。いまはゆっくり休みなさい。食欲はあるか?」
空腹を意識すると、大きな腹の音が鳴った。姉、レンカの帰りを待っていた時から、ご飯を食べるのを我慢していたのを思い出した。
「はっはっは。その調子ならすぐ回復するだろう。食べられる物を用意しよう」
そう言って、金柑オジサンは部屋を出て行った。
「ケオは……、俺はアイツに何をされたんだ?」
「…………」
小女はヨシヒトの顔を見ながら驚いているようで、返事ができないでいた。
ヨシヒトは、再び小女に呼びかけようとしたが、まだ名前も聞いていないことを思い出した。
「えっと、名前は?」
名を聞かれ、泳がせていた目を止める。花が咲いたように笑顔になって、ふわふわな白雲の髪が波打った。
「カレン・ポートロック」
「今更だけど、いったい何者? どうして俺の名前を知っているの?」
「俺……」
またカレンが驚いていた。どうやら、ヨシヒト自身の呼称が変わったことが気になっているようだ。その変化に気づけるほど、カレンはヨシヒトを知っているのだろうか。
「カレン?」
呼ばれた小女はハッとしてまた笑顔になる。でもすぐに、プクーと頬を膨らませた。かわいらしい表情が千変万化するのは、少しドキドキする。
「ウチはヨシ君より年上だよ~。呼び捨てはお姉ちゃん許しません。カレンお姉ちゃんって呼んで~?」
カレンは小さな体を楽しそうに揺らし、白雲の髪がゆらゆらと揺れている。幼い容姿に小さな体、とても年上には見えない。それに、なにより……、
「こんなにかわいい女の子が姉であるはずがない」
姉というのは恐ろしい存在なのだ。
「か、かわい……」
カレンは火が出そうなくらい顔を紅くしていた。
結局、カレンの正体はよくわからないが、敵意はないことはわかる。とりあえず状況を知りたかった。
「で、ケオはどこに行った? 俺は何をされた?」
「えーと、何の魔法かわからないけど、気絶させられたの。ヨシ君がやられたと思って怒ったら、逃げて行っちゃった」
「は? 逃げた?」
「そ、そうだよ~。お姉ちゃんは大魔法使いなんだから。きっと、ウチに恐れをなして逃げていったのね」
「ちょっと待って。どこからツッコミしていいか、わからない」
頭痛が酷くなったのは気のせいだろう。カレンが大魔法使いという狂言は無視するとして、今、ケオがここに居ないのは違いない。「二十歳になる頃、北の最果てまで来い」という言葉から、ヨシヒトを殺すつもりはなかったのだろう。でも、気絶させた目的がまったくわからない。
また腹の音が鳴る。どのくらい食べていなかったのだろう。
「……俺が気絶してから、どれくらい経った?」
「丸一日と少し、今は翌日の朝だよ」
「マズい……貯蔵庫が……」
まだ残る頭痛を振り払い、ヨシヒトは部屋を飛び出した。
ちょうど戸の向こうで食事を持ってきたオジサンとぶつかり、器の中身が零れてしまった。
「おい、どうした? どこへ行く?」
男はぶつかったことも、器の中身が零れたことも気にせず、ヨシヒトを心配する。
「家の様子を、見て来ます」
朝日を背に村を走る。所々、軒先の屋根が削れていたり、壁に飛沫状の穴が空いていたりしている。姉と魔王が戦っていた痕跡が残っていた。
西の最果て、海岸沿いの高い崖の上。そこにはやはり、家は無い。
片付けたガレキの山を回り込む。ベッド下の木戸は開いていたが、貯蔵庫の重たい石蓋は閉ざされていた。カレンが閉じたとは思えない。オジサンが蓋を戻してくれたのだろうか。後でまたお礼をしなければ。
再び石を動かす。貯蔵庫の中身が亡くなっている様子はなく、一安心した。
「良かった」
中身を整理し、レンカに教わった通り、比較的、腐りやすいモノだけ取り出す。床に座り、腹の音に従い、一心不乱に食らいついた。
「おいしい。おいしい」
遺された料理は、今まで食べてきた何よりも美味しかった。
「おいしかった……」
いっそ全て食らいつくしたい程にお腹はすいていたが、残さなければきっと後悔してしまうだろう。物足りなさを感じながらも、貯蔵庫の蓋を閉じた。
頭痛が静まり、走ってきた疲れが吹き飛んだ。身体が軽くなり、頭も回り始める。いまなら大魔法使いにすら成れそうだ。
『中級 連火 Lv.1』
ガレキに火を点ける。小さな火がいくつも灯り、手を取り合って環を連ねる。小さな火が、やがて大きな炎に変わる。
炎にあたり、身体を温めながら、西の海を見つめる。夜が水平線の向こうに遠ざかっていくのが見えた。
「ラララ ーラー ラーー ラララ ラーー ーーラ ラーラ ラーラ
ラーー -ラー -ラー ラーラ ーーラ ラーー」
姉が『俎上の運命』で調理をする時に、歌っていた詩を唱える。
「ラララ ーラー ラーー ラララ ラーー ーーラ ラーラ ラーラ
ラーー -ラー -ラー ラーラ ーーラ ラーー」
いつのまにか、隣にカレンがいて、輪唱のように歌いだした。
二人で一つの料理の詩は、海と空にとけていった。
【三曲目 ~Bサビ~】 13
歌が終わる。波風の音も凪いだ。
火花が弾ける音だけが、パチパチと拍手を二人に送る。
「なあ、カレン」
隣に座る小女に呼びかける。
小さな顔から伸びる長いまつ毛が大きく開く。丸い目が、揺らめく炎と少年を映した。
「カレンは、大魔法使いなのか?」
ヨシヒトは、小女について思い当たることがあった。さっきの狂言が本当なのかを確かめなければならない。
小女はまつ毛を閉じながら頷いた。
「私の願いは、たぶんもう叶ってしまったから、ヨシ君の願いには使えないの。ごめんね」
「いや、そんなつもりで聞いたわけじゃない。もちろん、カレンの願いを奪うつもりはないよ」
「ヨシ君は良い子だね~」
小女が少年の頭を撫でようと、手を伸ばすが届かない。立ち上がって、ヨシヒトの砂色の髪を撫でた。白雲の髪から、花畑に吹く風のにおいがした。
「俺と付き合って欲しい」
「ふぇ?」
ヨシヒトの鋭い猫目が、小女を射貫いた。
「賢者の譜面をしてほしい」
「あ~、そ~、付き合ってって、そ~ゆ~ことね!」
カレンの紅白に変わる顔を見ながら、ヨシヒトが首を傾げた。
「その誘い方、ウチ以外にはしないでね?」
「ん? わかった」
ベットの下に在った賢者の譜面は駒もすべて無事に残っていた。
焚火の炎だけが、二人の遊戯を見ている。
「遊んでても大丈夫なの? 身体の方はなんともなぁい?」
「あぁ。食事を摂って、絶好調なくらいだ」
もしもレンカがここに居たら、今なら少しは食らいつけるんじゃないかと思う程、本当に調子が良い。
「それでも、起きたばかりなんだから、歌も、身振り手振りも、しなくていいからね~?」
駒を置き、円連環の描かれたボードに魔力を流す。
特にルールを擦り合わせてはいない。それでも、いつもどおりにゲームを始める。ヨシヒトの方がハンディキャップで体力を三倍に設定するのも、いつも通りだ。
「ヨシ君……、ウチね……」
ゲームを進めながら、カレンが話し始める。
「昨日より前の、ウチの記憶がないの」
「ああ」
火属性の円陣をランクアップしながら、ヨシヒトは返事をした。
「カレン・ポートロックという名前しかわからない。でも、ヨシ君が赤ちゃんの頃から、ずっと大切な存在だってことは、なぜか知ってるの」
「ああ」
小女はヨシヒトの名も、「俺」と言ったことがなかったことも知っていた。ガルテススコアを、歌と身振り手振りで操作していたことも知っていた。多様なローカルルールも確認せず、ハンディキャップを付けるのも、当たり前のようにゲームを始めた。
「おっとと……」
ボードの端に触れようとして、たまに全く届いていない時がある。ヨシヒトの頭を撫でるときも、手足の長さに感覚とズレがあるようだった。
「ヨシ君が、ケオに『いつか大魔法使いに食らいついてみせる』と言ったとき、『絶対に見届けなきゃ』って思ったの」
「ああ」
ヨシヒトの火の魔法陣が、カレンの体力を残り1つまで減らした。
次のターンで勝負が決まる。
「ヨシの、お姉ちゃんに、なりたいの」
姉の言葉足らずな二言三言でも、弟にその意図は伝わる。
「ああ」
肉を切らせて骨を断つ。
攻撃を誘われていたヨシヒトの駒に、六属性混合の魔法陣が重なる。強烈な反撃によって、まだ多く残っていた体力が一息に0にされてしまった。
「ふふふ、やっぱり願いが、ふたつとも叶ってた~」
恐ろしさの欠片もなく笑いながら、カレンは姉の称号を得たのだった。
「ふたつ? 大魔法使いが叶えられる願いは、ひとつじゃないのか?」
駒を片付けながら、ヨシヒトは問いかける。まだたしかめたいことが残されている。
「ひとつは、ヨシ君が大魔法使いになるまで見届けられるよう、お姉ちゃんになりたいってこと。もうひとつは~、えーと、やっぱり秘密でいい?」
カレンが自分の駒を拾い上げようとする左手を、ヨシヒトは掴んだ。
「もうひとつは、俺が生き返ることじゃないか?」
カレンの左腕の裾をめくる。筋が捻じれ、体表に形が浮かび上がっている。
『腕に縁りを掛けた』痕が残っていた。
「ケオに首を落とされた。違うか?」
頬を地に着いた時、手足が動かなかったのではない。その時、すでに身体が繋がっていなかったのだ。
「さすが、ヨシ君はかしこいね~」
「カレンは大魔法使いじゃない」
掴んだ細い腕から力が抜ける。
「ケオに殺されてから、夢を見ていた。目醒める前に、レンカ姉さんがまだ見ていてくれていることに気が付いた。カレンはきっと、姉さんが亡くした夕焼けを……瞳を『肩代わり』している。姉さんの記憶が混じっているのは、きっとそれが理由なんだ」
こんなにかわいい女の子が姉であるはずがない。
それに、姉さんはまだ遺っている。別の存在でありながら、レンカの記憶が混じっている理由は、他に考えられない。
「俺が大魔法使いになるまで見届けられるように願ったのは、きっと大魔法使いレンカが遺した願い。俺を生き返らせてくれたのは、カレンの魔法だ。どちらもカレンの願いが叶えられた結果ではないんだよ」
「そんなはずは……」
縁れた腕の筋を、少年らしからぬ大きな手が、姉のレンカと比べてまだまだ小さなおててが撫でる。
「本当に大魔法使いなら、俺が殺される前にケオを止められた。姉さんなら絶対に止めている。カレンを責めているわけじゃない。むしろ、とても、とても感謝している。諦めないで歌い続けていたのを、眠りながらずっと聞いていた。ありがとう」
カレンの顔が「かわいい」と言われた時より紅くなる。
「歌、聞かれてたんだね~」
「かわいいカレンは、恐ろしいレンカ姉さんとは別の存在。経緯はわからないけど、きっと巻き込まれただけだ」
燃えているガレキが灰となって崩れ、大きな火花を鳴らした。
「うん」
「でも、見ていて欲しい。姉さんの記憶に縛られて、姉にならなくてもいい。カレンを通して、レンカ姉さんが見ていてくれるなら、俺は……大魔法使いになれる」
砂虎色の猫目がせいいっぱいに、上に伸びる。
「もちろんだよ。ウチがお姉ちゃんになっていいと許してくれたのは、ヨシ君だもの。弟が求めるのなら、いつでも姉は後ろで見守るものだからね」
大空色の瞳が、ただ、ただ、見ていてくれていた。
【三曲目 ~F転調イントロ~】 31.5 14.5
ヨシヒトとカレンが姉弟の契りを結んでから、六年以上の時が過ぎた。
二人は、北の果てで待つという大魔法使いケオに会うため、村を出る。弟は一度、ケオに首を落とされている。それでも会いに行く理由は、ケオを超えて大魔法使いになるため。身長1mのかわいくて小さな姉が見守る、2m近い大きな弟が大魔法使いへと至る大冒険が、いま……
「――始まるのであった! パチパチパチ~♪」
カレンが弟に肩車されながら、一人で盛り上がりながら拍手をしている。
「前が見えない」
カレンが身体を揺らすと、白雲の髪がふわふわとヨシヒトの視界を遮る。
「んもー、ノリが悪いよ~」
「それより、道はまっすぐでいいのか? 南寄りに向かっている気がするんだが」
日の高さと方向を見ながら、ヨシヒトは岩を大股で乗り越える。
「出発するときに説明したのに、聞いてなかったの~?」
ふわふわとした声が弟をたしなめるが、まるで恐くない。
西の最果ての村は、西の海より他方を山に囲まれた陸の孤島。
『白砂の直渓』と呼ばれる白い岩石帯が、険しい山をかち割るように大陸の中心へ向かって伸びている。この『白砂の直渓』を通るのが、村を出る最も安全なルートだった。
「白砂の直渓がやや南寄りに伸びているから、北寄りに進めないんだよ~」
「だが、もう山は越えただろう? このままじゃ北に向かえない」
「まずは、もっとも近い街に寄るって事も話したよ~?」
「そうだったか?」
背丈もあり、ガタイも良いヨシヒトは、姉を肩車したまま岩石帯の悪路をものともせず進んでいく。
「昔はかしこい子だったはずなのに、魔法以外は脳みそ筋肉になっちゃった……。脳筋になっても、お姉ちゃんは絶対に見捨てないからね」
「いますぐ、その脳筋の肩から降ろしてもいいんだぞ」
「お姉ちゃんを置いていったら、ヨシ君が大魔法使いになるのを見届けられなくなるよ~?」
ふたりでひとつの願いは、姉弟の契りを結んで六年経っても変わらない。
「弟が求めるなら、いつでも姉は弟の後ろにいるのが姉スキル、だろ?」
「そーだけど~。ウチは大魔法使いじゃないから、限度があるよ~」
やかましくもふわふわとしたやりとりをしていると、景色は渓谷から、なだらかな扇状地となり、白砂の道の北側に小さな街が見えてきた。
白砂の直渓は水が流れている場所も多く、山がなければ扇状地帯が広がる。幅は馬車が余裕で行き来できるほどあり、山や内海も越え、ほぼ均一に続いている。これを道として利用しない手はない。街より向こうは、白砂の道に人の手が加わり整備されている。道に沿って、宿場や街が在るのは珍しくなかった。
西の最果てからもっとも近い街。
約十九年前、食糧難により全滅寸前だった西の最果て村に、七歳の少女だったレンカが赤子だったヨシヒトを抱えて来た。そして、海女と大魔法使いの力で、村人たちを救った。村の女子供はこの街に避難し、いまも多くが定住している。
街は柵で囲われている。この辺りは魔物や害獣が少ないため、簡易な柵で事足りる。所々にヒトが通るためⅤ字の隙間が空いている。羊が柵の内側から出ようとして、Ⅴ字の空間に引っかかっていた。人間や魔族、猫などは跨いで通れるが、四足歩行の羊などは身体が引っかかって柵を越えられないようだ。外からの侵入より、家畜を逃がさない用途が主なようだ。
「羊肉、久しく食べてないな」
ヨシヒトが表情を変えずに恐ろしいことを言う。
「他人様の家畜だよ? 勝手に食べたらダメなんだからね?」
肩車から降りたカレンが、下の方で白い頬を二つ、餅のようにプクーと膨らませている。レンカ姉さんが「北方には雪見対福、白くて丸い、氷菓子があるの」と昔、教えてくれたのを思い出した。対という名の通り、ふたつでひとつの料理であり、片方だけ奪うと大変なことになるそうだ。
「わかってる」
北の果てへ向かうなら、雪見対福に食らいつける機会があるかもしれない。ヨシヒトは溢れる食欲を抑えながら、口の端の涎を拭った。下から青白い目がジットリと見ているのは気のせいだろう。
二人は柵を跨いで(カレンは髪をひっかけヨシヒトに助けられ)、草原の先に見える市街地へと向かう。小さな牧場のようで、十頭ほどの羊たちを横目に見ながら歩く。すぐに三十件ほどの家や建物が並ぶ市街地にやってきた。
「どうするんだ?」
「金柑オジサンの奥さんがね~。私たちの旅の準備をして待ってるの。だから、この街に寄る必要があったんだよ~」
「そうだった……な」
「やっぱり、忘れてたでしょ。ほとんど手ぶらで、北の果てまでは行けないんだから~」
金柑オジサンが教えてくれた家はすぐに見つかった。三人ほどが住めそうな小さな建物。屋根は伸びておらず、四角く白い簡素な家だ。
家の横には小さな畑があり、魔族の女性が草むしりをしていた。
二人に気が付くと、頭にある短い角を拭いて、おじぎをした。
「山越え、ご苦労だったねぇ。さぁさ、家に入んなさい」
背筋も伸びて、若々しい姿だが、所作や言葉遣いから見た目より長い時間を生きているのが感じられる。魔族は人間と比べ、寿命が長く、老化が遅い。
「トレイドから聞いてはいたが、本当に大きくなってるねぇ」
金柑オジサンの名前だ。話に気を取られたヨシヒトは、玄関をくぐる時に頭をぶつけた。
「赤子ん時はこぉんな小さかったのに、やっぱレンカさんの弟なんだなぁ。そっちのかわいい子が、カレンちゃんかい?」
「はい、お世話になります」
白雲の髪が床につくほど、カレンは頭を下げた。
「旦那から聞いていると思うが、わたしゃ、エイド・グラントだ。一晩だけだが、あんたらを手伝わせておくれ」
彼女はまた角を拭き、小さくおじぎをした。
「あ、ああ……。ありがとう」
カレンの目が「やっぱり聞いてなかったでしょ?」と言っている。
「一晩? すぐに出発するんじゃないのか?」
カレンの目が再び「やっぱり聞いてなかったでしょ?」と言っている。
「あらまぁ、お急ぎかい? ならすぐに用意しないとだねぇ」
「脳筋のヨシ君が、出発前に説明したことを何ひとぉつ聞いてなかっただけなので、気にしないでください……」
エイドが部屋を出ていった。準備してあるものを持ってくるようだ。西の最果てではまともな準備ができないので、トレイドを頼って物の準備をお願いしてあったのだ。
エイドが戻ってくるのを待っている間。部屋の壁に絵が何枚も掛けられているのに気が付く。
子供が描いたと思われる少し古びた絵。ヒトや動物と風景を描いた絵などがある。トレイドとエイドの肖像画が真ん中あたりに飾られていた。
「息子の絵だよ」
大小2つの背負い鞄を持ってきたエイドが言った。
「お上手だね~」
「上手なもんかい。絵なんて贅沢もんの暇つぶしだ。レンカさんに救われた命だのに、息子は当時、ヨシヒトくんと同じくらいの赤子だったから、救われた実感がない。旦那が一生懸命に西の最果てから交易をしている間、あの子は絵を描いていたんだ。ついには「神絵師になる」と言って家を出て行ったよ」
愚痴りながらも、エイドは絵が傾いているのを直していた。
「息子は、人間と魔族の混血だ……。レンカさんの恐ろしさを知るこの街では、魔族と人間の確執はなくなったがねぇ。他所で混血がバレれば、無事じゃあ済まないだろう」
「……ん」
ヨシヒトが何かを言いかけて、言葉にできず口をつぐんだ。
「よけいな話をしちまったねぇ。まだ用意してあるものがあるんだ。鞄の中身を確認しながら待っていておくれ」
鞄の中には、寝袋や簡易天幕、羊毛で作られた防寒具。地図。方位磁石、金属の器や先割れ匙など、遠い街で作られる貴重な物もいくつかあった。
「ブーツを持ってきたよ。サイズは……やっぱりキツいね」
エイドが手際よくヨシヒトにブーツを履かせ、すぐに脱がせて奥へと消え、またすぐに戻ってきた。
「旦那に言われた通り、ひとまわり大きいブーツも用意しておいてよかったよぉ。成長が早すぎるんだ」
「す、すまない」
また手際よくブーツを履かせていく。ヨシヒトはされるがままだった。
「謝る事ないさ。大きくなるのは良いことだ。ほぅら、バッチリだ。カレンちゃんは聞いてたサイズでぴったりだね」
子供サイズの厚底ブーツは需要が少ない。これも遠い街でわざわざ作ってもらったものだろう。
「はい。匙や方位磁石、お願いしていた物以外に、貴重なものまで用意してくれてありがとうございます」
「恩人の弟さんの門出だ。出来ん限りのことはさせてもらうさ。レンカさんに救われなかったら、物を用意する余裕もなかったさ」
「…………ん」
「ほら、ヨシ君もお礼しないと」
「いいよいいよぉ。礼はこっちがしたいくらいだよ。それより、方位磁石と地図の見方を教えようね」
「あ、ウチが聞きま~す」
エイドがカレンに道具の使い方を教えているのを聞きながら、ヨシヒトは広げた寝袋などを片付けていた。
「……地図は北の白い森までしかない。魔狼が多く住み、ヒトが踏み入れん場所だから、それより北の地図が入手できんかったと、トレイドが言っていたよ」
「十分ですよ~。方位磁石があれば、白い森からひたすら北の果てをめざせるもの」
「白い森の付近からは常冬更夜の地だ。こっちが用意した防寒着も、どこまで役に立つかわからない。北に行くほど、野宿すれば凍え死ぬ危険がある。他所の土地に行ったら、その土地の物や知恵を頼るんだ」
「はえ~。西の最果ての田舎者には無い考えだよ。さすがです」
「ははは、旦那の入れ知恵だよ」
ヨシヒトが荷物の収納に何度も梃子擂りながら、ようやく仕舞い込むことができた。エイドが持ってきた時より鞄が膨らんでいるのは気のせいだろう。
――ぎゅるるる~♪
大きなお腹の音で、女性二人が振り返った。
「そろそろ夕飯にしようか」
「あ、ありがとう」
普段はカレンに腹の音を聞かせても何ともないヨシヒトが、珍しく照れているのを、カレンはニヤニヤしながら見ていた。
「今夜はフンパツして、羊肉の鉄板焼きだ。家の畑の野菜も、大盤振る舞いだよ!」
「エイド、ありがとう!!」
「うわ、声デッカ……」
明日からの旅路に、期待と不安を千紫万紅に混ぜながら、楽しい夜が更けていった。
【三曲目 ~F歌い出し~】 11
エイドの家に泊まり、夜が明けた。
鞄を背負い、外套をまとった二人がグラント家の玄関を出る。
今度は頭をぶつけないようにヨシヒトは腰を折って戸口をくぐる。
頭をあげようとした所で、エイドが何かをかぶせた。
「大魔法使いになるなら、それらしい帽子は必要だろう?」
頭に載せられたものを手に取る。
レンカの髪色と同じ、夜昆布色の三角帽子。ツバの内側には、蓄光色の糸で星々の刺繍がされていた。
深くかぶると、ツバの内側に星天が見えた。
「ありがと……」
カレンよりも小さな感謝の声でも、魔族の耳にはしっかり届いていて、エイドは満足げに笑った。
唇が震える。背の低いエイドやカレンにも目元が見えないくらい、ツバを引いて更に深くかぶりなおした。
エイドがさらに、お守りを二つ、二人に渡した。
「ついでに作ったお守りだ。持って行っておくれ」
蓄光色の糸で平行線がいくつもの三角形を描く、それが六つの頂点を持つ星形を作り、星が無限に続いている。円連環に似た紋様だ。
「厳しい旅になるんだろ。荷物になるんなら捨てていい。お守りがぁなくたって、わたしゃ、トレイドも二人の無事を祈っているさ」
ヨシヒトが、ずっと言い出せなかった口を開く。
「息子の名は?」
「……? プロモートっていうんだ」
言葉足らずの質問を、トレイドは察して答えた。
「息子の、プロモートの無事は祈っているか?」
ずっと目を見て話していたトレイドが、南の空を向いて指先で角を掻く。
「わたしらの反対も聞かずに「神絵師になる」と言って出て行ったきり、音沙汰もない。混血がバレて、とっくのとうにおっ死んでるさ。絵なんていう、〟贅沢もんの暇つぶし〟に手を出したバチがあたったんだろ」
「レンカ姉さんはきっと、みんなに〝贅沢もんの暇つぶし〟をしてほしかった……んだと思う。うまく言えないけど」
ヨシヒトはツバを持ち上げ、星天の下で何度も言おうとして言えなかった言葉を練り上げる。
「姉さんがある日、家に絵を持ち帰ってきたんだ。レンカ姉さんが描かれた絵だ。姉さんが「よく描けてるの」「ヨシと同じ歳の子が描いたの」と興奮気味に言っていて、とて……、ちょっと嫉妬をしたからよく覚えている」
「……まさか」
「俺も昨日まで、誰が描いたか知らなかった。プロモートの描いた絵に違いない。その絵は、家が崩れて破れていたから、一緒に燃やしてしまった。すまない」
「いいよぉ」
エイドが膝をつく。
「プロモートは、姉さんに救われたことを感謝していた。レンカ姉さんは一生懸命に働いていたけど、それは〝贅沢もんの暇つぶし〟ができるくらい、みんなに余裕を持って欲しかったからじゃあないか? エイドが文句を言いながらも、ホコリもかぶせず絵を大事にしているのを見て思ったんだ。エイドも、トレイドも、一生懸命に働いてきたのは、きっと……」
「そこから先はわたしに言わせておくれ。そうさ。息子には好きなだけ描かせてやりたかった。とはいえ、画材なんてホイホイ入手できる環境でもないし、余裕もなかった。周りも生活が苦しい中で、一生懸命に労働もせず絵を描かせることに羞恥すら感じていた。だから、キツい言葉を使って反対していた。そんな親の情けない考えも子供にはわかるんだろう。嫌気が差して出て行っちまったのさ」
「俺は大魔法使いに食らいついてみせる。そのつもりで、ずっと修行をしてきた。もちろん、そのほとんどが労働と呼べるものではない」
「それは……大魔法使いの力は人の役に立てることもできるだろう?」
「神絵師、は初めて聞いた言葉だが、大魔法使いと同じくらいすごい、そんな絵が描けるのだろう? 姉さんが喜んだように、たくさんの人に感動を与えられるはず。嫌気が差して出て行ったはずない。エイドとトレイドの肖像画は、他のどの絵より、〝魔力〟がこもり続けている。姉さんの肖像画より感謝に溢れている。プロモートは生きていて、両親に感謝し続けている証拠だ」
エイドが四つん這いになる。地面が濡れて点を描いていく。
「息子の、プロモートの無事は祈っているか?」
質問の答えをまだもらっていない。大魔法使いを目指す大男は、もう一度、問いかけた。
「ああ、もちろんだ。片時も忘れたことはない」
「プロモートに会えたら、このお守りをひとつ渡すよ」
ヨシヒトが膝立ちになり、涙を受け止めるように手を差し伸べる。
「お願いするよ、大魔法使いさん。わたしも、トレイドも、遠くから見守っている、と伝えてくれ」
手を取って、エイドが立ち直る。
見守る想いを伝えるだけで、きっと神絵師になれるほど力が沸くだろう。
「任された」
ヨシヒトも立ち上がり、踵を返して歩き出す。
カレンが何度もお辞儀をしながら、ヨシヒトを追いかける。
ヨシヒトが、帽子のツバを引きながら横を向いて立ち止まった。
「エイド。この帽子、本当に感動した。絵をもらったレンカ姉さんも、きっと同じ感動を味わったはずだ。羊肉よりも、最高に美味だった」
創ったものが人に感動を与える才は、きっとエイドからプロモートに受け継がれたものなのだろう。
「身体を冷やさんようにね。大魔法使いさん」
大魔法使い(予定)は、ツバから離した手を振り、昇る陽に向かって歩き出した。
【三曲目 ~採点発表~】 15
「十五点~」
街を離れて歩きながら、カレンが言った。
「は?」
「まず、年上を呼び捨てにしない。エイドさんでしょ、エイド『さん』。あと、最後のキザなセリフなに? 「羊肉より、最高に美味だった」? 羊肉をサゲるな。羊さんに謝れ! 生意気だよ~、カッコつけて、この愚弟は」
カレンの頬の雪見対福がプクーと膨れている。いつもやかましいカレンが、珍しく静かだったのを不思議に思っていたが、どうやら言うのを貯め込み、煮詰めていたようだ。
「あと、旦那さんの事。トレイドさんを十九年以上、家族と長い時間、引き離してしまったことを謝って、お礼をするって。今朝の出発前にも話したよ? 。プロモートさんが出て行った一因も、もしかするとウチらが係わっていたかもしれない。エイドさんは色々と恥じていたけど、ウチも恥ずかしかったわ。あの話の流れで最後まで言い出せなかったよ? ここが最大の減点だね~」
レンカが西の最果て村に現れた約十九年前、白砂の直渓から村人全員を避難させるはずだった。しかし、レンカが赤子のヨシヒトと、村に残ろうとしたので、男たちが村を維持するために一緒に残ったのだ。ヨシヒトとカレンの二人になった後も、様々な理由から村に残ったため、男たちはずっと、家族と住む場所を離れ、村を支えてきてくれたのだった。
「ぐ、それなら、街の他の人にも言ってないじゃないか」
「誰かさんが、羊肉に満足して寝ちゃった後に、ウチが街をめぐって、ちゃ~んとお話しして来たんだよ~。ほら」
レンカが振り返ると、街の柵のところで、たくさんの人間や魔族が並んでいた。振り返ったことに気づいて、みな手を振ったり、お辞儀をしていた。
ヨシヒトも軽く手を上げて応え……
――ごすっ♪
「ちゃんと頭を下げろ~。遠くて見えんだろ~。デカい身体をイカせ~」
脛をブーツで蹴とばされ、深く頭を下げた。
「ぐぬぅ……」
カレンが蹴り飛ばした脛を「痛いの痛いの飛んでけ」と撫でた。魔法をするくらいなら、始めから蹴らないで欲しかった。
「まぁでも、大魔法使いになるための修行といいながら、海女に負けないくらい素潜りで漁をしたり、壊れた村の建物を直したり、なんだかんだ皆のために頑張ってたこと。カレンお姉ちゃんは見ていましたし~。離れている家族の人たちも、みんなヨシ君の頑張りを村の人から聞いてて、認めてた。ここは点数あげてもいいかな~」
カレンも居並ぶ人々に手を振り、頭を下げながら言った。
「十五点ってまさか、この六年間の採点か?」
「そうだよ~。大魔法使いさんと呼ばれるには、まだまだ早いよ」
「厳しすぎないか」
おそらく百点が満点だろう。この辛口評価なら、千天万天かもしれない。
ヨシヒトは頭をさげたまま、うなだれるように踵を返した。
「ねぇねぇ~? プロモートさんが過去に描いた絵から、生きているかどうかを魔力だけでわかったの? いつのまにそんなことできるように?」
「いや、ただ何となくそう思っ……」
――ごすっ♪
「なんて無責任なこと言ってるのよ~」
またブーツで脛を蹴とばした。エイドはカレンにとんでもない武器を与えてしまったようだ。
「最後まで聞いてくれ。絵には無知だが、あの肖像画を見て、こめられたチカラを感じて、両親に感謝してると思ったのは本当だ。エイド……さんの無事を祈ってる強い想いも、魔力よりハッキリわかったんだ。あんなに強く思われているのが、無意識であっても伝わっていないはずがない。俺がレンカ姉さんの想いを感じて、大魔法使いを目指し続けているように、プロモートも、神絵師を目指し続けているはずなんだ」
「けっきょく、ただ何となくそう思ったことに変わりないじゃないの~」
「違うのだ」
「んもー、加点してあげようと思ったのに」
カレンが腕を組みながら、また雪見対福を膨らます。
(でも、想いが魔力よりハッキリわかった……? ただの狂言だよね)
「ヨシ君。最後にもう1つ、減点ポイントを教えるね~」
「褒めてくれ。俺は褒められて伸びるタイプなんだ」
カレンが足元を指さす。整備された白い道がある。
「ヨシ君、東に歩き出してる」
目指すのは北の果て、白砂の直渓を進む理由はもうなかった。
「早く言ってくれ。いますぐ北に進路を……」
「生意気でカッコつけ~なヨシ君。みんながまだ見えている間に、進路を変えたらカッコ悪いんじゃない~? もういいよ。北向きの大きな街道まで出るルートの方が良いかもしれないし」
「ぐぬぅ~」
大人顔負けの大きな身体で、子供のように悔しがる。必死に背伸びした態度を取るのは、早く大魔法使いになりたい焦りに他ならない。
「やっぱり十五点だね~。ほら、早く行こう? 肩車して、連れてって?」
「くっそー。北の果てで待ってろよ。ケオ・マキア!!」
三角帽子をカレンにかぶせ、肩車をする。
二人一体。二人でひとつの大魔法使いを目指し、朝陽に照らされた白く長い道を駆け出した。
【三曲目 ~Fine.~】 273
見てて と おてて って煮てる(誤字)




