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二曲目

全裸で

【二曲目】 240


 世界の最果て。円の果て。

 連環を並べ。輪を並べ。

 六つ色、無窮、無制限。

 世界の最果て。円の果て。

 並べて繋いで敷き詰めて。

 夢中なったら虎割れる。

 俎上の機雷、坩堝(るつぼ)(うず)め、渦巻く空の緋を蝕べる。

 ひと荼毘(だび)とりなす石動(いするぎ)を、連ねて雪火の玻璃(はり)落とす。

 世界の最果て。(えん)の果て。

 波堤(はて)に残るは(だれ)そ彼。

 彼まで届く、輪唱と、光の花と、さざ波は、

 心音色(こころねいろ)絹連歌(キンレンカ)




 灰色の村の真ん中に、黒鎧をまとった魔王が立っていた。

 大きな魔王の足で十歩の距離にいた海女が、金色の連環を地に展開したと思ったら、急に海女が消えた。否、魔王が海の上にいた。

 赤黒い光翼を広げ、海に落ちぬよう飛び上がる。

 魔王がかすかな魔力の残滓から、転移の魔法が使われたと気づく。

 水平線の近くに西の果ての村が見える。

(状況をみるに、十キロほど飛ばされたのか)

 大きな質量を遠くに転移する、上級以上の魔法が行使されている。

 にもかかわらず、魔王は魔力の動きを感じ取れなかった。

 広大な魔法陣は、わずかな魔力を帯びてはいるが、魔法が行使される時には必ず魔力が動く。上級以上の魔法を察知できないなど、魔王にとってありえないことだった。

「いったい何が……」

 魔王が独り言ちていると、目下の海にも敷き詰められた円陣のひとつから、ぬらりと海女が現れた。

「このまま、海の果てまで飛ばしてもいいの」

 黒に緑が混じったの髪の間から、橙の目がひとつ、魔王を見上げている。

「でも、また来られても、困るの」

 海女がため息をつき、前髪がのれんのように揺れた。

 魔王の目がつり上がり、角に届きそうになった。

「当然だ。〝ワルイコ〟を……」

 言い終わる前に、直下の魔法円から拳大の火球が飛んできた。

 火球が魔王に直撃する。

「……この〝黒炎の魔王〟に対して、火属性の魔法とは、よほど、我を小馬鹿にしたいようだな」

 初級~中級の火属性魔法など、魔王にとっては風がそよいだ程度だった。

「〝わるいこ〟なんて、いない」

 火球がさらにもう一発。魔王の肌を撫ぜた。

「この村の人、みんな、良い方ばかりなの」

 さらに二発。魔王を包む高熱の火球は、威力が上級程度に上がっているが、黒炎の魔王には痛みすら感じない。

「フザけたマネを……。海女お得意の水属性を使わぬのは何故か」

 破級の火柱が陣のひとつから吹き出す。炎の色が蒼に変わる。魔王にとっては当たっても火傷すら負わぬ程度であったが、発動の予測ができていたので避けていた。大きな角が蒼炎に煽られた。

「火の方が、油断して当たってくれるの」

 遠くから歌がいくつも重なって響いている。波風の音に混じっていたため、魔王はそれが海女の詠唱であることにようやく気づいたのだった。

 海面に浮かぶ円陣が明滅し、魔王の直下を中心に積み木のように光が組まれ、集まり、合成してより強い魔力が集まる。海女が陣を利用して魔法のランクを上げているようだ。

 魔王がニヤリと笑う。

「つまり、黒炎の魔王を火で討つ、と言いたいのか? 小馬鹿にしていると言ったが、ただの大馬鹿だったようだな」

「たしかに、あなたの方が、小さいの」

 魔族にとって身体の大きさは内包する魔力の大きさに比例し、強さの象徴である。ゆえに、小さく見られることを嫌うものは多い。魔族の頂点である魔王にとって、海女の言葉は最大の侮辱であった。

「死ね」

 赤黒い影が一瞬で海女に迫り、海女の頭をわし掴んだ。

『災禍 亡国の炎 Lv.2』

 火が灯れば、一国を燃やし尽くすまで消えない第五ランクの呪黒炎。たったひとりの海女に与えられた黒い呪いは、一瞬でその巨体を蒸発させた。ドロリとした黒炎が一滴、零れ落ち、海女のいた所に海底まで穴が開く。その穴に水が流れ込んで突沸し、膨張した蒸気で水柱があがった。

「魔力もたいして持たない、図体がでかいだけの海の藻屑め……」

 水しぶきが収まる。けれど、遠くから聞こえる海女の歌も、円連環の魔法陣も消えなかった。

 魔王より数十メートル離れた海上から、海女が再びぬらりと現れる。背中が丸まった姿は、蛇が鎌首をもたげているようだった。

 魔王の足元に、これまでで最も大きな魔力が集まる。

『落星 無炎 Lv.1』

 歌声のひとつから響いた魔法の宣言。その直後、魔王の周囲の空間が熱で溶ける。隕石が衝突した時のように、一瞬で空間全体が熱で満たされると、炎はその色を無にする。さらに外側の空間にふれた部分が、温度の摩擦で光を発し、ようやく『炎』が視認できるようになった。

「……ふっ、ふはははははっ!!」

 無色の炎の中心で、魔王が笑う。

「海女の分際で、実戦には不向きなを使い、短時間で最高ランク落星級の魔法を使えたことは誉めてやろう」

 魔王が赤黒い翼で羽ばたくと、無色の炎は散っていった。

「Lv.をあげられない貧弱な魔法使いが、円陣の仕組みを借り、膨大な手数と、多くの制限に縛られながらランクをあげる。旧式の魔法論のため、Lv.1しか使えぬが、落星級の魔法を理論上は使用できるという、実戦において机上の空論のごとき戦法」

 魔王の着ていた黒鎧が燃え尽き、肌色の裸体が現れた。

「しかし、その空論であったものを驚異的な多重詠唱で実現するとは、実に面白い。海女よ。名を教えろ」

 柔らかそうな丸い稜線、大きな胸や尻を隠そうともせず、堂々とした態度で論舌を尽くしたのち、海女に問いかけた。

「女だったの?」

 海女の視線が魔王の身体を上下になでる。

「質問に質問で返すな」

「はぁ……、レンカなの。レンカ・イスルギ」

 レンカは歌を止めず、魔法のランクの蓄積を続けているが、魔王は気にしていない。レンカの魔法を、すでに脅威とは思っていないようだ。

石動(いするぎ)……、地属性? いや、雷の系譜だったか」

「古代の東国の言葉、よくわかったの」

「小馬鹿にするな。書は多く嗜んでいる。にしても、海女の名が雷の系譜とは、言い得て妙だ。それに、魔力の少ない海女にしては、魔法技術も素晴らしい。先の予兆すら感じさせない転移魔法、おそらく我の攻撃を回避したのもそうであろう? アレはどんなカラクリなのだ?」

 女魔王の言葉を聞いて、橙の一つ目が訝し気に揺れる。少し間をおいて、レンカが口を開いた。

「『初級 落ち葉拾い Lv.1』を、幾重も奏でたの」

「なんと」

 落ち葉拾いは名前の通り、落ちた葉を拾い上げる程度の効力しかない。魔王が気づけなかったのは、わずかな魔力の移動だったからのようだ。

「実に面白い。うみおんな、否、レンカよ。我の下僕になれ」

 レンカが歌を止めた。

「…………ヨシを、ヨシヒトを諦めるなら考えるの」

「ん? あぁ、〝ワルイコ〟であるか。諦めるわけがないだろう?」

 再び、歌が幾重にも響く。

「交渉決裂、絶対に渡さないの」

「無駄だ。お前の限界はとうに把握した。初級 Lv.1の魔法が72,000回。合成して、ランクを上げても、落星 Lv.1を一発まで、それが一度に起こせる現象の限界であろう?」

「っ!?」

 夜昆布色の長い髪がゆらゆらと揺れた。

「図星か……。多重詠唱の前奏曲を省略したであろう?

2×3×4×5×6×100の、72,000回。『四の五の唱え』から『六つ子の魂百まで』の結びは、おそらくお前が作った短縮詠唱ゆえにソコで止まっている。正しい詠唱であれば、我に匹敵することも……。いや、ソコがお前の許容できる限界であっただけか」

 魔王は不敵に笑った。全裸で。

 海女は酷くうなだれた。海の上で座り込み、祈るように額を水面につける。夜昆布色の長い髪が、水面に蓮の葉のように開いた。

「頭を垂れ、我の下僕となるか?」

「はぁ……。〝目に入れても痛くない〟程度じゃ足りなかったの」

 予想していた返答にあらず、魔王は顔をしかめて腕を組んだ。

「多重詠唱の秘密は贄によるものであるか。……贄を増やす算段ならやめておけ。詠唱のために頭と胴体を残し、四肢を捧げたとて、魔力密度は目よりずっと少ない。二つ目を潰し、数倍になったところで我には効かぬぞ」

「……博識と思ったけど、これは知らなかったみたいなの」

 レンカがぬらりと立ち上がる。髪がバッサリと落とされ、首のあたりから下の髪がなくなっていた。

「何を言っている? ……いや、何をしている?」

 レンカが海面に残った髪、その蓮の葉の上で胸に手を当てて祈る。

「〝髪は女の命〟あたしにとって〝命より大事な〟星天をささげるの」

 蓮が広がって海に霧散し、円連環魔法陣が消えた。

 そして、光と闇の星天が海原に満ちた。



 ボロボロの家、ヒビの入った窓から、ヨシは陽の沈んだ海を眺めていた。空が歪み、直後に強い光が差して目を閉じる。

 光が止み、目を開けてしばらく経つと、地表や海面に広がっていた金環の魔法陣が消えた。

「レンカ姉さん……」

 姉の歌声が、輪唱が、ヨシの居る所まで聞こえている。

 陽が沈んだのに、姉は戻ってこない。

 姉の無事を、星空を映す海の輝きに祈った。



 海に散りばめられた星天の上、響き重なる歌声が、輪唱のようにそれぞれ言の葉を繋いでいく。

「二枚舌」

「三文芝居」

「四の五の言う」

六言六蔽(りくげんりくへい)

「七重の膝を八重に折り」

「九十九折りから百折不撓」

「千紫万紅、千変万花」

 レンカが歌い始めた前奏曲、その全詩(フルコード)に気付いた魔王が止める間も無く、星の光が魔王を包み込んだ。





【二曲目 ~サビ~】 39,916,800,000,000,000,000,000


 世界の最果て。見果てぬ星。

 空の星と、海の星、すべてが魔王を見つめてる。

 どっちを見ても果てがない。

 もしも果てがあったなら、どんなに救いがあったろう。

 世界の最果て。見果てぬ(そら)

 空と天が手を繋ぐ。

 輪を成せ、環を成せ、平らの面。

 ぐるりと面を回したら、六つ、七つの面合わせ。

 並べて繋いで敷き詰める。

 波に髪、捧げて作る蜂巣(ハニカム)は、まもなく間も無く、限り無く。

 海女七色(あまなついろ)の円連環。





 海から星があふれ出し、それぞれが光を繋いで環を作る。輪の交点の六角形と七角形によってできた立方体(セル)が空間に充填された最密構造を成す。

 魔王の、上下、左右、前後、すべてを、七色の円環が取り囲む。

 響き渡る歌声の中、蜂の巣のような空間魔法陣を使い、一瞬の内に魔法のランクを蓄積する。

 72.000回という上限のもとでは、リソースのほとんどを消費するので使っていなかった強化系の魔法。レンカはそれを、三つ同時に宣言した。


『破級 一言万鈞(いちごんばんきん) Lv.1』

『破級 天淵氷炭(てんえんひょうたん) Lv.1』

『破級 雲烟万里(うんえんばんり) Lv.1』

 魔法強化。

 属性混合。

 法陣拡張。


 円陣の数がさらに増え、天地から水平線の彼方まで無限に円連環が広がった。七色の輝きで、水平線が光に埋もれて見えないほどだった。

 魔王が円環による立方体の一つに囲まれながら目を丸くし、次の瞬間には目をつり上げた。

「小馬鹿にするのも大概にしろ! こんなもの、贄の割りに合わぬ!」

「割りに合わない? 馬鹿を言わないで欲しいの」

 レンカが耳の後ろに触れながら、亡くなった髪を確かめる。

「いったい、ヨシに何年、星天を魅せられなくなったと思ってるの。ヨシが初めて笑った。ヨシの大好きな。ヨシを喜ばせる。ヨシに安らぎを与える。ヨシの……。ヨシを……。ヨシが……。ヨシに……」

「ふざけるなぁあああああ!!!!!」

 魔王が動いた瞬間、立方体の中が真っ黒く塗りつぶされた。

『初級 投砂 Lv.1』『初級 水泡 Lv.1』『初級 着火 Lv.1』

『初級 凪風 Lv.1』『初級 石動 Lv.1』『初級 星明 Lv.1』

 地水火風雷光の六属性の初級魔法。

 強化され、混ぜ合わされた数億、数兆、数京という天利(あまり)にも多くの魔法が一つの立方体(セル)の中で居場所を求めて暴れまわる。一瞬の明滅であったが、黒から解放された魔王は全身がボロボロになっていた。摩擦によるものか、溶解か、はたまた熱か、原因不明の煙が体表から立ち昇っている。

 口、耳、目、鼻、股座の穴から全身の毛穴に至るまで、微弱とはいえ穴という穴を蹂躙される。耐性・加護・防護、それらすべてを無視し、只人であれば、細胞すべてが分解されるような魔力の奔流『無限連歌』。

 魔王がまだ身体の形を保っていたのは魔力密度の高い強靭な肉体によるものだった。

「が……、が……」

 喉を潰され、肺を侵された魔王が、声にもならない音を漏らす。

「まだ、飛んでるの……」

 レンカの瞳が暗く、星々の明かりを呑みこむほどに黒く染まる。

「がああああああああああ!!!!」

 声に反応し、魔王が、肉塊が、唸りを上げて突撃する。

「しつこいの」

 落ちる星を越えた第七ランク。六属性に等しく寄り添う第七の属性『闇』の魔法が、で限定された空間によって行使される。

七星(ななほし) 転洞(てんとう) Lv.1』

 立方体が再び黒く、さらに暗く染まる。染まるという言葉も正しくない。魔力の収束限界を超えた重力特異点の発生。魔王が物体や魔力であるかぎり、等しく呑まれる星の転洞(ブラックホール)。レンカへと伸ばした首と右腕だけが、立方体の境界、事象の地平面を免れて、断頭台の如く斬り落とされた。


 落ちてきた魔王の首を、レンカは受け止めた。

「どうせまだ生きてるの。話せるの?」

 角を掴み、もう片方の手で反対の角をノックするように叩いた。

「ご、の……どうじで……生きてると、わかった」

 潰れていた喉(は既にないが)がわずかに再生して声が出せるようだ。

「前にも似たこと、あったかもなの」

「何用だ」

「なぜ、ヨシを知ってるの? 知る由がないの」

「予言者だ」

 魔王は生首のまま、しゃべり始めた。

「予言者が言うには『我に〝ワルイコ〟という、魔王となる弟がいる』『西の果ての大魔法使い。が〝ワルイコ〟の運命を歪める』と……」

「ヨシヒトは、〝ワルイコ〟じゃないの」

 海女の言う名を聞いて、魔王が嘲る様に笑う。

「そうやって、反言を命名して、歪めようとしていたのだな」

「予言者の名は? いまはドコなの?」

「たしか……賢者の忌姓と噂される、マウナロア? マウナケア? 自身を『賢者の子』と言う、頭のおかしい奴であった。賢者ガルテスは1000年以上前の大魔法使いであるというに。いずれにせよ、我を差し置いて『大魔法使い』と名乗り、小馬鹿にした故に屠った。何処にも居らぬ」

「そう、なの……」

 レンカがため息をついた。

「でも、どうして、予言者を信じたの?」

 小馬鹿にされ、頭のおかしい奴と断じていた者の戯言を、なぜ信じたのか、レンカは相変わらずの言葉足らずで問いを投げた。

「予言者を屠った直後、西の果てに強烈な魔力の乱れを感じた。一度きりであったが、予言者の言葉が気になって斥候を行かせた。すると毎晩、微弱だが魔力の異常な乱れを察知したと言う。それに……」

「斥候が、『何匹』か、戻らなかったの?」

「ご明察」

 西の海には居ることの少ない毒魚が混じっていると思っていたが、それが魔王の斥候であったらしい。レンカは頭を抱えた。

「我の兵は美味かったか?」

 魔王がクツクツと笑う。

「おかげ様で〝か弱い人間のヨシヒト〟が、ひもじい想いをせず済んだの」

 レンカが人間と弟の名を強調して皮肉を返した。

「結果として弟を、〝ワルイコ〟を助けていた、と」

「〝ヨシヒト〟の姉はあたしだけ。……そろそろ、黙らせてあげるの」

 レンカは用がなくなり、再び無限の連環に魔力を走らせた。

「まぁ待て。最期に一つ、面白い予言があってな」

「何なの」

「我も、この状況になって予言が正確であったことを確信したのだが……」

「―――もったいぶるな、なの」

 レンカが睨み、目を細める。魔王は黒い穴から得体の知れない存在に覗かれた気分になる。

「待て、言う。……『魔王は首を落とされる』と、予言者は死の間際に言ったのだ」

「それの、どこが面白いの」

 を連ね、首を滅する雷を落とす準備は、既にできている。

「……そろそろか?」

 魔王の目が周囲を見渡す。

「さっさと言うの」

「我は優しいからな。お前の奇怪な魔法が切れる前におしえ……グえッ!」

 もったいぶる魔王の顔に、レンカの膝がめりこんだ。

「言え」

 暗い転洞の一つ瞳が、生首という生の執着を捨てた者にすら恐怖を与えた。

「こ、この首は、我の本体ではない。我の右腕は何処へ行……」

 言い終わるより早く、魔王の首に雷火が落ちる。

 空間を満たしていた無窮の輝き、無限円連環魔法陣(ガルテススコア)が消える。

 無限連歌の歌声も止んだ。

 山場(サビ)を越えて、間奏。まだ曲は終わっていなかった。




【二曲目 ~Cサビ~】 2^9


 あたしをとかして

 ひとだびとりなす

 とこしえのれんか

 ほうえんのうつわ

 そじょうのさだめ

 ふしゅつのるつぼ

 きょにまみれない

 のがれられぬはり

 つめたくねっした

 けがれなきほのお

 しんらばんしょう

 しょくへとかえる

 いするぎつらねて

 ひをうたいあかせ



 ボロボロの家で、ヨシヒトは窓から海をずっと見ていた。

 星天に二度、暗い穴が開いたのが見えた。二度目はさらに深い黒。その黒を見て、ヨシヒトは何故か安心した。

———ギィギィ

 誰かが扉を叩く。ゆるく歪んだ扉が軋んで音を立てる。

「……」

 村の中まで魔法陣が満ちている異様な状況で、誰かが訪ねてくるとは思えない。ヨシヒトは気配を潜めて、扉の前にいるであろう者の反応を探る。

「開けてぇ」

 猫がヒトを惑わすような女性の声。村の人ではない。この村は、姉以外に女性はいない。

「お姉ちゃんが、迎えに来たよ」

「姉はレンカ姉さんだけ。僕の家はココだ」

 姉を騙られ、思わず返事をしてしまった。

———ギィギィギィ

「うーん、入れない。ねぇ〝ワルイコ〟 この魔法を止めて?」

———ギィギィ ギィギィ

 家ごと揺れる。『包炎の器』ごと揺れる。

———ドォン ドォン ドォン

 すごい力で扉を叩いている事が、器に奔る波でわかる。

「……僕は〝ワルイコ〟じゃない」

 ヨシヒトは、姉とは異なる恐怖を感じた。

 少年の想いとは裏腹に、無情にも『包炎の器』の持続時間が切れる。と、同時に無限の連環も消えてしまった。部屋の中も外も薄暗くなり、冷たく湿った潮風が少年の肌を粟立たせた。

「ありがとう。〝ワルイコ〟」

「違う、僕が止めたわけじゃ……」

———ギィィ……

 扉が開かれる。

 ヨシヒトの半分くらいの背丈の人影がボロボロの家に侵入する。窓から刺す月明かりが、小さな少女を照らした。乾いた砂と湿った闇で縞模様になった髪。頭より大きな巻角が、大きな丸耳のようにこめかみから生えている。

「さあ、お姉ちゃんと一緒に帰ろう?」

 怖いのに、絶望するほど乾ききった土色の瞳から目が離せない。

「いやだ、来ないで。助けて、姉さん……」

 部屋の奥へ後ずさると、生温かく柔らかい感触が少年の後頭部に触れた。

「ただいまなの」

 見上げると、薄暗い中でもハッキリとわかる黒い転洞の一つ瞳が彼を見下ろしていた。怖いものを隠してくれると期待していた髪の帷は下りてこない。

「姉さん……」

「海女、こんなに早くどうやって来た!? ダミーの首が時間稼ぎをしていたはずでしょ!?」

 丸耳角の少女が発した言葉から、レンカはこの少女が、斬り落とした右腕、魔王の本体と確信した。

「ヨシを守るため、ヨシの背中を押すため、ヨシが求めるのなら、いつでも姉は弟の後ろにいるの」

「また、わけのわからない贄の魔法か」

「魔法でもなんでもないの。姉ならできて当然のスキルなの」

 ヨシヒトが姉の袖を引く。

「姉さん、髪と片目、どうしたの?」

()()()()()を、捧げたの。ごめんなの」

 姉が丸太のような腕で弟を抱きしめる。

「ううん、姉さんが生きててよかった」

「実の姉を差し置いて、弟とイチャつかないでくれますー?」

 少女は、不機嫌そうに腕を組み、遥か高みに立つレンカを見上げていた。先ほどの巨体の魔王とは、性格が随分と異なる。これが彼女の本性なのだろうか、とレンカは思った。

「予言を勝手に信じて、姉スキルも無い者に、姉を名乗らないで欲しいの」

「いいえ、一目見て確信したわ」

 少女は組んだ腕を解き、自身より大きな少年に指をさす。

「私と同じ、砂虎色の瞳。砂虎色の髪も、おそらく後頭部に、爪痕のような黒い毛が生えているのでなくて?」

 言われてレンカがヨシヒトの後ろ毛をかき上げると、黒い毛が四本、爪痕のように生えていた。

「図星のようね。私の幼い頃とおーんなじ♪」

 姉を名乗る二人の女性の間で、少年は二人の顔を何度も見比べた。

「さあ、ワルイコ。私と一緒に帰りましょう?」

「僕はワルイコじゃない。ヨシヒト……」

「かわいそうに。すっかり洗脳されたのね。怖がらなくていいわ」

「もう怖くない。姉さんの方がずっと怖かった」

「えっ」

「えっ」

 二人の姉がそれぞれ違う意味で驚いた。

「あなたがレンカ姉さんを傷付けたと知って、今は怒ってる」

「どうしてわかってくれないの? この海女は魔族を力で従える悪女なのよ? 人間と魔族が共存しているのが、何よりも証拠じゃない」

「姉さんはそんなことしていない。もしそうなら、村の人々は弟の僕にも委縮するはず。村の人は、姉さんの雰囲気が怖いことも正直に教えてくれたし、怖いと思いながらも、姉さんに、みんな感謝している」

「ヨシ…………」

 レンカは丸太のような腕で、言葉足らずな自分に代わって立派に弁明してくれた弟を撫でまわした。

「そ、それも洗脳よ。見たのよ! 村人に片足を失うほどの危険な交易をさせていたわ」

「あぁ、そうだったのか……」

「ようやくわかってくれたのね!?」

 ヨシヒトが、抱きしめられた腕の装束をめくる。丸太のような腕のひと筋が捻じれて、表皮に凹凸が浮かび上がっていた。。

「姉さんが〝腕によりを掛けて〟治してあげたんだね」

 レンカが何度も頷いた。

「そんなはずない。だって、コイツは勇者の……。え? あれ? あぁ、もうぜんぶどうでもいい……」

 少女の、魔王の魔力が練られていく。

「もう、チカラずくで奪うわ。それが魔族の矜持ですもの。洗脳を解くのは、あとでじっくり考えましょう……『残っていれば』ね……」

「ヨシ。お願いがあるの……」

 レンカが耳打ちする。

「いいの? ……任せて」

「もうあの陣は展開させない! 『落星 ……」

 魔王が魔力を練りながら宣言を始める。

『包炎の器』

 魔力消費の少ないヨシの宣言が、魔王よりも早かった。

 ヨシの右薬指の爪先に火が灯る。

『――深淵の炉 Lv.6』

 天井まで大量の黒い呪炎が溢れ、津波のように姉弟にせまる。燃やすより、触れたものを呑むに等しい呪炎は、転洞(ブラックホール)に近しいものだった。

『包炎の器』

 二度目の魔法。小指の先に灯った火が、薬指と寄り添い、瞬間的に小さな家を満たす。黒炎の津波は一瞬で消え、魔王の身体に火が付いた。

「ぞ、ぞんな……あだじが……燃え……」

 炎が魔王を縛り、動きを封じている。だが、再生と燃焼を繰り返すだけで、致命には至らない。

「ヨシ……目玉は最初に。肝臓は新鮮なうちでも、必ず熱をよく通して。ちょっと恥ずかしいけど、腸はよく洗って欲しいの。粘膜に近い所を優先すると、無駄なく食べれるの」

「姉さん? 何を言ってるの?」

 ヨシヒトは不安になり、無意識に姉の腕を掴んだ。指が、捻じれた筋に掛かる。窓や梁や柱が軋み、今にも崩れそうだ。

「良い子、良い子。よしヨシ……」

 レンカが顎下から首の部分を、ヨシヒトの頭に何度も擦る。まるで、自分の匂いをつけようとしている猫のように。

「残さず、食べて、大きくなるの」

 耳元でささやくと、レンカは抱きしめた腕で、そのままヨシヒトを放り投げる。ねじれた筋にかかった指が離れ、ヨシヒトは扉の外まで飛ばされる。

「待って、レンカ姉さん!」


 あたしをとかして

 ひとだびとりなす

 とこしえのれんか


 ヨシヒトは嫌な予感がして、すぐ家の中に戻ろうとしたが、自身で出したはずの、包炎の器に入れない。

 レンカの詠唱により、属性が書き換えられている。


 ほうえんのうつわ

 そじょうのさだめ


———ヨシヒトが部屋を暖めるために使っていた『包炎の器』

———レンカが調理に使っていた『俎上の運命』


 ふしゅつのるつぼ

 きょにまみれない

 のがれられぬはり


———「食と歌は、世界を救うの」


 つめたくねっした

 けがれなきほのお


———「お鍋でコトコト。弱火でじっくり。冷やしてシメる」


 しんらばんしょう

 しょくへとかえる


———「二人で、一つの、料理なの」



 いするぎつらねて

 ひをうたいあかせ


———あの言葉は、使われていた魔法は、じっくりと時間をかけて〝姉を捧げるための言霊〟だったのであろうか。


『絶対調理魔法 包炎の器』


———知らず知らずのうち、姉を調理していたのではなかろうか。


 光も衝撃もなく、鐘の音が一度だけ鳴る。

 ほのかな光が消える。

 柱の支えがなくなったのか、本を閉じるように家がパタリと倒れた。

 風も凪ぎ、波の音もない。

 星天も隠れ、真っ暗になった世界で、ただ、ただ、産声が響いていた。


【二曲目 ~Fine.~】 441


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