26 兄と弟
エリスは騎士たちによって密かに牢へと連れて行かれ、室内には虚ろな静寂が立ちこめた。
「異母兄上」
いきなり呼びかけられた国王はびくりと体を震わせ、ゆっくりと首を巡らせてヴァンレードを見た。
「本当に、エリス嬢が眠り薬でなく毒薬を使おうとしていたことを知らなかったのですか?」
「当たり前だ。知っていたら、絶対にやらせなかっただろう」
「ですが、俺に薬を盛ること自体は止めなかった」
「ただの眠り薬だ。何の問題がある?」
開き直ったような国王の態度に、ヴァンレードは疲労感をにじませ、深く吐息をついた。
「エリス嬢を信じたかったのかもしれませんが、それでも俺の命を彼女に預けるようなことはしていただきたくなかったと申し上げているのです。彼女の計画を黙認したことで、陛下はご自身の考えをお示しになったのです。王弟の身に危害が及んでも構わないと」
「断じてそのようなことはない。おまえは王立騎士団の団長だ。この国の守護神だと思っている」
国王はむきになって彼の言葉を否定した。
「俺があなたをお守りしたいと思うのは、国王に対する忠誠心からだけじゃない。あなたが俺のたったひとりの兄だからです。なのに、あなたは俺に対して肉親の情などお持ちではなかったのですね」
「誤解するな。私は国王としての立場があるゆえあまり態度に出せなかっただけだ。母が違えど、おまえは私の大切な弟だ」
「失礼ながら、本当にそうでしょうか? 俺のことを信頼していなかったでしょう? 気づいていましたよ。陛下は俺が健康であることに、ひどく腹立たしい思いを抱いておられた。もし、陛下と同じように体が弱かったなら、俺は王位を脅かす存在だなどと言われたりはしなかったでしょうから」
ヴァンレードの口調に国王を非難するような響きはなかった。
ただあまりにも堅苦しくよそよそしい物言いが、ふたりの間に深い溝ができたことを物語っている。
(彼はお兄様の仕打ちに絶望しているのだわ)
ヴァンレードの表情からは深い悲しみと、どこか諦めのようなものが感じられた。
「王家を離れることを望みましたが叶えられませんでした。ですから、わざと粗野な振舞いをし、王弟としての品格がないと示す努力をしました。そうすれば、陛下が安心なさると思ったからです。でも、そうではなかった。俺の存在そのものが、あなたを苦しめるようですね」
「ヴァン? 何を言っている?」
ヴァンレードはベルトに刺していた短剣を抜いた。
「古くから王国に伝わる掟があるでしょう? 〝自らの手で自身の体に傷をつけた者は、永久に王位継承権を失う〟。つまり、自傷行為を行った者が王位を継ぐことはできない‼」
強い口調で叫ぶように言うと、彼は短剣を自分の右頬にあて、上から下へと一気に切り裂いた。
「これで、あなたは無用の心配をせずにすむ」
傷口から血があふれ、首筋を伝い、肩までも赤く染める。
呆然と立ち尽くしていたルナリアは、それを見てはっと我に返り、ヴァンレードに駆け寄った。
「お医者様を呼んで‼」
フェンリルに頼んでから、ヴァンレードを座らせ、ドレスの袖を破って傷口に押し当てた。
「ずっと苦しかった。だから、もうこうするしかなかったんだ」
痛みに顔を歪めながら、ヴァンレードはとぎれとぎれに言葉を紡いだ。
「わかったわ。でも、お願いだから今はしゃべらないで」
(ヴァンがここまで追いつめられていたなんて……)
ルナリアは胸が締めつけられる思いだった。
*
駆けつけた医師によって応急処置をほどこされた後、ヴァンレードはすぐに部屋へと運ばれた。
治療を終えてベッドで眠る彼の傍らを、ルナリアはひとときも離れず見守り続けた。
「ルナ」
そんな彼女を気づかうように、背後からフェンリルが遠慮がちに声をかけた。
「マーラが目を覚ました」
「ほんと? 具合はどう?」
「見たところ、元気そうだ。体じゅう調べてみたが、どこも異常はなかった。ただ、体内に虫の影響が残っているかもしれない。いちどイーラの森につれて帰って、守護者に診てもらったほうがいいだろう」
「そうね。わたしが帰国する時に、いっしょに行けるよう頼んでみましょう」
「ヴァンは大丈夫なのか?」
「傷痕は残るけれど、命に別状はないそうよ。精神的にかなりショックを受けてるから、そちらのほうが心配だわ」
「彼は強い男だ。すぐに立ち直るだろう」
フェンリルはなんでもないことのように言ったが、ルナリアは同意することができず、言葉を濁した。
「そうだといいんだけど……」
むろん、ヴァンが肉体的にも精神的にも強い男だということはわかっている。
だが、肉親に裏切られたという痛みは、そう簡単に消えるものではないだろう。
そこへ、ギゼルがやってきた。
「エリス嬢は貴族牢に収監されました」
「そう」
それほど多くの時間を共に過ごしたわけではないけれど、ルナリアはエリスのことが好きだった。
エリスは結ばれることのない相手に執着した愚か者と言われるのかもしれない。
それでも愚かだと言うにはあまりにも彼女の思いが切なくて、ただの執着だと片付けてしまうのは悲しかった。
ヴァンレードを害そうとしたことはもちろん許せない。その結果、カイが毒を受けてしまったのだから。
なのに、やはりエリスを憎むことはできなかった。
(そもそも国王陛下はどういうおつもりだったのかしら?)
毒のこと云々よりも、エリスの計画を止めなかった時点で最初から間違っている。
もし、彼女の言うとおり、己の手は汚さずに誰かがヴァンレードを傷つけるのを願っていたのだとしたら、そちらのほうがよほど許せないと思う。
「陛下はどうされているの?」
「かなりショックを受けられたようで、医師の診察を受けて、今はお休みになっていらっしゃいます」
「そうなのね」
我ながらずいぶん冷たい声が出たと思う。
まったく同情する気が起こらない。
本当に王国の守護神だと思っているのなら、もっと異母弟を大事にしてやれば良かったのだ。
責める気持ちばかりが湧き上がってくる。
国王の言葉は薄っぺらで、行動が伴っていないように思えて仕方がなかった。
「ヴァンは陛下を慕っていたのに……。心の傷は深いのじゃないかしら」
国王に対して憤りを覚えながら、目を閉じたままのヴァンレードの顔をみつめる。
「そんなに心配なさらずとも、団長は強い人ですから大丈夫ですよ」
ギゼルの言葉はルナリアだけでなく、自分自身にも言い聞かせているように聞こえた。
「まもなく夜が明けます。一睡もしていらっしゃらないでしょう。代わりの者をよこしますから、あなたもお休みになってください」
「でも……」
ルナリアはためらった。
(目が覚めるまで、そばにいたい)
ルナリアの思いを察してか、ギゼルは急かすようなことはせず、眠っているヴァンレードに目を向けた。
「まさか、こんなことをなさるとは思ってもみませんでした」
ギゼルの顔に痛ましげな表情が浮かぶ。
「本当に、この方はいつもひとりで決めて、ひとりで動いてしまう。残された者のことなど考えもしないで……」
「きっと、ヴァンはあなたを巻き込みたくなかったのよ」
「わかっています。ですが、それが悲しくもあるのですよ」
ギゼルは微かに笑みを浮かべながら、ルナをみつめた。
「あなたまで倒れてしまうようなことがあれば、後を任された者として団長にあわせる顔がありません。団長がお目覚めになったら、すぐに呼びに行かせます。ですから、少しでもお休みになって、元気な顔を見せてあげてください」
「わかったわ」
ギゼルの思いに胸を打たれ、ルナは素直に立ち上がった。




