3 失望
ルナリアは屋敷に戻ると、父の執務室に行き、リドルに関する報告書の承認を受けた。
書類にこっそり自分の書いた手紙を同封し、大公に送る。
グウェン家からのリドルに関する報告書だけは常に大公だけが目を通すことになっていた。
そのためルナリアからの手紙は確実に彼に届くだろう。
アインス大公は、亡くなった母と王立学院の同窓で、友人でもある。
母の存命中はたびたびイーラの森の視察に訪れ、ルナリアのことも可愛がってくれていた。
父が再婚してからは来訪が途絶え、疎遠になっていたが、最後に会った時、困ったことがあればいつでも頼ってほしいと言ってくれた。
(大公様ならきっと助けてくださるわ)
ルナリアはそう信じていた。
***
事が起こったのは四日後のことだった。
父の執務室に呼ばれ、明日のパーティーでユリアナを後継者として披露すると告げられた。
予知夢の光景は脳裏に焼き付いている。
殴られないよう口答えせず、ただ悲しげに俯くだけにしておいた。
父は馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、一枚の紙切れをひらひらと振って見せた。
(あれは、大公様に出した手紙だわ)
顔色を変えたルナリアを見て、父は薄笑いを浮かべた。
「リドルの書類に忍ばせるとは、ずいぶんと小賢しいまねをするものだな。だが、すでに後継者変更の届けは出してある。今さら何をしようと無駄なことだ。それから、パーティーに大公は来ないぞ。今は隣国に行っているそうだ。欠席の返事があった」
「そんな……」
ルナリアが崩れるように床に膝をつくと、父は容赦なくその頬を張った。
「何度罰を受けても身の程をわきまえぬとは、本当におまえは愚か者だ」
(結局、殴られるのね……)
熱を持った頬に手を当て、ため息をつく。
書類はルナリアが封をして送った。
それがここにあるということは、大公に渡る前にひそかに回収したのだろう。
ルナリアが不審を抱かぬように、わざわざ書類に封までさせてから奪うなど徹底している。
つまり、これまでも同じようにルナリアの書いた報告書が握りつぶされた可能性があるということだ。
「今回だけは見逃してやろう。次にこのようなことをすれば、命はないと思え」
父が勝ち誇ったように笑みを浮かべながら言い放ったところで、慌ただしくノックの音が響き、執事が飛び込んできた。
「旦那様、大公様がお見えになりました」
「なんだと?」
驚きの声を上げた後、父はルナリアをにらみつけた。
「まさか、おまえが?」
ルナリアは素知らぬふりで、首をかしげて見せた。
(これ以上殴られるのはごめんだわ)
父も義母も気付いていないが、この家には大公の息のかかった、アリスという侍女がいる。
万が一、手紙が大公に渡らなかった時のことを考えて、その侍女に口頭で伝言を頼んでいた。
彼女がどうやったのかはわからないが、伝言は無事に届いたらしい。
「仕方ない、客間にお通ししろ。私もすぐに行く」
「それが、その、ルナリア様もご一緒にとのことで」
「くっ」
父は唇を噛むと、
「早く着替えてこい」
嫌みのつもりでわざとのろのろ立ち上がって部屋に戻ると、すべてわかっていますと言いたげにうなずいたアリスともうひとり、侍女のミリアが控えていて、身支度を調えるのを手伝ってくれた。
ミリアはこの家に来たばかりで、まだ所属が決まっていない。
やや空気を読まないところがあり、義母や義妹には受けが悪いが、ルナリアを軽んじるようなこともなくきちんと仕事をしてくれるので気に入っていた。
「お顔の腫れはお化粧でもごまかせませんね」
「いいのよ。ぜひとも大公様に見ていただかないと」
「あの方の怒り狂う様が目に浮かびます」
アリスは表情も変えずそう言ったが、ミリアは顔をひきつらせている。
のんきな彼女もさすがに大公の怒りを買えば、この家はどうなるのかと心配になったらしい。
「大丈夫よ。あるべき姿に戻るだけだわ」
(そう、イーラの森を守るためにも、当主の座を譲るわけにはいかない)
ノックをして部屋に入ると、父の向かいに座っている四十がらみの金髪碧眼の男が驚いたように目を見開いた。
「ルナリア・グウェンが大公殿下にご挨拶いたします」
「ああ、久しぶりだな」
大公は立ち上がってルナリアの手を取ると、自分の隣に座らせた。
「元気そうで何よりと言いたかったが、そういうわけにはいかないようだな。誰にやられた?」
「父です」
「おまえっ!!」
あっさり答えると、父が立ち上がってルナリアを怒鳴りつけようとした。
「オスカー、黙れ」
怒気をはらむ、地を這うような低い声で叱責され、父はあわてて口をつぐんだ。
「おとなしく座っていろ。聞きたいことはいくつかあるが、まず最初になぜユリアナに家を継がせようとしたのか説明してもらおう」
「それは、その、ルナリアの体調が優れず、当主の仕事はつとまらないだろうと。ユリアナもグウェン家の血を引いているのですから問題ないだろうと思ったのです」
「イーラの森の守護者に認められなければ、森の管理者であるグウェン伯爵家の跡目は継げない。ユリアナは守護者から祝福の言葉を授けられたのか?」
祝福の言葉は一種の呪文のようなもので、受け入れる側の存在である人間が誕生の際に唱えなければ、リドルはこの地に生み出されることなく、母体であるイーラの木の中で朽ちていく。
「そんなもの、ルナリアがユリアナに教えれば良いことでしょう? なぜ、伯爵家の後継を見えもしない守護者とやらに決められなければならないのです?」
不満げに訴える父を前に、大公は大きなため息をついた。
「逆に問いたい。なぜ、おまえが後継者を決められるのだ?」
「は? それは私がグウェン伯爵だからでしょう」
「そもそも前提が間違っている。守護者は自らが認めた者の前にしか姿を現さない。彼の姿を見たことがないという時点で、おまえはグウェン家の当主たる資格がない。もともとルナリアが成人するまでの代理でしかなかったおまえに、なぜ後継者を決める権利があると思えるのだ?」
「代理ではありません。カリナが死んだ後、私が伯爵位を継ぐと書類にありましたし、サインもしました」
「喜びのあまり、よく読みもしなかったのだろう。ちゃんと代行と書いてあったし、ルナリアの成人と同時に爵位を返すとも書かれていたよ」
「まさか、そんなはずは……」
呆然とする父に向かい、大公は追い打ちを掛けるように言葉を放った。
「邪魔者はいなくなったから、愛するアメリアとユリアナを伯爵家に迎えられると、そればかり考えていたのかな? ユリアナはおまえとアメリアの間に生まれた娘だろう?」
「はい?」
いきなり投げ込まれた爆弾発言に、思わず間抜けな声が出てしまった。
「ああ、すまない、ルナリア。後でこっそり教えようと思っていたのに、怒りのあまり思わず口にしてしまった。相当、頭に血が上っていたようだ」
「ユリアナがお父様の子ども? それって、つまり、ふたりはずっと不倫してたってことですか?」
「残念ながら、そういうことだ。オスカーの身辺を調べていくうちにいろいろ明らかになったことで、証人もいる。子爵との離縁はアメリアが言い出したことだが、あっさり受け入れられたのは彼もユリアナがオスカーの娘だと知っていたからだよ。カリナもふたりの関係に気付いていたから、自分の死後、ルナリアを守ってくれるよう、私に頼んでいた」
(お母様……)
母はずっと父に対してどこか他人行儀に接していると感じていた。
父がリドルを道具のように扱うことに怒っているからだと思っていたが、それだけではなかったのだ。




