前奏曲
【前奏曲 ~Prelude~】 300
世界の最果て。空の果て。
森もない、川もない、大きな岩の山と谷。
城にそり立つ塔の上。
世界の最果て。空の果て。
大きな魔王と、小さな勇者が戦っていました。
吹けば飛びそなボロボロの、小さな鎧は熱で溶け。
冷たい剣だけ、彼の武器。
競り合って、ぶつかりながら、その機を待つ。
勇者の名前は ツヅリ・イスルギ。
世界で唯一、勇者だから、今も熱さに耐え戦う。
ごぉごぉ燃える、炎の音。魔王が吐き出す息吹の音。
魔王の名前は今は無い。
まだまだ幼い頃に在った名は、
優しかったり、酷かったり。
思い出すのも癪さわる。
寒さこらえて、その機を待つ。
やがて陽が出て、地、染まる。
黄金色の光さす。
城の最上部に天を貫く塔がある。塔の先端には大きな円盤状の建造物がある。吹けば折れてしまいそうなその場所は、魔王の闘技場だった。
空気が薄く、凍えそうなほど寒い。標高が非常に高く、生存とかけ離れた非情な環境ゆえに、辿り着いた人間は勇者を除いて一人もいなかった。
寒いはずの闘技場が、いまは熱気に沸いていた。観衆の熱気ではない。文字通りの熱気で、勇者の周りには温度差で陽炎ができていた。
「キミの息吹は温かいな」
熱に溶けた鎧を脱ぎ捨て、彼は、小さな勇者は微笑みながら言った。
「ハァ、ハァ……小さき者が、小馬鹿にしおって」
大きな魔王は息切れしていた。その様子を見た勇者がため息をついた。
「なぁ、どうしてこの場所を戦いに選んだ?」
脱ぎ捨てた鎧が一瞬で冷め、白い霜が張っている。
「天を焦がすが如き息吹も、こんなに空気が薄く、寒くては、威力が出せないだろう?」
「ハァ、ハァ……、んぐ」
魔王は答えず、切れていた息をのみ込んで整える。
「誰も来るはずがなかった、ということか。キミと同じ魔族ですら、ここでは長く耐えられないみたいだからな」
勇者が円盤の端から下を覗くと、塔の根本に多くの魔族が集まっているのが見えた。少し離れた所には、魔族以外の種族が集まっているのが見える。豆粒のようにそれらは小さかったが、勇者の太陽色の瞳ではハッキリと彼らの様子を捉えることができた。
彼らはまだ争っている。勇者と魔王の戦いが決着するまで、この戦争は止まらないだろう。
勇者は背を見せているが隙は無く、魔王は動くことができなかった。
勇者が振り返る。
「下に降りて戦えば、敵味方を問わず近づくだけで害してしまう。私たちは似たもの同士だな」
「黙れ! 剣さえ持たなければただの人間である貴様に、何がわかる?」
地を染めていた陽光が、ようやく天空の闘技場にも差し込んだ。
勇者の剣が光を束ねる。
魔王の肺が熱を束ねる。
どちらが合図をすることもなく、ぶつかり合う。
最期の交わりを制したのは……、勇者ツヅリの剣だった。
勇者は、魔王の落ちた首を拾い上げ、胸に抱いた。
「勝敗は決した」
生首が喋った。
「キミは……ッ⁉ まだ生きているのか」
「早くしろ。我の身体が近くの首を求めて動き出す。我を……、首を戦場に投げ落とせ」
勇者が魔王の身体を見ると、ビクビクと動いて立ち上がろうとしていた。
「教えなければ、隙を突くこともできたのではないか?」
「息吹はもう出ず、制御も利かぬ。今更、我の身体が何かをした所で、お前から首を奪うことすらできぬ」
勇者が抱えた生首の目は、大地で争う者たちを憂いていた。
「首でなくとも、構わないだろう?」
そう言って勇者は小さな腕一本で、襲いかかってきた魔王の大きな身体を投げ飛ばした。戦場のど真ん中に落ちた身体から、クモの子を散らすように、両陣営が離れていったのが見えた。
二人は揃ってため息をついた。
「勇者……いや、ツヅリ。これからどうするつもりだ?」
「私の事が気になるか?」
「茶化すな。貴様みたいなバケモノ、我がいなければ扱いは魔王より悪いものになるであろう? 魔族からも、それ以外からも迫害されるぞ」
「そうだな。キミがずっと居てくれればいいのにな」
首が震える。
「寒いか?」
「……構うな、直に死ぬ。いや……、そんなに『我の事が気になるか?』」
魔王の言葉を聞き、勇者は微笑んだ。
勇者は闘技場の端に座り、髪をほどいた。長い夜の黒髪が魔王を暗闇に包み込んだ。血が抜けた首には、勇者の体温、暗闇すらも温かく感じられた。
「温かい。これが“姉の胸”というものか? 魔王になる前に、人の書で読んだことがある。燃やし尽くす魔王の身となっては、書を読むこともできなくなったが……ずっと憧れていた」
勇者が生首をつよく抱いた。魔王を抱けるものすらいなかったのだろう。
「残念だが、私は男だ。姉にはなれない。」
「たしかに、“温かく柔らかい”と書いてあったが、貴様の胸は硬すぎる。うむ、まこと残念だ……」
暗闇の中、ふたつの太陽が魔王を穏やかに見つめていた。
「魔王よ。名を教えてくれないか?」
「無い。幼い頃の名は、魔王になった時に捨てた」
「それで良い。幼い弟への呼称を、大人になっても姉は呼ぶものだ」
「そういうものなのか」
「ああ、硬くてすまないが、姉がわりに胸を貸してやろう」
「――――・――――――」
小さな声が名を告げる。
「しかし、この名は嫌いだ。生まれ変わったら、貴様が……ツヅリが姉になってくれたなら、もっと良き名にしてくれ」
「そうだな。それまでに新たな名を考えておく」
魔王は暗闇の中、ふたつの温かい太陽を感じながら目を閉じていく。
「我とツヅリが、もっと早く出会っていれば、もっと、いろいろと、違っていたのかもしれないな」
「ああ、今はこの名で許してくれ、――――」
名を呼ばれた魔王……、たったひと時の弟は、静かに息を引き取った。
言葉を発しなくなった死首を抱きながら、勇者は剣を投げ落とす。
剣は遥か下方、塔の根本に刺さり、二人を乗せた円盤が傾いていく。
「行こう。キミが安らかに眠れるように」
弟を抱いた勇者の背を、黒い影が押してくれた。
【前奏曲の終わり ~End of prelude~】 50




