14 それぞれの夜
(なんだかよくわからない人だわ)
エリスの去った方をながめ、ぼんやりしていると、小走りでやってきた侍女がにこりともせずに告げた。
「お勉強のお時間です」
(お勉強って?)
わけもわからぬまま王立図書館に案内されたが、勉強しなくてはならないのはルナリアだけのようで、個室に連れて行かれた。
ロイス王国の歴史からしきたりや作法など、次々と教師がやってきて長々と講義をしていく。
学ぶことは好きだったが、歓迎されていないのは明らかで、やたらと厳しい言葉を浴びせられ、ほとほと参ってしまった。
しかも、夕食はマリアやエリスと一緒に広い食堂で侍従に給仕されながらの食事で、ほとんど会話も交わされず、ルナリアは緊張のあまり食べた気がしなかった。
「ふうっ」
ようやく一日のスケジュールが終えて部屋に戻ると、着替えもせずベッドに倒れ込んだ。
すると、隣の部屋に通じるドアがノックの音とともに開き、フェンリルが入ってきた。
彼は〝フェン〟という名で、グウェン家の侍従だということにしてある。
ギゼルが用意してくれた焦げ茶色の上着と黒いズボンを身に着け、首元には白いクラバットを結んでいる。
長い髪は肩にかかるぐらいの長さで切りそろえ、黒いリボンを使って首の後ろでひとつにまとめていた。
「似合っているけれど、あなたには少し地味かもしれないわね」
ルナリアが素直に感想をのべると、フェンリルも同意するようにうなずいた。
「もっとあざやかな色が良いのだが、目立たないようにしていろと言われた。以前は軍服ばかりだったから、違うものが着られてうれしい。本当は美しい衣装が好きだから、できるならドレスも着てみたいと思っている」
「ドレス?」
ルナリアは驚いて目を丸くした。
考えてみれば、リドルには性別がないのだから、ドレスを着てもいいのだろうが、どうにもしっくりこない。線の細い顔立ちは中性的だが、フェンリルの仕草や雰囲気は男性に近いように思えた。
実際、初対面の時から、ルナリアだけでなくヴァンレードも、自然に男性として接している。
「長い間、軍服を着て戦っていたから、男性としての振る舞いが身についてしまっただけだ。ドレスを着るようになったら、また変わるだろう」
「わかったわ、近いうちに試してみましょう。ちゃんと採寸してもらって、オーダーメイドのドレスを作るの」
ルナリアの提案にフェンリルはうれしそうにうなずいたが、すぐにはっと我に返ったようにクールな表情に戻った。
「そのような話をしにきたのではなかった。ヴァンからの差し入れを持って来たのだ」
彼がバスケットから取り出したのは、ガラスの鉢に盛った、真っ赤に熟した苺だった。
「うわあ、おいしそう。苺、大好きなの」
「あまり食が進まなかったようだと伝えたら、届けてくれた。なかなか細やかな気づかいをする男だな」
「そうね」
(最初は荒っぽくてがさつだと思ったけれど、本当は繊細で優しい人なんだわ)
甘酸っぱい苺を存分に味わいながら、ルナは自分のことを気にかけてくれる人が
いるということを、心からうれしく思った。
*
夕食を済ませた後で、エリスはマリアの訪問を受けた。
彼女が供もつれずにひとりで会いにくるなど、王宮に来てから初めてのことだ。
「ねえ、あの娘のこと、どう思う?」
「ああ、ルナリア嬢ですか……」
(やっぱり、気になってしょうがないのね。まあ、無理もないけど)
エリスは笑いをかみころしながら、さりげなく答えた。
「素朴で、謙虚な人柄かと」
それを聞いて、マリアは口をとがらせた。
「垢抜けない田舎者よ。どうして、あんな子が選ばれるの?」
「仕方ないですよ。初対面で、ヴァンレード様のリドルが懐いてしまったそうですから」
「本当に、それだけの理由なのかしら?」
「確かめたいなら、リドルと仲良くなってみてはどうでしょう? 幸い、彼女も協力すると言ってくれましたし」
「あの娘の力なんて借りたくないわ」
「結果的に自分の利益になれば良いのですから、利用できるものは利用なさったほうが賢明なのでは?」
「あなたはどうするつもりなの?」
「わたしも花嫁候補として、一応の努力はしたということを、父に報告しなければなりません。ですから、彼女の好意を受けるつもりですわ」
「花嫁になりたくないと言いながら、やる気満々じゃないの」
マリアは細い眉をつりあげ、エリスをにらみつけた。
「あなたみたいな人がいちばん油断ならないわ」
そう言い捨てて、マリアは部屋を出て行った。
(わたしに八つ当たりしても仕方ないでしょうに)
苦笑しながら、その後ろ姿を見送ったエリスは、他人事のようにつぶやいた。
「さて、花嫁選びはどうなるでしょうね。できれば決着がつく前に、あの方に動いていただきたいのだけれど」
*
さらに夜が更けた頃、別の部屋でも同じ問いが投げかけられていた。
「あの娘をどう思う?」
鏡台の前で侍女に髪を梳いてもらいながら、カリナ王妃は鏡越しにデリクにたずねた。
彼は王宮の警備隊長だが、王妃がイルミラからつれてきた騎士だということもあり、特に王妃の身辺に気を配るよう、国王から直々に命を受けていた。
「特にこれといって目立ったところのない、平凡な娘に見えますが」
背後に控えていたデリクは慎重に答えた。明らかに不機嫌そうな主を、これ以上、不快にさせるわけにはいかない。
「あの気難しい変わり者で、扱いづらいヴァンレードが結婚しようというのよ。ただの小娘であるはずがないわ。まさか、ラース王国を利用して何か企んでいるのかしら?」
「それはないでしょう。あのような小国と組んだところで、メリットがあるとは思えません」
「国王陛下は相変わらずご病弱で、薬が手放せないわ。王子はまだ二歳なのに、陛下にもしものことがあったらと思うと、夜も眠れないの」
「お医者様の話では、陛下は少しずつですが、以前より体力がついてきているそうです。陛下を心配されるあまり、王妃様がお体を壊されるようなことになっては……」
「不安なのよ」
デリクの発言をさえぎるようにして、王妃はさらに訴えた。
「ヴァンレードの評判は、あなたも聞いているでしょう? 誰かがその人気に目をつけて、手を組もうと持ちかけたら?」
「そんなことにはならないでしょう。貴族たちは、商人の娘を母に持つ者を王位につけたいとは思わないはずです。ましてや、今は正統なお世継である王子様がいらっしゃるのですから」
王妃はいらだたしげに手を振って侍女を下がらせると、デリクに向き直った。
「つまり、あなたはこの状況を黙って見ているしかないと言うのね」
ぞっとするほど冷たい口調だった。
デリクは思わずその場にひざまずいた。
「王妃様のご命令とあらば、どのようなことでもいたします。ですが、不安に思われるようなことは何もないのですから、行動を起こす必要はないと考えます」
「もういいわ、下がりなさい。しばらくあなたの顔は見たくない。明日から他の者をよこして」
「承知いたしました」
王妃の部屋を出て、王宮の長い廊下を歩きながら、デリクは思案に暮れた。
彼は王宮だけでなく、城下町を歩いてさまざまな情報を得ていた。
すべては王妃のためだったが、それらの情報から判断しても、先ほど述べた自分の意見が正しいと思っていた。だからこそ、王妃がまったく耳を貸さなかったことに、強いショックを受けていた。
(あそこまで強い不安を抱いておられるとは……)
デリクはもともとイルミラ王国の騎士で、輿入れする王妃についてこの国に来た。
愛国心の強い彼にとって、故国を離れるのはつらいことだったが、王妃のために働くことがイルミラに尽くすことだと信じて、せいいっぱい努めてきた。
(だが、王妃様は変わってしまわれた。以前はあれほど頑なでも、猜疑心の強い方でもなかったのに……)
王妃が恐れているのは自らが作り上げた妄想にすぎない。デリクはそう考えている。だが、ヴァンレードが王宮にいる限り、彼女はその存在におびえ続けることだろう。
(あいつへの恐れが、王妃様の心を確実に蝕んでいる)
十五の時からもう十年以上も、ずっとそばにいて見守ってきた。彼女が壊れるのを見たくはない。
(私に何ができるだろう?)
いくら考えても答えは出なかった。
手にした燭台には明かりが灯っているのに、デリクは自分が闇夜をさまよっているように思えてならなかった。




