11 エクス・リドル 3
幼い頃からずっと、イーラの森がルナリアの遊び場だった。
イルドの花は年中咲いているが、一日のうちでどの時間帯に開花するかはわからない。それゆえに、いつも決まった時間に見まわるだけでは、なかなか開化の瞬間には出会えない。
その点、一日の大半を森で過ごしていたルナリアは、それこそ数えきれないぐらい、イルドが花開く瞬間を見てきていた。
その魅力的な香りを何度も胸いっぱい吸い込んだことがある。
「でも、そのことが原因だとは知りませんでした。自分の香りがイルドの花と同じだとは思っていませんでしたし」
「むろん、人間には体臭があるから、まったく同じではありえない。だが、おまえから発する香りに、リドルたちは無意識に懐かしさを感じて引き寄せられるのだろう。そして、母なる木と同じ匂いを持った者に、子供のように愛されたいと望むのかもしれない」
「……そういうことだったのですね」
リドルたちが無条件に懐くのが自分の体から発する香りのせいだということは、イーラの森の守護者に教えてもらって知ってはいたが、なぜこのような体質になったのかをたずねたことはなかった。
できる限りふれたくない事実だったから、ずっと向き合うことを避けていたのだ。
今までなんとなく疑問に思っていたことが、フェンリルの話を聞いて、すべて腑に落ちた。
だが、疑問が解けたところで、ルナリアの体から発する香りのせいで、リドルたちが好意的なのだと言う事実に変わりはない。
「お願いです。このことは誰にも言わないでください」
「なぜだ? べつに恥じることではないだろう」
「リドルたちと仲良くなれるのが、この体質のせいだと知られたくないんです。わたしが香りでリドルを操っていると誤解されるかもしれません」
「たとえ香りでひきつけたとしても、おまえがリドルに優しい人間でなければ、いずれ見向きもされなくなる。今でもおまえがリドルと友好的な関係を築けているのなら、それは体質のせいだけでないだろうに」
そうは言ったものの、ルナが必死の面持ちで頼むのを見て、フェンリルは黙っていようと約束してくれた。
「そのかわりというわけでもないが、わたしの頼みをきいてほしい」
「なんでしょうか?」
「わたしの主になってくれないか?」
「え?」
(主ってどういうこと? いや、リドルの主って、そもそもイルドの実を与えて世話をする人よね。でも、この人、そんなこと全部自分でできそうだし。そもそも、リドルは自分で主を選べないわ。あ、でも、普通のリドルはしゃべれないのよ? 主になってほしいなんて言えないから、人間が勝手に主だと主張してるだけで、つまり……)
考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。
ついにはあきらめて、本人にたずねることにした。
「主って何ですか? わたしは何をすればいいんでしょう?」
「とりあえず、そばにいることを許してほしい。それから、長い間眠っていたせいでわからないことが多いから、今の世界について教えてもらいたい。そのかわりと言ってはなんだが、わたしはおまえたちが知るリドルよりできることが多いから、助けが必要な時は手を貸そう」
「そういうことでしたら、特に断る理由はないですけど……」
「わたしに敬語を使う必要はない。おまえは主なのだから」
「どうして、わたしを主に?」
「わたしを目覚めさせたのがおまえだからだ」
(……それは責任を取れということかしら)
至極当然のように言われ、もはやうなずくしかない。
そこへヴァンレードが着替えを持って戻ってきた。
「シャツと軍服のズボンを持ってきた。あとでもっとふさわしいものを用意させるから、少しの間、これで我慢してくれ」
フェンリルが服を着ている間に、ルナは事情を話し、彼をそばに置きたいとヴァンレードに頼んだ。
「〝エクス〟だとばれなければ大丈夫だろう。あなたがしばらくここに滞在すると聞いて、ラースから新たにやってきた従者だとでも言っておくか」
「ありがとう」
「だが、食糧の問題があるな。あんなに大量のイルドの実を、毎日用意させるのはたいへんだぞ」
「その心配はない」
着替えを終えたフェンリルが、ヴァンレードの不安を一蹴した。
「先ほどは目覚めたばかりでイルドの実が必要だったが、わたしは他の果実でも生きられるから、普段はもっと安価なもので構わない」
「それは助かる」
ヴァンレードは安心したようにうなずいたが、目の前に立ったフェンリルを、今はじめて見るようにまじまじとみつめた。
「木像でいた時よりも数倍美しいな。そのきれいな青い目のせいかな」
「それだけじゃないと思うわ」
ルナリアも最初はフェンリルの瞳に魅せられた。
だが、今は繊細な顔立ちから、優雅な身のこなしまですべてが美しく感じられる。
「上品で物静かなのに、生気にあふれてると言うか、何か全身から強い力を感じるの」
「ああ、それは俺にもわかるよ。しかし、伝説の〝エクス〟はとても美しいと聞いていたが、これほどとは思わなかった。素晴らしいな」
「おまえたちは外見のことをあれこれ言いすぎる」
フェンリルは顔をしかめたが、ヴァンレードはまったく気にする風もなく、堂々と言い放った。
「美貌も天から授けられた才能のひとつだと思うぞ。自慢していい」
「そのような考え方は理解できないな」
論争が始まりそうな気配を感じ、ルナはあわててふたりの会話に割って入った。
「フェンリル、申し訳ないけど、ここにいる間、あなたにはわたしの従者になってもらうわ。だから、今はいいけど、他の人の前では私たちにも敬語を使ってね」
「承知した」
それから、ルナリアはヴァンレードにあらためて感謝の気持ちを伝えた。
「いろいろ気を使わせてごめんなさい。本当にありがとう」
「フェンリルのためだろう? 気にすることはないよ。俺はリドルには甘いんだ。それに、彼は英雄とともに国のために戦った特別なリドルだからな。敬意をはらわないと」
ヴァンが笑顔でそう言った時、ノックの音がして、ギゼルが入ってきた。
「やっぱりここにいたんですね。侍女が半泣きでルナリア様を捜しまわってますよ」
「ごめんなさい」
ルナは小さくなって謝った。
「ところで、そちらの方は?」
「ルナの従者だ。急いでいらしたので荷物が間に合わなかったようだ。着替えなどをそろえてあげてほしい。部屋はルナの隣に用意してくれ」
ギゼルは不審そうな顔をしたが、ヴァンの表情を見て、心得たというようにうなずいた。
「わかりました。訳ありなんですね」
そして、それ以上いっさい何も聞こうとはせず、ルナリアに向かって声をかけた。
「では、お部屋にご案内しましょう」




