第17話「圧勝」
海老の中で、何かが動いた。
――カチ。
もう一度。
――カチ。
あたしはバッグを開けた。
海老の握り寿司型デバイスを取り出す。
見た目は、いつもの海老。
艶のある表面。
妙に生々しい質感。
食べ物にしか見えない。
「……あんた、さっきから何なのよ」
指先で軽く叩く。
返事はない。
当然だ。
ただのデバイスなのだから。
……少なくとも、今まではそう思っていた。
「さっきの抗争と、何か関係がある?」
海老は沈黙している。
飛行機乗りも、何も答えない。
周囲では、眷族たちが淡々と後片付けを続けている。
武器を拾う。
車両を移動する。
壊れた機械を分解する。
路面に残った痕跡を消す。
その動きには、一切の無駄がない。
「ねえ」
あたしは眷族を見る。
「こいつら、いつもこんな感じなの?」
眷族は少しだけ首を傾けた。
「どのような意味でございましょう?」
「戦い方よ」
あたしは道路の向こうを見る。
さっきまで武装していた連中が、全員地面に座らされている。
「感情がない」
「左様でございます」
「殺気もない」
「はい」
「怖がりもしない」
「必要がございませんので」
「……必要がない?」
「恐怖する必要がないからでございます」
「それ、普通の人間には無理よ」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
あたしは即答した。
「普通の人間は、死にそうになったら怖がるものなの」
眷族は黙った。
その沈黙が、妙に長かった。
「……あんた達は?」
「私どもですか?」
「死ぬのが怖くないの?」
眷族は、少しだけ空を見上げた。
「その質問には、答えにくいですね」
「どうして?」
「死ぬ、という状態をどこからどこまでと定義するかによりますので」
「……」
あたしは海老と飛行機乗りを見た。
「はいはい」
もう聞かない。
こういう話を始めると、この店主は宇宙創生まで戻りかねない。
「まあいいわ」
海老をバッグへ戻す。
「それより、さっきの連中」
「あの方々ですか?」
「そう」
あたしは倒れた装甲車を見る。
「何だったの?」
「敵でございます」
「それは見れば分かる」
「では、何が知りたいのでしょう?」
「誰の敵?」
眷族は黙った。
「……」
「答えない?」
「お答えできる範囲では、答えます」
「つまり、答えたくないってことね」
「そのような意味ではございません」
「同じよ」
あたしは肩をすくめた。
「でも、分かったことはある」
「何でしょう?」
「この街で、あんた達に喧嘩を売る奴は――」
周囲を見渡す。
「相当な馬鹿ね」
店主は少しだけ頭を下げた。
「ご評価いただき、ありがとうございます」
「褒めてないって」
道路の向こうで、一人の男が立ち上がった。
まだ戦うつもりらしい。
服は破れている。
顔には血が付いている。
それでも銃を探している。
「……まだやる気?」
あたしが声をかける。
男がこちらを見る。
「お前は……何者だ」
「探偵」
「探偵……?」
「そう」
男は笑った。
「ふざけるな」
「よく言われる」
男が腰に手を伸ばす。
だが、その手が止まった。
何かに気づいたようだった。
男の目が、ゆっくりと周囲を動く。
眷族。
屋上。
路地。
建物の窓。
そして――
背後。
「……いつからだ」
男が呟く。
「何が?」
「囲まれていたのは……いつからだ」
あたしは答えなかった。
知らないからだ。
でも、眷族の一人が、男の横を通り過ぎる。
その瞬間。
男の腕に装着されていた通信端末が、勝手に外れた。
落ちる。
眷族は拾わない。
そのまま歩いていく。
「……」
男が端末を見る。
画面には何も表示されていない。
「通信が……」
別の男が叫んだ。
「全部死んでる!」
「衛星回線も駄目だ!」
「バックアップは?」
「繋がらない!」
「外部回線は!」
「全部切られてる!」
あたしは眉を上げる。
「……いつの間に?」
店主が答える。
「先ほどでございます」
「先ほどって、爆発する前?」
「はい」
「じゃあ、最初から勝負は決まってたってこと?」
「勝負……」
店主は少し考えた。
「そのようなものだったのでしょうか?」
「そこから?」
あたしは呆れた。
「じゃあ、あたしが見てたのは何?」
「騒音でございます」
「ふーん、……」
「かなり大きな騒音でした」
「そうね」
あたしは苦笑した。
「確かに、うるさかったわ」
敵側の指揮官らしき男が、眷族へ向かって叫んだ。
「貴様ら……何者だ!」
眷族は振り返った。
「何者、と申されましても」
いつもの丁寧な声。
「飲食店を営んでおります」
「ふざけるな!」
「ふざけてはおりません」
「ならば、なぜこんなことができる!」
眷族は黙った。
そして。
「必要だったからでございます」
「何がだ!」
「止める必要がございましたので」
「なぜ!」
眷族は、ほんの少しだけ首を傾けた。
「皆様が、探偵様に危害を加えようとなさったからでございます」
あたしは目を細めた。
「……あたし?」
店主がこちらを見る。
「はい」
「それだけ?」
「はい」
「つまり――」
あたしは周囲を見る。
「こいつら、あたしを襲ったから?」
「正確には、襲おうとなさったから、でございます」
「……」
なんだろう。
妙に腹が立つ。
守られたことに腹が立つわけじゃない。
その理由が――
あまりにも簡単すぎる。
「ねえ」
眷族を見る。
「ひとつ聞いていい?」
「もちろんでございます」
「あたしを守るためなら、ここまでやるの?」
「はい」
即答だった。
「……」
あたしは黙った。
「それ、契約に入ってる?」
「いいえ」
「依頼料に含まれてる?」
「いいえ」
「じゃあ、なんで?」
眷族は答えなかった。
しばらくして。
「あなた様には、無事でいていただく必要がございますので」
「必要?」
「はい」
「誰にとって?」
「それは――」
眷族のゴーグルが、紫色に光った。
「まだ申し上げる段階ではございません」
「……やっぱりね」
あたしはため息をつく。
「そう来ると思った」
その時。
バッグの中から、また音がした。
――カチ。
今度は二度。
――カチ。
――カチ。
あたしはバッグを開く。
海老、そして、その横に入れていた飛行機乗りの人形。
二つが、ほんのわずかに振動している。
「……何?」
眷族がこちらを見る。
あたしは海老を取り出した。
人形も取り出す。
並べる。
何も起こらない。
「さっきは、ぶつかった時に反応した」
人形を少し動かす。
海老に近づける。
――カチ。
人形のゴーグルが淡く光った。
「……やっぱり」
眷族の動きが止まった。
「知ってる?」
「……」
「これ」
あたしは人形を持ち上げる。
「何なの?」
眷族は答えない。
「店主」
「……」
「これは、あの方の物?」
しばらく沈黙……そして。
「そうでございます」
初めて、迷いのない答えだった。
「あたしが見つけた人形」
「はい」
「海老と連動する」
「そのようですね」
「知らなかった?」
「存じませんでした」
「本当に?」
「はい」
あたしは眷族のゴーグルを見る。
嘘をついているようには見えない。
いや、この人の場合、
そもそも嘘をついている時の表情が分からない。
「……まあいいわ」
人形をバッグへ戻す。
「とりあえず、こいつらはセットらしい」
「そのようでございますね」
「じゃあ、これを解析できる奴を探す」
店主は黙っている。
「何か問題ある?」
「ございません」
「ならいい」
あたしはバイクへ向かう。
数歩進んで。
ふと振り返る。
「でもね」
眷族を見る。
「次にあたしを守る時は、もう少し静かにやって」
「善処いたします」
「善処じゃなくて、実行して」
「承知いたしました」
「あと――」
あたしは少し考えた。
「勝手にあたしの周りを片付けるのも禁止」
店主は首を傾げた。
「片付ける?」
「街よ」
「……」
「あたしの事務所の周りまで綺麗にしたでしょう」
「必要な整備でございました」
「だから、それが嫌なの」
「承知いたしました」
「本当に?」
「はい」
「……まあ、いいわ」
バイクにまたがる。
エンジンをかける。
低い振動が身体に伝わってくる。
「じゃあね」
店主に手を上げる。
「海老の中身、調べてくれる奴を探してくる」
「はい」
「あと、人形も」
「はい」
「亡霊も」
「……はい」
その一瞬だけ。
店主の声が、ほんの少し低くなった。
あたしは聞き逃さなかった。
「……やっぱり、何かあるわね」
アクセルを開く。
バイクが走り出す。
バックミラーの中で、店主の姿が小さくなっていく。
その背後では、眷族たちが何事もなかったように街を整えていた。
まるで、抗争など最初から存在しなかったかのように。
あたしは前を見る。
「さて……」
海老デバイス。
人形。
亡霊。
そして、あの方。
「誰に頼めば、この海老を開けられるのかしらね」
その答えは、まだ知らない。
けれど……。
あたしは少しだけ笑った。
「まあ、探偵なんだから――」
アクセルをさらに開く。
「探せばいいか」
バイクは、汚染された街の向こうへ消えていった。
そのバッグの中で、
海老と人形が、もう一度だけ小さく鳴った。
――カチ。
二つの音が、今度は同時だった。




