16 キリカの祭り
ヴァンレードが長椅子に横たえると、マーラはそのまま寝入ってしまった。
「最近、マーラは昼間でも眠ってしまうことが多いんだ。どこか悪いんだろうか?」
「食べ物が不足している時は、なるべく体力を温存するために眠って過ごすこともあるみたい。でも、マーラはちゃんとイルドの実を食べているのでしょう?」
「ああ、食欲はあるようだ」
「フェンリル、何か心当たりはある?」
「いや、今のところは何も思いつかないが……」
「イーラの森にいる〝守護者〟なら、何か知っているかもしれないけど……」
「〝守護者〟?」
「森でもっとも長く生きているイルドの木の樹霊よ。とても物知りで、わたしのリドルについての知識は、ほとんどが彼から学んだものだわ」
「あなたの師匠なんだな」
「ええ。でも、わたしが森に行かないと出てきてくれないの」
「まだ、あなたを帰すわけにはいかないからな。マーラのことはもう少し様子を見てから判断しよう」
そう言いながらも、ヴァンレードは心配そうに眉を寄せた。
「俺はしばらく街の警備で忙しくなるから、なかなか構ってやれないんだが……」
「何かあるの?」
「そうか、あなたはまだ知らないんだったな。五日後に〝キリカの祭り〟があるんだ。キリカはロイスの国花で、その花の咲く時季に毎年祭りが開かれるんだよ」
キリカならルナリアも知っている。淡いベージュの花びらと、鮮やかな黄色の花芯を持つ可憐な花だ。
自宅の庭にも植えられていたが、母がロイスに住む知人から譲ってもらったものだと聞いている。
「祭りは一日だけだし、それほど大きなものじゃないが、カップルには外せないイベントがあるんだ」
「?」
「いずれわかるさ。祭りの日は令嬢たちも屋敷に戻るそうだ。先生方にも全員、休暇が与えられるから、あなたもゆっくりできるな」
「えっ、講義がないの?」
思わず声を弾ませたルナリアを見て、ヴァンレードはニヤリとした。
「せっかく、ロイスに来てるんだから、祭りの日ぐらい町に出て楽しんでくれ。ギゼルに案内させよう」
「いいの?」
「ああ、陛下の許可は取ってあるし、ギゼルにはうんと言わせた」
「……」
(大丈夫かしら?)
ギゼルがおそろしく渋い顔でうなずく様子が目に浮かぶようだ。
ルナリアは彼に申し訳ない気持ちになった。
だが、ここ何日か、ずっと勉強ばかりさせられていたから、祭りでにぎわう街を歩けるのはとてもうれしいことだった。
ルナは指折り数えてその日を待った。
***
祭りの当日は、国王が先祖の霊や建国の英雄に、キリカの花を捧げる儀式が王宮で行われた。
出席できるのは王族だけとのことで、ルナリアはほっとした。
すっかり休日の気分でいたから、堅苦しい儀式に参列せずにすむのはありがたかった。
着替えをすませて待っていたが、ギゼルも相当に忙しかったらしく、迎えに来たのはお昼を少し過ぎた頃だった。
「遅くなってすみません」
入って来るなり謝罪したギゼルだったが、ルナリアの姿を見て目を細めた。
「おや、これはかわいらしいですね」
「本当ですか? ありがとうございます」
ルナリアは飾りのない、落ち着いた色合いの緑色のドレスに、白いカラーをつけていた。
目立たないようにという配慮から、ヴァンレードがわざわざ届けてくれたものだ。
シンプルなドレスに合わせてアクセサリーは使わず、髪は同じ布で作ったリボンでひとつにまとめた。
「では、さっそく参りましょうか」
町に出てみると、どの建物も淡いベージュのキリカの花で飾られ、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
商店の前にはワゴンがいくつも出て、アクセサリーや色とりどりの布地など、若い娘の目を引きそうなものがたくさん並んでいた。
大通りは人であふれ、売り子たちの威勢のいい声が響く。
襟と袖口に金糸の刺繍をあしらった、青い軍服をまとった騎士たちがあちこちにいて、馬上から道行く人々に目を光らせていた。
「港町のほうもかなりにぎわっていましてね、王都の警備隊はそちらにまわされているんですよ。それで、われわれ騎士団が城下町を巡回しているというわけです」
「お忙しいのに、わざわざ来ていただいてすみません」
「気にしないでください、人手は足りていますから。本当なら、団長がご自身であなたを案内したかったでしょうが、仮にも騎士団のトップですからね。こういう場では部下たちの先頭に立っていただかないと」
すると、まるでギゼルの言葉を聞いていたかのように、通りの向こうから馬にまたがったヴァンレードがやってきた。
彼の姿を見ると、居合わせた人々は歓声をあげて手を振った。
「ヴァンレード様だ」
「騎士団の団長様がいらしたぞ」
彼の姿を見ると、居合わせた人々は歓声をあげて手を振った。
ヴァンレードは微笑をたたえ、軽く会釈することでそれに答えた。
「すごい人気ですね」
驚いたルナリアがギゼルにささやくと、
「そうなんですよ。それがまた困るところでもあるんですが」
「どうしてなのですか?」
「まあ、理由はいろいろと。でも、これで団長があなたと祭りに行けない訳がおわかりいただけたでしょう?」
「ええ」
ヴァンレードは供をつけず、単独で行動しているようだ。
巡回中の部下をみつけると、声をかけて現況を聞いている。
人々の歓声を浴びる馬上の彼は、自分の知っているヴァンレードとは違う人のようだ。
いつもよりずっと遠くに感じて、さびしい気持ちになった。
(こんなこと思うなんて、どうかしてるわ。今までだって、それほど近い人でもなかったでしょう?)
軽く頭を振ってヴァンレードから視線をそらし、ギゼルに話しかけた。
「何か、おいしい物が食べたいです。どちらのお店がいいのでしょうか?」
リクエストに応え、ギゼルは食堂や居酒屋が立ち並ぶエリアに、ルナリアを案内した。
食堂だけでなく、酒場も店の前に小さな屋台をしつらえ、まだ昼間だというのに、食べ物だけでなく酒も出していた。
ルナリアは薄く焼いたパンに、甘く煮た木苺をはさんだものをほおばり、香りのよいミントのお茶を楽しんだ。
それから、大道芸人たちが技を競う広場に行き、屋外の劇場では、旅回りの一座の芝居を観劇した。
楽しい時間はあっというまに過ぎ、陽が傾き始めた。
「さて、そろそろ時間ですね」
ギゼルがそう言ったので、てっきり城に帰るのだと思ったが、彼はまったく逆の方向に向かって歩いて行く。
「どこへ行くのですか?」
「王立植物園ですよ」
ほどなく茶色のレンガづくりの門が見えてきた。門扉は閉まっていたが、その前には行列ができている。
「申し訳ないですが、一緒に並んでいただけますか?」
ルナリアは訳もわからぬまま、行列に加わった。




