9 エクス・リドル 1
ギゼルが出て行ってから、二十分ほど経っただろうか。ようやくヴァンレードが戻ってきた。
「ああ、良かった。まだここにいてくれたか」
カイはまだ眠っていたが、三人が仲良く座っている姿を見て、彼は目を細めた。
「なんて美しい光景なんだ」
(そんなのんきなことを言ってる場合?)
ルナリアはいら立ちを押さえきれず、ややつっけんどんに聞いた。
「それで、どうなりましたの?」
「ふたりきりの時は敬語はやめてほしいな。堅苦しくていけない」
「では、お言葉に甘えて遠慮なく言います。話をそらさないで、きちんと説明してほしいの」
「わかった」
ヴァンレードは肩をすくめると、すらすらと話し出した。
「取り繕いようがないから、陛下には正直に話したんだが、思ったほど怒られなかった。まあ、本気にしてもらえなかったと言ったほうが正しいかな。俺が縁談をおしつけた陛下へのあてつけで、あなたと結婚したいと言い出したのではないかと疑っているようだ」
(そう考えるのも無理ないわ)
ルナは内心そう思ったが、ヴァンはいかにも心外だというように否定した。
「そんな大人げないこと、するわけないのになあ。それで、陛下は俺が本気なら考えてもいいと。だが、陛下が選んだ女性たちにも機会を与えるべきだと言うんだ」
「陛下は具体的にどうしろとおっしゃったの?」
「じつは昨日から、俺の花嫁候補として、ふたりの令嬢が王宮に来ている」
「ええ。そのことは先ほどギゼルから聞きました」
「あいつはさすがだな。それなら話が早い。陛下は彼女たちにも、同じ期間だけ滞在してもらい、俺のリドルたちと頻繁に会わせるようにしろと。だから、あなたにふたりの世話をしてもらえなくなった。リドルと過ごす時間が、彼女たちと同じになるよう制限されてしまったんだ。それから、あなたには令嬢たちと同じ棟の客室に入ってもらい、さらに彼女たちと同じスケジュールで生活してもらうことになった」
(やっぱり面倒な話になってきたわ)
ギゼルの話を聞いて、ある程度は覚悟していたものの、やはり憂鬱な気分になる。
「すまないと思っているよ。こんなことに巻き込んで」
さすがにヴァンレードも決まりが悪そうだ。
「だが、王宮の誰もが、カイは俺にしか懐かないと思っている。そうじゃないことはあなたも知っているはずだ。たとえ主でなくとも、リドルの存在を受け入れ、優しくしてくれる人になら彼らは心を開く。皆にそのことをわかってもらいたいんだ」
「そうね」
彼の言うとおり、心を尽くして接していけば、リドルは必ず懐いてくれる。
主がいちばんであることは変わりないが、それでも、共に幸せに暮らしていける。
ルナリアもリドルを愛し、つねに仲良くなりたいと考えて行動している。
だが、初対面のリドルにここまで強烈に懐かれてしまうのは、そのような努力の賜物ではないのだ。
そのことを思うと、リドルたちだけでなく、ヴァンに対しても後ろめたい気持ちになる。
本当の理由を話せば、彼も失望して、ルナを花嫁になどと望まなくなるだろう。
(フェアじゃないのはわかってる。だから、わたしは花嫁にはならない)
ふたりの令嬢のうち、どちらかだけでもカイと仲良くなれれば、ヴァンの考えも変わるだろう。そのためにも、陰ながら彼女たちに協力しようと考えた。
「うまくやれるかどうかわからないけど、できる限り協力するわ。リドルに会う時間が減るのは淋しいけれど、この子たちについてもアドバイスはさせてもらっていい?」
「もちろんだ。ありがたいよ」
自分が花嫁になるという考えはもともとなかったが、彼の花嫁が選ばれるのを見届ければいいのだと考えると、さらに気が楽になった。
気持ちに余裕が生まれたせいか、ここでようやくロイスに来た目的のひとつを思い出した。
「あの、ひとつ聞きたいことがあるの。ロイスに〝エクス・リドル〟がいるという噂を聞いたのだけれど、何か知ってる?」
「伝説のリドルだよな。その噂なら俺も聞いたことがあるが、ただのデマだな」
「そうなの?」
「じつは王宮の倉庫に、〝エクス〟をモデルに作ったといわれる木彫りの像があったんだ。それが、誤って伝わったのだと思う」
「〝エクス〟をモデルにした像? きっと美しいのでしょうね。見てみたいわ」
ここぞとばかりにお願いのまなざしでみつめると、ヴァンレードはあっさりとうなずいた。
「ああ、いいよ。今は俺の部屋にあるから」
「え?」
「俺も伝説のリドルに興味があったから、陛下にくださいと頼んだら、快く譲ってくださったんだ」
「なるほど」
(たしかに、他に欲しいなんていう人はいなさそうだものね)
ヴァンレードの私室は庭に面していて、居間と寝室を兼ねているようだった。
天蓋付きのベッドと、テーブルに椅子が二脚、家具はそれだけだ。
木彫りの像は陽射しを避けるため、壁際の一隅に置かれていた。
「これが〝エクス〟の姿なの?」
ひとめ見て、がっかりした。さぞ美しいだろうと、期待に胸を躍らせていたのだが、見事に裏切られたのだ。
それはなんともいえぬ奇妙な像だった。
台座の上に、人がひざを抱えて座り、顔をまっすぐ前に向けている。目は閉じられ、くせのない長い髪が、衣服のかわりに体をおおっていた。
一見しただけでは、男か女かもわからない。
「伝え聞いた話によると、それは三体の〝エクス〟のひとつ、〝フェンリル〟の像らしい。彼はラースのナディール候のリドルで、主とともに戦場に出ていたと聞いている」
「ええ、知っているわ。ナディール侯爵は故国の英雄だもの。でも、もう百年近くも前のことで、彼の家系はすでに絶えてしまった。フェンリルの行方もわからないままよ」
「この像がいつのものかはわからない。ロイスはラースと同盟を組んで戦ったこともあったから、それを記念して、誰かが献上したのかもしれないな」
「そうね。でも、何もこんなポーズにしなくてもいいのに。顔は彫りが深くて整っているけれど……」
製作者のセンスを嘆きながら、近くに寄ってしげしげとみつめていると、妙なことに気づいた。
「あら、こんなところに傷があるわ」
むきだしになった肩のあたりに、剣で斬られたような傷が斜めに走っている。
「どこでつけられたのかしら」
「倉庫でみつけた時にはもう、そこに傷があったぞ」
「痛々しいわ。どうにか直せないものかしら」
つぶやきながら、そっと傷にふれた時、どこからか声が響いてきた。
(水がほしい……)
「えっ? 今、何か言った?」
「いや、俺は何も」
振り向いてたずねたが、ヴァンレードは首を振った。
「でも、水が欲しいって……」
そう言いかけて、はっとした。
(まさか……)
とても信じられないが、有り得ないことではない。
「ヴァン、これを運んだのは誰かしら?」
「俺が部下に頼んで、ふたりで持ってきた」
「ずいぶん軽いと思わなかった?」
「ああ。いったい何の木でできているんだろうと驚くほど軽かった。専門家を呼んで調べてもらったが、結局わからずじまいだったよ」
「もしかしたら、正体がわかるかもしれないわ。きれいなお水とイルドの実をひとかご、用意してもらえない?」
「なんだかおもしろそうだな。わかった、まかせろ」
ヴァンレードはルナリアの要望通りに、水差しと木の桶おけにいっぱいの水、さらにかごに山盛りにされたイルドの実を手配してくれた。
木桶の水に布をひたし、木像の全身を丹念に拭くと、心なしか木肌の茶色が薄くなったように見える。
さらに湿らせた布を額に当ててやり、じっと様子を見守った。
ほどなく、布が乾いて額からすべり落ちた。
それが合図だったかのように、木像の全身がまたたく間に人の肌の色へと変わり、長い髪も白みがかった銀色に変化した。
驚きのあまりヴァンレードは言葉を失い、なんとなくこの事態を予想していたルナリアでさえも、まだ信じられない思いで、何も言うことができずにいた。




