ミーム猫⑧
廊下をそっとドアの隙間から覗くと、先程までいた感染者達はいなくなっていた。左右を確認して、足音を立てぬよう廊下を進んだ。備品庫は目の前だ。後一歩、というところでどこからか声が聞こえてきた。
「ねこ……ねこが、あっちにも、こっちにも」
悲痛な声をあげながら、1人の研究員が朦朧として歩いている。彼に見つかると、厄介なことになるのは明白だった。何とか備品庫に潜り込めたとしても、待ち伏せされたり仲間を呼ばれたりすると、詰みである。
「う……駄目だ。仕方ない、何か別の手段を。」
星谷は一旦備品庫を目指すのを諦め、別の策を思案しだした。確か、財団の機能停止を避けるために、館内に記憶処理材を散布する機能が有ると鳴瀬が言っていたのを聞いたことがあったのだ。今こそ、その機能を使う時なのではないだろうか。
しかし、問題が一つある。その装置が一体どの部署の管轄なのかが分からないのである。恐らく、空調設備あるいはスプリンクラーから散布されるものだろう。だとすると、設備課の可能性は高いのだが、財団の命運を分ける、そんな決定権がインフレ担当の課にあるとは思えなかった。
星谷はPHSを使って設備課へ内線電話を掛けると、コール音が何回か聞こえた後、男の声が聞こえた。
「ハイ設備課です」
「もしもし?研究室2A-ほ班の星谷です。あの、館内でミーム汚染が起きている様なのですが……」
「ほう、それで?」
「……館内全域に記憶処理材の散布を提案します。全職員の記憶を部分的に除去する必要が高いと思われます。」
「それは……ねこがいるというこ…………」
「!」
「ねこ」という単語が聞こえ、星谷は慌てて反射的に受話器を切った。ミーム汚染範囲は想像よりも広く、インフラ機関までも侵食されているようだ。
「やべー。どうすりゃいいんだ……」
こうなると、お手上げである。更に上の権限を持つものに働きかけて大規模に対処して貰うしかない。だが、残念ながら、引きこもり気質な星谷には上位クリアランスの職員とコネクションは皆無だった。
「O5評議会……?」
財団には、O5評議会と呼ばれる決定機関がある。噂では、アメリカの財団本部に席があるらしいが、構成メンバーは一切公表されていない。にも関わらず、世界中に存在するあらゆる財団支部の最高決定機関として頂点に君臨している。彼らであれば、この騒ぎを何とかしくれるに違いない。だがそもそも、日本支部の事まで介入してくれるのだろうか。それに、一端の研究員がコンタクトを取れる様な存在ではないのだ。仮に連絡がついたとして、まともに取り合ってもらえるだろうか?
「……やっぱり、チーフに力を借りよう」
鳴瀬は財団で名の知れた優秀な研究員である。海外での評価も高い彼女であれば、きっと何かしらのツテがあるだろう。となると、鳴瀬を何とかしなくてはならないのだが、肝心な記憶処理材がある備品庫に行くには、例の研究員が邪魔だ。
「これで、なんとか……ならないかな」
何か使える物は無いかとポケットを探り出てきたポケットティッシュをちぎって丸め、唾液を染み込ませて耳の中に捩じ込んだ。物理的に音を遮断する簡易耳栓である。
「ほぁあ〜ね〜こ〜ほぁあ〜……」
耳栓だけでは心許なかったので、備品庫に着くまでの数メートルを頭がおかしい人のフリをした。木を隠すなら森の中、とはよく言ったものだ。
通りすがった男が何か喋っていた様だったが、何を言っているのか殆ど聞こえない。彼がちらりとこちらを見たが、素通りされた。注目すらされなかったのは演技のおかげだろう。僕には意外と才能があるのかもしれない、などと軽く浮かれた。
お目当てのドアにたどり着くと、
「よし、あった。」
試作段階のスプレー型記憶処理材を棚から取り出した。現場で使いやすくなる様に改良中のものである。1本のボトルで約15秒噴射することができる代物で、効果はクラスA記憶処理材と同等だ。
「……チーフ?」
鳴瀬研究室に戻ってきた星谷は、抜き足差し足、鳴瀬の姿を探した。
ホワイトボード前に、彼女はいた。ぶつぶつと呟きながら一心不乱に何かを書き殴っている。
「これが支配されるという感覚。素晴らしい。頭がねこで満たされる。何故?私は宇宙の真理に近付いたわ、そう!宇宙に浮かぶ一粒の砂塵を拾い上げた様に。わたし、わ、私。巡り会えたのね。そう、ねこ!もっと早く気がついていれば良かったのに。あああ、感謝?ねこ!あーっはっはっはァッ!」
マーカーの先が潰れて最早文字は読む事が出来ない。
「良かったいつも通りだ」
星谷は背後から近寄り、鳴瀬の肩をちょんちょん、とつついた。
「アッ!星谷君!?私、一歩近付いたわ!神に!!」
プシュ、と振り向きざま、彼女の顔に向かって記憶処理スプレーを噴射した。鳴瀬は頭をくらりと揺らし、二、三歩後ずさった。
「…….鳴瀬チーフ。大丈夫ですか?」
星谷が鳴瀬の体を支え、顔を覗き込む。数秒間の沈黙の後、ぱちりと目を開いた鳴瀬は、すっかり元通りになっていた。
「……えーっと、何が起こったの?頭が凄くクリアなんだけど……」
「かくかくしかじか……」
*****
「それは……面倒掛けたわね、星谷君。ごめんなさい、迂闊だったわ。」
鳴瀬は珍しく反省している様子だった。
「それは、まぁ。良いんです。それよりも、鳴瀬チーフなら、誰か上の人達とコンタクトが取れるんじゃないかと思って。……あてはありますか?」
「……気が進まないけれど、アイツに言ってみようかしら」
「どなた?」
「牧野って奴。私と同期なの。」
「牧野さん?……って、偉い役職なんですか。」
「えぇ。悔しいけど、彼が日本支部に置いて強い権力を持っていることは確かよ。」
鳴瀬はそういうと、携帯電話で電話をかけはじめた。数コール後、漸く相手が電話に出た。
「……あ、もしもしー?牧野君?久しぶり、元気してた?」
『……あぁ、貴方ですか。……鳴瀬さん。急に驚きましたよ。何年振りですか?……それはそうと、一体何の御用で?』
「報告よ。館内にミーム汚染が確認されたわ。財団職員宛に送られたメールに添付されていた報告書を読む事で曝露するみたい。」
『……何ですって?それは確かなのか?』
「無差別かつ、はちゃめちゃな数の送り先にその報告書が送られているの。多分、そこから爆発的に拡散されている。でも、記憶処理材が有効だったわ。従って、特別プロトコルの発動を提案します。」
『……直ちに現場確認にあたり、対処をさせて貰う。報告、有難う』
「いいってことよん。じゃーねー」
『…………あぁ。』
電話を掛け終えた鳴瀬は、星谷に向かってVサインをしてみせた。
「何とかなりそう」
「良かった!流石チーフ。」
「それにしても……この騒ぎの女王感染者はあの報告書の作成者かしら。気の毒ね。」
鳴瀬の言う"女王感染者"とは、送り主であるCクラス職員のことだろうと星谷は予想した。――気の毒だ。きっと、相応の処罰がなされることだろう……。
後書き
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author:m0ch12uk1
Title: SCP-040-JP -ねこですよろしくおねがいします-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-040-jp




