一曲目
【一曲目】 273
世界の最果て。西の果て。
灯台もない、港もない、小さな村のその外れ。
海辺にそり立つ崖の上。
世界の最果て。西の果て。
大きな姉と、小さな弟が住んでいました。
吹けば飛びそなボロボロの、小さな家にはスキマ風。
冷たい木枯らし凍えそう。
寄り添って、あたため合って、春を待つ。
姉の名前は レンカ・イスルギ。
村で唯一、海女だから、今日も寒さに耐え海へ。
ぎぃぎぃ軋む、扉の音。バタンと閉じても風の音。
弟の名前は ヨシヒト・イスルギ。
まだまだ幼い男の子。
崖を降りたり、登ったり。
海のお水を、家まで運ぶ。
寒さをこらえて、姉を待つ。
やがて日が暮れ、海、染まる。
紫陽彩の光さす。
小さな木造の家、一部屋しかないその真ん中に、砂虎色の短髪の少年が立っている。
窓が木枯らしに鳴いている。見える紫色の夕焼けが、姉 レンカがもうすぐ帰ってくることを知らせる。
ヨシヒト、姉からは「ヨシ」と呼ばれている少年は、寒さに震えながら、右の人差し指を立てた。
指先に意識を集中させ、爪先を世界に捧げる。
ヨシが〝爪に火を灯す〟
『包炎の器』
ヨシの言葉に反応し、爪先の炎が球を成す。炎の球がヨシの頭と同じくらいの大きさになったところで、炎の影が消える。球体の中は温度が高く、透けて見える向こう側が陽炎となって揺れていた。
呼吸をし、取り込んだ魔力を体内で練り、外側の魔力に働きかける。
『中級 範囲拡大 Lv.1』
部屋を満たすまで熱球をふくらませる。隙間風が止み、ほんのりと明るくなった。範囲を広げた分、温度が下がっているので、これでも少し寒い。
ヨシは一部のLv.1魔法しか使えないため、うまく温度調整ができない。
過去にこの魔法を、姉に禁じられていたにもかかわらず二重に使用して、家が崩れかけたことがある。姉のレンカが家を直してくれたものの、この家がボロボロなのはヨシが姉の言いつけを守らなかった悪い子だったからだ。
台所――同じ部屋の中にある――の釜土は、室内暖房と、風呂釜の給湯器を兼ねている。その炉に薪をくべる。だんだんと温まってきて、身体の震えがようやくおさまった。
包炎の器の代償で焦げ付いた爪先を噛んだ。
「レンカ姉さん、早く帰ってこないかな……」
明るい炉の火を見つめていると、闇の簾が周囲を覆った。柔らかく生ぬるい感触が、ヨシの頭を後ろから包む。夕焼け色の大きな眼光が2つ、闇の中から見下ろしていた。
「うわぁああああ!?」
大きな姉が前かがみになって、ヨシの真後ろから頭上を越えて見下ろしている。闇の簾はレンカの長い髪だ。潮にさらされ続けた髪は波打ち、闇の海に漂う海藻のような夜昆布色。腰下まで伸びる髪の長さで鳥カゴのようにヨシを取り囲んでいた。
「ただいまなの」
陽に焼けた肌は、浅黒く闇に溶ける。大きく丸い夕焼け色の瞳が星のように浮かぶ。瞳に宿る光が、見るものに向かって海岸のごとく波を寄せた。
「そんな、驚かれると、ちょっと傷つくの」
大姉は拗ねて目を細める。光の加減で瞳の色が、夕陽が沈んだに変わる。夜昆布色の髪、その隙間から漏れる釜土の明かりが、星々のようで美しかった。潮のかおりに満たされて、早鐘を打っていたヨシの鼓動も穏やかな波のように落ち着いた。
「レンカ姉さん。せめて、ひと声かけてからにして……」
髪で作られた星天をヨシが好きなことを姉は知っていた。赤子の頃から、この星天であやされていたらしい。
「ヨシが、あたしのこと、つぶやいてたの」
姉はいつも、いつの間にかヨシの後ろに立っている。生ぬるい感触と共に真っ暗になって、大きな夕焼け色の瞳に覗かれる。心細いときにそれをやられるものだから、とても怖かった。
ヨシは七歳になるまで、何度か星天の中でおもらしをしたことがあった。
「どんな顔、してるか、気になったの」
本人にまったく悪気はない。そして、ヨシもその都度、彼を優しく包む星天に魅了され、結局は許してしまうので、このやりとりが無くなることはない。
それに、ずっと前かがみになるのが辛いためか、ヨシの頭に乗せられた〝柔らかな生ぬるい感触〟が、大きさを年々と増しているのを、期待していないと言えばウソになる。
「すけべ」
「頭の中を読まないで!?」
姉は〝すべてのLv.1魔法を使える〟ので、思考が読める魔法も使える。……かは、よくわからない。
「読んでない、姉さん好き、わかるの」
姉は一度に、二言三言しかしゃべらない。無口……というわけではない、おしゃべりは好きなようだ。ただ、言葉のつなぎや単語を省略するので、集中して聞くクセがついた。ヨシはすでに、姉の声を聞くだけで耳が吸い寄せられるようになっていた。
「思考は「読んでない」、ヨシが「姉さん」を「好き」と知っているから、心を読まなくても「わかるの」ってこと?」
姉さんを好き、のあたりから、レンカの口角が目尻に届きそうなほど持ち上がっていく。尖った犬歯が闇の中でも白く輝いて見えた。
姉の言葉を訳し終えると、当たっていたようでコクリと頷いた。首肯に合わせて、星天がゆらゆらと揺れた。
「姉さん、好きでしょ?」
「……もちろん大好きだよ」
フヒヒッ、と闇の中で笑い声が聞こえた。
レンカがどれ程の大きさか、一言で表すなら……〝二足歩行の大牛〟
姿形こそ人と同じだが、背丈は〝273センチ〟
人間の大人が170センチほどなので、大人が子供を肩に乗せても、彼女の頭頂部に手が届かない。ヨシは160センチほど、十二歳という年齢に比べてはかなり大きい方だが、姉と比べるとまるで幼児のようだ。
胴体は、ヨシの腕がまわらず、縋り付くことしかできない。顔もヨシがやっと抱えられるくらいだ。丸太みたいな腕、鹿の胴体のような太もも。手のひらは、穴を掘る円匙の如き大きさであった。
ヨシが物心ついた4歳の頃に、レンカは11歳。この頃からすでに、レンカは村の大人たちより遥かに大きかった。
幼い頃から何度、どろかされても慣れないのは、姉の巨大さが本能的な恐怖に訴えかけるからである。触手のように波打ち、なまめかしく光る夜昆布色の髪。暗闇に浮かぶ夕焼け色の瞳。二言三言だけ話す異様な雰囲気も、不気味さを増しているが本人には自覚も悪気もない。
そんな鈍感な姉だが、ヨシにおどろかれることは気にしているのか、少しでも小さくなろうといつも猫背気味に肩をすくめている。それがさらに気配を薄め、異様に映るので、驚きをを増幅させていた。
レンカは海女として漁をするとき、白を基調とした水色と薄緑、朝凪色の装束を着る。陽が沈み、暗い海からぼんやりと浮かびあがってきた姉を村人が目撃し、腰を抜かした回数は、両の手でも数えきれない。
そんな怪異のような大きさの姉と、ヨシはずっと二人きりで生きてきた。親の顔は知らない。
西の最果ては土地が痩せており、潮風にもさらされて、作物がまともに育たない。
姉は村で唯一の魔法使い(ヨシも魔法を使えるが未熟)であり、冷たい海にも飛び込める唯一の海女である彼女は、幼い頃から村の食糧事情を背負っていた。貧しいながら懸命にヨシを育ててくれた姉を「大嫌い」など、天地がひっくり返っても言えなかった。
かつて一度だけ、わがままを聞いてくれなかった姉を「大嫌い」と言った時は、天地がひっくり返った。この家がボロボロなのは、ヨシが悪い子だったからだ。
「良い子、良い子、姉さんも、ヨシ大好き、良しヨシ、よしよし……なの」
ヨシへの感情が高ぶると少しだけ言葉が増える。闇の帷が下りて、大きな身体で抱きしめられる。
レンカの腹に頭がかかえこまれる。ヨシも抱きしめ返そうとするが、大樹のような太さの姉に、小さな腕では、しがみつくのが精いっぱいだった。
海に潜って冷えた身体を少しでも温めてあげたい。小さな身体では、それすらも満足にできない。
「レンカ姉さんのように、早く大きくなりたい」
「食と歌は、世界を救うの」
レンカが夕焼け色の瞳を大きく開き、身体を離す。釜土の横、台所に立ち、いつのまにか俎上に置いてあった獲物に向かって唱え、歌い始めた。
『俎上の運命』
「ラララ ーラー ラーー ラララ ラーー ーーラ ラーラ ラーラ
ラーー -ラー -ラー ラーラ ーーラ ラーー」
三拍子のリズムを刻みながら、調味料を振り、野草をきざむ。歌が進むと獲物は勝手に加工されて〝食材〟になり、自ら釜土の上で炙られ、煮られ、蒸されて料理になった。
両の手で持った丸い器と四角い皿に、料理が座って歌の終焉を飾る。
「イシガキダイの野草スープ。デンキクラゲの小包焼き」
どちらも毒のある海の生物だ。しかし、姉さんが魔法で調理をすると、それは絶対に安全な料理になる。
「いっぱい 食べて、大きく なるの」
歌のリズムを引き摺りながら、姉は紫陽彩に目を細めた。
貧しいながらも、姉さんのおかげで食べ物には困らない。ただ、食べられる魚介類のほとんどは村の人たちに分けてしまうため、食卓に並ぶのは普通の調理では食べられないモノが度々でてきた。
「冷めないうちに、いただくの」
「うん。あ、でも、今日もお風呂、沸いてるよ……」
薪を少しでも無駄にしないため、釜土の排熱は外の風呂釜に繋がっている。半日かけて運んだ海の水は、風呂釜に貯めていた。
「水くらい、姉さんが、運ぶの」
「姉さんの負担を増やしたくない」
村の食糧の大半は、姉さんが獲った魚でまかなわれている。他の村とも交易し、魚以外の食糧や品物と交換している。レンカがいなければ、この村は生きていけない。
「海 潜るし、毎日じゃなくても、お部屋あたたかいの」
海で身体を洗い流せるから、毎日お風呂にはいらなくてもいい。お部屋を暖めてくれるだけで十分。と言いたいらしい。
夕焼け色の瞳が、弟の小さな指先を見ている。焦げ付いた指先を見られたくなくて、ヨシは右手を背に隠した。
「僕は姉さんが大好きだよ」
「フヒヒッ」
目尻が唇に届きそうなくらい、たれ下がった。
「でも、時間が経って磯臭くなった姉さんは、あんまり好きじゃ……」
「――まいにち入浴するの! ヨシ、ありがとうなの!」
姉を一言で『大嫌い』と言うと大変なことになってしまうが、好きではなくなる理由をほのめかすと素直に従ってくれる。
「どういたしまして」
十二歳の弟は、見上げるほど巨大な十九歳の姉を翻弄していた。いつも驚かされてしまうヨシの、ちょっとした反抗心だ。最近は魔法を覚え始め、家事もできるようになり、こういう機会が増えていた。
小屋の壁際に設置された風呂釜はヨシの手作り。村の人に作り方を聞き、二か月かけて、つい数日前に完成したばかりだ。粘土を高く積み上げた土台の中に、排熱管を通して上の風呂釜を温める。重い木材で組んだ板を敷き、大きな石で浮き上がらぬようになっている。
海水のままでは身体をキレイにできないので、ヨシが調理の魔法で塩を抜き、飲めるような水に変えている。姉ほどの魔法の腕はないが、これくらいならヨシにも難しくない。
風呂釜は牛一頭が足を伸ばして寝られるほどだが、入れる水は半分もいらない。なぜなら……
「くぁ~、最高なの♡」
姉が入るとお湯が溢れそうになるからだ。
風呂釜の蓋板を端にかけ、先ほど作られた野草スープと小包焼きをのせている。
「すてきなお風呂、ご飯、夜景」
レンカは小包焼きを大口に放って、トロけた顔で東の空を眺めている。
「そしてヨシ! 他に何も、いらないの」
大きな姉の大きな胸に包まれながら、ヨシは小さく蹲っていた。
「レンカ姉さん。やっぱり一緒に入るのは、やめようよ……」
何かイケナイことをしているようで、後ろめたい気持ちがあった。
そんなヨシに対し、レンカが言葉数を増やし、まくしたてた。
「薪の無駄になる。ご飯も冷める。ヨシだけじゃお湯も足りなくなる。はい、あーん」
イシガキダイの擂り身を匙にのせ、ヨシの唇に差し出す。というより、押し込んだ。
「んぐんぐ……。いつも早口でごまかすけど……本音は?」
「ヨシの出汁に浸りたい。……というわけじゃないの。ヨシがいれば他に何もいらないって、さっきも言った通りなの」
饒舌な否定は、否定された言葉が本音であることを表していた。
「姉さん。明日から僕が後に入浴するね……」
「だ、ダメなの!」
丸太のような腕が弟の腹に食い込む。
食べた擂り身を〝戻し〟そうになった。
「痛い、レンカ姉さん、やめ」
姉みたいな喋り方になりながら、絞めつける丸太を何度も手で打った。
「二人で、一つの、料理なの」
丸太がふわふわのパンになった。
「え?」
「お鍋でコトコト。弱火でじっくり。冷やしてシメる」
それは歌なのか、省略した言葉なのか、ヨシにはわからなかった。
「ヨシが居なきゃ、お風呂、入らないの」
「…………わかったよ」
せっかく作った風呂釜を使ってもらえないのは、ヨシとしても困る。
風呂釜ができるまで、鍋にお湯をわかして身体を拭いたり、村まで下りて井戸の水を汲んでは、姉が魔法で温めたりして、やり過ごしてきた。が、家でお風呂に入れる方が便利で都合がよい。それに、身体を冷やして帰ってくる姉が満足するのなら、毎日いっしょに入浴する恥ずかしさなど、ささいなものだ。
ちょっと反抗して翻弄したつもりでも、結局はいつも姉の掌の上で転がされてしまう。もっと便利な魔法を覚えて、姉に楽をさせてあげたい。そしていつか『大魔法使いレンカ』に食らいつけるようになりたい。と、小さな魔法使いは思うのだった。
大好きな弟が沸かしたお風呂に入り、弟が温めてくれた部屋に戻る。
大丈夫かな。磯臭くなってないかな。ヨシに嫌われたら、世界が終ってしまう。臭くないか確かめてもらおう。
ヨシの背後から前かがみになって覆いかぶさった。
「うわぁあああああ!?」
静かに近づいたのに、また驚かせてしまった。
「ど、どうしたの? レンカ姉さん」
長い髪でヨシを上から取り囲む。
「もう、姉さん、臭くない?」
ヨシが髪や身体に顔を近づける。おそるおそる嗅ぎまわる様子は、借りてきた猫のようで、かわいい。
「うん。大丈夫」
白く脆い手足。砂虎色の小さな頭。同色の瞳は、暗い瞳孔が細長く立ち、猫の目のよう。ぷっくりとした頬が無邪気に笑みを浮かべる。
「フヒヒッ」
かわいいかわいい弟を、このまま星天に取り込んで、永遠に護ることができればいいのに。そんな魔法があればとっくにやっている。魔法というものは、なんと面倒で不便なチカラなのだろう。
「レンカ姉さん。今日もアレを教えて」
弟のおねだりに頷いて、髪の檻からヨシを出してあげた。
姉弟はイスやテーブルを部屋のすみに移した。
狭い部屋のまんなかに、大きな灰色の板を敷く。
灰色の板面には、黄色い円が同じ間隔でならんでいる。
一つの円に対して六つの方向、円周を六等分するように重ねる。
その紋様は、円の中にそれぞれ正六角形に近いカタチを成す。
ガルテススコア(Goldews Score)という、魔法使いの遊び道具。その意味は〝賢者の譜面〟である。
石英を削って作った透明なコマを、任意の魔法陣内に置く。このコマがプレイヤー自身である。
ガルテススコアは、お互いが同時に行動するターン制のゲーム。1ターンの間に決められた回数のアクションを行える。
スコアに魔力を流すことで、『コマの移動』『陣に魔法を設置』『自身の属性の変更』『魔法属性のランクアップ』などのアクションが可能となっている。ターンが終わった時に、相手の魔法陣に乗っていると、自身に付与した属性によって体力が減少する。
簡単に説明すると、地雷を設置するジャンケンゲームだ。
これをくりかえして、相手の体力がなくなるか、特定の条件を満たせば勝利となる。
かなり自由度の高いゲームで、体力、アクション回数、特定の勝利条件などは自由に決められる。魔法属性のランクがあがるにつれて、設置やランクアップに制限が付き、長期戦になるほど複雑化するので、ランクに上限をつけることが多い。
なおランクは、初級、中級、上級、破級、災禍、落星、の六つ。
さらには、ランクの中でLv.6、計36の段階に分かれている。
この自由度と難度の幅広さによって、子供から大人まで幅広く遊べるゲームとなっている。
板の外側で、レンカとヨシが向かい合うように立った。
通常であれば無言でスコアに魔力を流して遊ぶのだが、イスルギ姉弟は『歌と身振りでスコアを操作』という特殊なルールを用いていた。
「はじめるの。合図、どうぞなの」
「123 456」
ヨシがリズムを取る。
「ラーラ ラーラ ラーラ ラーラ -ラー ラーラ」
レンカが歌いながら左足を踏み鳴らす。
「ラーー -ラー ルルル ルルル ラーー -ラー」
同時にヨシも歌い、右手の指を鳴らす。
歌唱と動作、それぞれに呼応してコマや魔法陣が変化する。
魔法陣を広げて追い詰めたり、隙をみて属性ランクを上げたり、相手の歌を聞き、身振りを見ながら行動を予測し、ターンの結果も確認しつつ、次のアクションを即興で変えていく……。
この複雑な思考と動作を、勝負が決まるまで繰り返す。
「ルルル ルルル ラーー ーーラ -ーラ あ……」
ヨシが歌を間違える。
ターンが経過するほど思考量が多くなるので、集中しないと歌唱を間違ったり、リズムがズレてしまう。その時は追加で体力を1つ失うルールだ。
失敗すると予定が狂い、どんどん追い詰められる。そして焦るとまた間違えたり、身振りを忘れたりする。リカバリーする冷静さも重要だ。
「ラララ ーラー -ラー ラーラ ルルル ルルル」
レンカが音程と抑揚をつけながら右指を鳴らす。歌の素晴らしさはゲームに影響しないものの、姉の歌唱はいつも正確で美しかった。
「あーぅ……」
30ターンほどでヨシの体力がなくなった。
勝敗が決すると、スコアをさかのぼりながら反省会が始まる。
「ここは、ランクアップ、ダメなの」
姉の二言三言しゃべるクセは、ガルテススコアを常に意識しているから、かもしれない。
「陣が消えて、レンカ姉さんの攻撃チャンスになっちゃってる……」
「制限で、逃げ場、なくなってるの」
「うー、周りが見えてない……」
スコアの操作を前後しながら、違和感に気づく。
「あれ? この、姉さんのランクアップも同じ状況じゃない?」
「肉を切らせて、3ターン後に、骨を断ってるの」
巨姉の言う通り、ランクアップで倍以上のダメージを受けていた。
「受け流して、反撃するより、勝負が早いの」
ガルテススコアはただの遊び道具ではない。
状況判断や予測、正確な魔力操作は、魔法を実戦で行使する基礎となる。
「この時点でそこまで判断して、僕を誘ってたんだ……」
「属性の変更、連続してたら、ヨシが反撃できたの」
属性の相性、ランクによる制限なども実戦に近い要素がある。
実戦で使うのはもっと複雑らしい。考えただけで頭が沸騰しそうだ。
「やっぱりレンカ姉さんには敵わないや……」
ハンディキャップで体力に3倍の差を設けているが、それでも本気の姉に勝ったことは一度もなかった。いや、本気すらヨシは見た事がなかった。
「フヒヒッ。姉を超える、弟は存在しないの」
姉が尖った歯を見せて笑いながら、スコップのような手で弟の頭をつつむように撫でる。
「食と歌は、世界を救うの」
「うん」
いつか『大魔法使いレンカ』に食らいついてみせる。そして、姉にもっと楽をさせたい。とヨシは撫でられながら思っていた。
「だいじょうぶ、きっとすぐ、上達するの」
「うん……、あっ……!」
すきま風が吹き込んであっという間に室温が下がる。釜土の薪が赤白い色から灰色に変わった。部屋も薄暗くなって、月明かりだけになった。
ヨシの『包炎の器』の効果が切れたようだ。
「今日の遊びはここまでなの」
ガルテススコアを寝台の下に片づけて、身体が冷える前に汗を拭く。
ヨシが布団を整えていると、頭に生ぬるい感触が、そして視界が真っ暗になる。上方に夕焼け色の眼光が二つ。
「うわぁああああ!?」
何度、同じ星天をされたとて、恐いものは恐い。
「ヨシ、姉さん、汗臭くないの?」
また臭いと思われ嫌われないか、レンカは不安になったらしい。
「お風呂、あとにすれば、よかったの……」
「え、えっと……」
答えを待つ不安げな瞳は、紫陽彩に細くなる。
「レンカ姉さんの汗のにおいは、……むしろ好き」
この姉にして、この弟在り、だった。
「フヒヒッ」
闇に包まれたまま、姉が布団をかぶる。
家の3割を占める大きなベッドは一つしかない。姉弟は身体を寄せ、互いの体温であたため合う。
「レンカ姉さん」
ヨシが、彼を隙間なく包み込んでいる姉に呼びかけた。
「なぁに?」
「眠るときにも『包炎の器』を使っちゃダメ?」
姉のぬくもりに包まれて、弟は温かかったが、外側の姉はきっと寒さを感じているはずだ。
「ダメなの」
ニンジンみたいに太い指が、ヨシの焦げた爪をこするように慈しむ。
「魔法にも慣れてきたし、爪を〝捧げる〟量も減った。もうすぐ十三歳にもなる。一日二回くらい、きっと大丈夫だよ」
通常、魔法は体内の魔力を使い、外側の魔力に働きかけて行使される。
ヨシの『包炎の器』は特別な魔法で〝言霊たるものを捧げる〟ことで行使される。〝爪に火を灯す〟という言霊、現象そのものを捧げているのである。初心者の魔法使いが覚えられるような魔法ではないらしい。
「いっぱい使うと、〝わるいこ〟になるの」
この家がボロボロになるのは、いつもヨシが〝わるいこ〟になった時だ。
レンカの身体が震えている。抱く力が強くなって、姉が嗚咽で揺れるのが伝わる。
「泣かないで。わがまま言ってごめん。〝わるいこ〟にならないから……」
「違うの。ヨシは、ヨシヒトは良い子……。良人なの……」
ヨシヒトはまだまだ小さくて、姉を抱きしめることができない。ただ、姉が泣き止めばと、姉の腹に額をこすりつけ、祈るようにすがることしかできなかった。
【一曲目 ~Cメロ~】 239
世界の最果て。西の果て。
痩せた土地。灰色の村。
若き魔王がやってきた。
世界の最果て。西の果て。
魔族とヒトが暮らす村。
ただ一人、海女が支えるその村に、
世界の終焉。壊すため、
若き魔王がやってきた。
夕暮れ時の、誰そ彼に。
紫陽彩を、ねめつける。
屋根に届く大きな背丈を重厚な黒鎧で包んでいる。乾いた砂漠の色と、湿った宵闇の色で縞模様になった髪。こめかみから生えるのは雄山羊のような太く丸まった角。体内に宿す膨大な魔力は、魔法使いではない者にも、あふれ出すオーラが見える。見ただけで絶望しそうな乾ききった土色の鋭い瞳。目尻は角に向かって吊り上がり、その高圧的な視線で見られただけで、すくみあがった村人たちが平伏している。
「〝わるいこ〟は何処だ?」
魔王の言葉に、村人たちが顔を見合わせる。
「とんでもない魔法使い。海女がこの村にいるだろう?」
この村にいる海女はレンカのみ。村人たちがいっせいに、村はずれの海沿い、崖の上に立つ小さなボロ小屋を見た。
「あそこか」
村人たちをねめつける。
「死にたくなかったら、今すぐ村を出ろ」
また村人たちが顔を見合わせる。
「聞こえなかったか?」
――ボッ!
魔法でもなんでもない。ただの魔力の衝撃波で地面を穿つ。
村人たちが怯えながら逃げて行った。
「フン……」
不遜な鼻息を漏らし、切り株のような大きな足で地面を鳴らしながら、まっすぐ崖に向かう。軒先の屋根が角にあたったが、止まることなく家の方が倒壊して道を開けた。
魔王の前を歩く男がいた。
片足がなく、杖をつきながら布袋を背負っている。足に巻いた包帯が赤く染まっている。
「そこの男よ。邪魔だ。消え失せろ」
男は、チラと魔王を見て怯えていたが、魔王の前を歩くのをやめない。
歩く先には『大きな海女』がいた。
魔王よりもさらに大きな巨躯を持った女が、杖の男と目線を合わせるように背を丸めた。
麻袋を受け取った海女は丸めた背からさらにおじぎをして、男の片足がないのに気づく。巨女は困ったように頭を掻き、短く詠唱したのち、魔法で足を再生させた。
男は魔王がいることなど意にも介さない。尻を向けたまま巨女に深く頭をさげた後、ゆっくりとこの場を立ち去った。
海女と、魔王。夕焼け色の瞳と、乾土色の目が合った。
「あの人間の男は、毎年、ヨシの誕生日のために、大好物の金柑を、遠い街まで行って、あたしの獲った魚と交換してきてくれるの」
たどたどしく言葉を並べながら、巨女が麻袋の口を開いて見せた。背を丸め、前髪で顔は見えないが、袋の中の金柑と同じ、橙色の瞳がふたつ、夕焼けのように燃えている。
「だから、いなくなったら、ヨシが悲しむの」
丸めていた背中を伸ばし、ぬらりと巨木が立った。淡いの装束が、北部のを思わせる。
「わるい魔女の都合など知らぬ」
「誰一人、貴方の好きにはさせないの。ヨシに調味料を分けてくれた人間。ヨシの寝台を作ってくれた魔族。ヨシへ言葉を教えてくれた人間。ヨシが薪の割り方を教わった魔族。ヨシのために危険な交易地に行ってくれる人間。ヨシに風呂釜の作り方を教えてくれた人間。ヨシの……。ヨシに……。ヨシへ……。ヨシを……」
「黙れ悪魔!!」
魔力の衝撃波を飛ばす。只人であれば、胴体を貫通する威力のソレを、レンカは真正面から握りつぶした。握った拳から漏れた衝撃波が、左右に分かれ、建ち並ぶ家の壁に飛沫のような穴を空けた。
「ヨシヒトは〝目に入れても痛くない〟の。邪魔をするなら……」
「アイツは〝わるいこ〟だ!!」
「――貴方は〝大嫌い〟なの」
夕焼け色の瞳に打ち付ける光の波が、だんだん早くなっていく。
「二枚舌、三文芝居、四の五の唱え……」
魔王への罵倒ではない。それはレンカの詠唱だった。
魔王も魔力を練り、ランク4、Lv.4の火属性魔法を放つ……否、放つまでもなく広範囲でレンカを取り囲んだ。
『破級 火竜の息 Lv.4』
攻城に用いられる破級の火属性魔法は、抗魔を施した石壁すら溶かす。
『初級 耐熱……』
レンカの声が六つに重なっている。
『――Lv.1 × 五』
沸騰する湯を我慢できる程度の火属性加護を、六つの声で五回分、三十、重ね掛けし、レンカは、城壁をも溶かす炎熱の中で詠唱を続けた。
「六つ子の魂百まで、千紫万紅、千変万花」
(高ランクの防壁魔法で防ぐわけでも、消し去るわけでもなく、ただ熱くないものとして無視しやがった)
「悪魔の〝うみおんな〟め……」
レンカの詠唱が終わる。
〝目に入れても痛くない〟良人のため、〝言霊たるものを捧げる〟。
レンカの夕焼け……、黄昏れの瞳がひとつ、もっていかれた。
ボロボロの家でヨシは、今日も〝爪に火を灯す〟
『包炎の器』で、姉の帰る場所をあたためる。
すきま風の聞こえなくなった空間に、ピシリ、と音が鳴った。
窓から見える星天が、亀裂で半分に割れていた。
「無限円連環魔法陣 無限連歌」
金色の無限円が地に浮かぶ。
遥か那由他の最果て、無限の彼方まで……、大魔法使いの譜面は続いていた。
【一曲目 ~Fine.~】 273




