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探偵は静かに語る……。Lady  作者: てきてき@tekiteki


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23/26

第23話 犬

 情報集めの会を出てから、しばらく街を歩いた。

海沿いの道は、相変わらず空気が軽い。

内陸の工業地帯から流れてくる煙も、ここまでは届かない。


海風が、全部押し戻している。


「……悪くない街ね」


そう呟いた直後だった。

端末が震えた。

知らない番号。


またか。


「もしもし」


返事はない。

代わりに、短いメッセージが表示された。


『路地へ来い』


「……ずいぶん偉そうね」


もう一通。


 『一人で来い』


「はいはい」


こういう誘いに乗るのも、探偵の仕事だ。

少なくとも、相手が何者なのかくらいは分かる。



指定された場所は、海から少し離れた工業区画だった。


人通りがない。

店もない。

建物の壁には古い広告が貼られている。


ところどころ剥がれていて、何の商品だったのかすら分からない。


あたしは路地へ入った。

数十メートル。


誰もいない。


さらに進む。


やっぱり誰もいない。


「……誰もいないじゃない」


その時、路地の奥に、犬がいた。


一匹。


黒い犬。


大型。


こちらを見ている。


首輪もない。


ただ――

動きが妙だった。


呼吸していない。

尻尾も振らない。

目だけが、こちらを追っている。


「バイオロイド?」


瞬きを抑えて少しずつ近づく。


犬は逃げない。

あたしは犬の目の前でしゃがむ。


「あなたが呼んだの?」


犬が口を開いた。


「そうだ」


「……」


あたしは立ち上がった。


「喋った」


「喋る犬くらい、今時珍しくないだろ」


「いや」


あたしは犬を見る。


「犬が自分から待ち合わせ場所を指定するのは珍しいと思う」


「それもそうか」


犬は座った。


「まあ、立ち話もなんだ。そこにいろ」


「あなたが立ってないでしょうに」


「俺は犬だからな」


「そうね」


妙に話が通じる。

それが余計に怪しい。


「あなたが、あたしを呼んだの?」


「そうだ」


「何者?」


「モヒカン」


「……」


あたしは犬を見る。


黒い毛。

当然、モヒカンではない。


「どこにいるの?」


「意外と近くにいるものさ」


「近く?」


「そう」


犬は前足を舐めた。


「ただな」


顔を上げる。


「面白い人が俺のことを探しているって聞いてな」


「それ、どういう事?」


「まず、あんたに聞きたい」


犬の目が細くなる。


「あんた、どこと組んでるんだ?」


「……」


「俺はあんたに関する情報を追ってみた」


「それで?」


「なぜか、ことごとくアクセス拒否される」


犬は首を傾けた。


「普通の回線だけじゃない」


「ほう」


「迂回もした」


「それでも?」


「拒否」


「別のネットワークは?」


「同じ」


「普通じゃない回線もな」


あたしは眉を上げた。


「ずいぶん調べたのね」


「仕事だからな」


「それで、何が分かったの?」


「分からない」


「……」


「分からないから面白い」


犬が笑った。


犬が笑う?妙な光景だ。


「ちなみに、あたしは眷族になった覚えはないんだけどね」


「そうだろうな」


「だったら何?」


「そうじゃないと思う輩がいるわけだ」


「誰が?」


「それはまだ言えない」


「またそれ?」


「情報屋ってのは、そういうもんだ」


「あなた、情報屋なの?」


「そういうことにしておこう」


「ずいぶん曖昧ね」


「世の中、曖昧な方が長生きできる」


「そう」


あたしは壁にもたれた。


「じゃあ、こっちからも一つ」


「何だ?」


「ある情報について追っている」


「ほう」


「その依頼主が、半端ない奴らってことかな」


犬の耳が動いた。


「……まあ」


「否定しないのね」


「否定する理由もない」


「なるほど」



少し沈黙があった。


海から風が吹く。

犬の毛が揺れる。


「あんた」


犬が言った。


「眷族ねえー」


「何?」


「吸血鬼に首筋でも噛まれたか?」


「……」


あたしは笑った。


「あたしにそんな事をできる吸血鬼ね……」


少し考える。


「どこにいるのかしら?」


犬が黙っている。


「一度はお目通りが叶うものかしら」


「さあ、どうだろうな」


「あなたにもわからない?」


「分からないことだらけだよ」


犬は空を見た。


「だから世の中面白い」


「そうね」


あたしは犬を見る。


「犬も喋る時代が来るとはね」


「世の中わかりすぎて、行方不明になるやつもいるっていうのに」


「何それ」


「ある天才の話だよ」


「……」


その言葉で、少しだけ空気が変わった。


「天才?」


「ああ」


「どんな?」


「いろいろだ」


「それじゃ分からない」


「機械を見ただけで、壊れてる場所が分かる」


あたしの目が細くなる。


「……」


「直すこともできる」


「それは――」


犬が続ける。


「壊すこともな」


あたしは少し考えた。


「もしかして」


一つの人物が頭に浮かんだ。


「ゴーグルかけた飛行機乗り」


犬の耳がぴくりと動いた。


「ゴーグル?」


「あんたもやつを?」


「まだわからない」


犬はそう答えた。


「けど、ちょっと引っかかる情報ね」


「そうかい」


犬はそれ以上、聞かなかった。

その態度が逆に気になった。


「あなたは、その人を知ってるの?」


「知らない」


「本当に?」


「知らないことだらけだよ」


さっきと同じ答え。

でも、今度は少しだけ違って聞こえた。


犬が立ち上がった。

そこで犬に声をかける。


「ちょっと提案があるんだけど」


「ん?」


「あなたに見せたいものがある」


「ここはだめだ。こっちへ来い」


犬が路地の奥へ歩き出す。

あたしもついていく。

数歩進んだところで、犬が振り返った。


「おっと」


「何?」


「そんな不用心な所で服なんか脱いじゃいけない」


「何言ってるの?」


犬が笑った。


「ジョークだ」


「……」


あたしは呆れた。


「犬がそんな冗談言う?」


「悪いか?」


「いや」


少し笑う。


「嫌いじゃないわ」


「お望みなら?」


「なに?」


「もっと言えるが……」


「そうなの?」


あたしは笑った。


「あんた、ちょっと気に入った」


犬も笑う。


「そんで、何か話してくれるのかな? お嬢様」


「お嬢様?」


「似合ってるだろ」


「全然」


「そうか?」


「でも――」


あたしは少し考えた。


「なんとなく気が合うと思った」


犬が黙った。


「あたしの昔の隊員に、こういうやり取りが好きな奴がいた」


「隊員?」


「そう」


名前が、自然に口から出た。


「ミカド……」


遠い記憶。

くだらない冗談。

任務の合間の会話。

くだらないことで笑った時間。


もう戻ってこない。

あたしは犬を見る。


「あなたがいたら――」


少しだけ間を置く。


「少しは違ったのかしら」


犬は答えなかった。


ただ、その黒い目だけが、静かにこちらを見ていた。


そして、の首元。

毛の下。

小さなランプが一度だけ点滅した。

紫色。


あたしは、それを見逃さなかった。


「……ねえ」


犬が歩き出す。


「何だ?」


「あなた、本当に犬?」


犬は振り返らない。


「さあな」


その声だけが、路地に響いた。

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