17 天の星地の星
列に並んでいくらも経たぬうちに、長身の男がふたりに近づいてきた。
クリーム色の布を帽子がわりに頭に巻き、同じ色のチュニックに、焦げ茶色のズボンをはいている。
「ん?」
どこか見覚えがあるような気がして、まじまじと男をみつめると、彼はルナリアにウインクしてみせた。
(ヴァン⁉)
思わず叫びそうになって、あわてて口を押さえる。
「早かったですね」
ギゼルが声をかけると、ヴァンレードはこともなげに言った。
「ああ、読まなきゃならない書類を放り出して来たからな。かわりに目を通しておいてくれ」
「私がですか?」
「そうだよ。半日遊んでたんだから、それぐらいやってもいいだろう?」
「ルナリア様を案内するのは、あなたに命じられた仕事でしたが?」
「でも、楽しかっただろう?」
「それは、まあ……」
「今度は俺が楽しむ番だ。後はよろしく」
ギゼルはため息をつくと、胸元のポケットから紙切れを取り出して、ヴァンレードに渡した。
「入場券です。あまり遅くならないように。では、私はこれで失礼します」
あてつけのつもりか、ルナリアにだけ礼をして、ギゼルは足早に去っていった。
「あの、これから何があるの?」
「言っただろう? カップルには外せないイベントがあるって」
今まで気づかなかったが、確かに周囲を見ると、カップルばかりというより、カップルしかいないようだ。
ほどなくして入り口の扉が開き、順番に中に入ると、順路が示されている。みんな同じ場所に向かっているようだ。
木立をぬけると、丈の低い野草ばかりを集めた円形の花畑があらわれた。
緑の草の間に色とりどりの花が顔を出している。その中でもひときわ多くの花を咲かせているのがキリカだった。
花畑の周囲にはロープが張りめぐらされ、足を踏み入れることができないようになっている。
そのかわり、縄の外側に土を盛って高台にして、芝生を敷きつめてある。そこに座れば、花畑が見下ろせるという仕組みだ。
ヴァンレードは適当な場所をみつけると、持っていた布を敷いて、ルナリアと並んで座った。
円形の花畑を囲んでいるので、距離が離れているとはいえ、向かいのカップルと目が合ってしまいそうだ。
「ねえ、向こうからもこちらが丸見えよね。ヴァンが来てるって、ばれてしまうんじゃない?」
「大丈夫だ。まもなく陽が落ちる。暗くなってしまえば、何も見えやしないよ」
(真っ暗になったら、花も見えなくなってしまうのに、どうしてみんなここにいるのかな?)
やがて、周囲が闇に包まれ、灯りと呼べるものは、木々の間に置かれた光石の、オレンジ色の淡い光だけになった。
すると、花畑に群生しているキリカの花がいっせいに光り始めた。
五枚の花弁がそれぞれ白い光を放ち、暗闇の中で星のように輝いて見える。
「きれいだわ」
目の前の光景に思わず見惚れてしまう。
「まるで、夜空の星が落ちてきたみたいね」
「昔から、ロイスに伝わる伝説があるんだ」
「聞かせて」
幻想的な雰囲気を壊さない為か、ヴァンレードは低い声で語り始めた。
「戦で傷ついた兵士が恋人のもとへ戻ろうとした。だが、途中で日が暮れてしまい、道に迷ってしまったんだ。その時、遠くにキリカの白い光が見えて、彼はそれをめざしてけんめいに歩いた。そのキリカは兵士の恋人が、彼が生きて帰ることを願って育てていたものだった。おかげで兵士は無事にたどり着き、彼女と再会できたというわけだ」
「素敵ね。わたし、ハッピーエンドって大好き」
「俺もだ。キリカの光に助けられたという話はいくつもあるが、この伝説がいちばん有名で、キリカは〝恋人たちを結ぶ花〟と呼ばれている。だから、年に一度の祭りの日には、夜に光るキリカの花をいっしょに見るために、恋人たちがここに集まるんだ」
「カップルじゃなくても、ここに来ていいの?」
「深く考えることはないさ。とてもきれいだから、あなたに見せたかった。それだけだよ」
夜風が髪を揺らし、頬をかすめていく。
やや肌寒くなったせいか、知らず知らずのうち互いに体を寄せ合っていた。だが、少しも嫌ではなかった。
ヴァンレードがふいにルナリアの手を取った。
そのままそっと抱きしめられたが、驚きや戸惑いよりもなぜか切なさがこみ上げてきて、胸が苦しくなる。
「はなして……」
そう言いかけた時、ヴァンが耳元でささやいた。
「あなたはとてもいい匂いがする。甘く上品な、極上の花の香りだ」
その瞬間、すっと冷たいものが体の中を通り過ぎた。
ルナリアは両手で胸を押すようにして彼から離れると、うつむいたまま、小さな声で告げた。
「あなたは花嫁として、リドルと心を通わせることのできる方を求めているのでしょう? それなら、わたしには資格がないわ。会ったばかりのリドルがわたしになついてしまうのは、この香りのせいだから」
ルナリアはフェンリルから聞いた話を、そのままヴァンレードに伝えた。
当然、失望して怒るものだと思っていたが、彼はゆるやかに波打つルナリアの髪をもてあそびながら、何でもないことのように言った。
「何もしなくても、リドルが向こうから寄って来てくれるのか、それはうらやましい体質だな」
「怒らないの?」
思わず顔をあげてみつめると、微かな光の中ではっきりとは見えなかったが、彼が笑みを浮かべているのがわかった。
「なぜ、怒る必要がある?」
逆に聞き返されて、ルナリアは戸惑った。
「だって、あなたが勘違いしてプロポーズしたのに、わたしが本当のことを言わなかったから……」
「勘違いとは、ひどい言われようだな。もし、あなたの香りに魅かれてリドルたちが寄ってくるのだとしても、あなたがあの子たちを愛していなければ、すぐに離れていってしまうだろう。彼らが人間の感情に敏感であることは、あなたもよく知っているはずだ」
「でも……」
「それに、ここ何日かいっしょに過ごしてみてあらためて思ったのは、あなたが誠実で信頼できる人だということだ。俺はいっそうあなたのことが好きになったし、ずっといっしょにいたいと願っている」
闇の中でルナリアの表情をはっきり捉えようというのか、ヴァンレードはいっそう顔を近づけ、いつもと違う真剣そのものといったまなざしで、こちらをみつめている。
「だから、あなたにも、俺を選んでほしいと思っているよ」
「そ、そんな風に言われたこと、今までなかったから……」
今までに経験したことがないほど、胸の鼓動が激しくなった。顔が火照り、体がぶるぶる震えている。
(どうしよう、なんて答えればいいの?)
顔を背け、視線をあちこちさまよわせながら逃げ場を探そうとしたが、ヴァンレードはそれを許さない。
両手でルナリアの頬を包むようにして、再び自分のほうを向かせると、不安そうにたずねた。
「俺のことが嫌いなのか?」
(違う)
それだけははっきりしている。
「嫌いじゃないわ」
「じゃあ、好きなんだな」
ぞくりとするほど艶っぽく、甘い声。思わずうなずいてしまいそうになる。
(結ばれるはずのない恋だ)
頭の片隅でささやく声がする。
(素直に好きだと答えても、きっと傷つくことになる)
言いたくない。でも伝えたい。
相反する思いを胸に抱いたまま口に出した言葉は、どこか恋しい人を責めるような響きを持っていた。
「わたしは今あなたの腕の中にいるのに、どうしてそんなこともわからないの?」
ヴァンレードは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んでルナリアを強く抱きしめた。
「そうだな、あなたの言う通りだ」
愛を語るように耳元でささやかれた言葉は熱を帯び、いっそう甘く響く。
満天の星が輝き、地上では数多の小さな花々が清らかな光を放つ。
まるでこの世のものとは思えない美しい空間の中で、ふたりはしっかりと抱き合い、初めてのくちづけを交わした。




