ミーム猫⑦
「なんだ、この報告書。作成途中に間違えて送ったか?」
「承認を取り下げて書き直させろ。最近は報告書の書き方がなってない奴が多くて困る」
このやりとりは、財団日本支部の管理部、報告書検閲センターでの一幕である。財団では日々多くの報告書が提出及び改訂されるため、専門の部署が承認作業を行なっている。エージェント達が調査を行なっている異常事態がアノマリーを起因とする物なのか、あるいは単なる噂や自然現象なのかを判別することにも大きく関わっている。
そんな彼らが見ているのは、橘が提出した報告書である。Cクラス職員の赤城氏によって調査が行われるという事項が記入されているのだが、その後の現地調査の記録が途中から不自然なのである。
「おい、妙だぞ。……『むらのいどにいたねこいたよろしくおねがいしますいました』……。寝ぼけて書いたのか?井戸の中に猫がいたという事か?…………。えっ。あれ?いるぞ?いるぞ、いるぞ」
「うん?何を言ってるんだ?」
「いるんだ。ねこが。ほら、井戸の中には居たんだよ。どうして分からない。お前も、報告書読め」
「おい、おかしいぞお前」
もう片方の男が、異常に気付いた時には既に遅かったのだ。相棒が言った『井戸の中にねこがいる』という様子を脳内でほんの少しイメージしただけだった。
「え?え?……あぁー。うん、いる、ねこ。確かに」
頭の中をねこが占領している。ギョロ目の不細工なねこの姿が脳みそにこびりついて離れないのだ。更に不思議な事に、井戸の中にねこがいる事を1人でも多くの人に知らせなくてはならない気がした。
「添付。そうしん、そうしん、送信」
2人は、橘が書いた報告書へのリンクを添付したメールを、ありとあらゆる財団職員へ片っ端から送りまくった。アドレス帳の上位に出てくるメールアドレスを誰彼構わず選択し、無作為に送りつけた。
――その結果、財団に何が起こったか想像に難く無いだろう。
「――何だか、表が騒がしいわ。何かあったのかしら。」
「さぁ。……何でしょうね?」
研究室のドアを隔てた廊下が、何やら騒がしい。磨りガラス越しに、廊下を誰かが忙しなく走っていくのが見えた。
「まぁ、財団が騒がしいのはいつもの事ね。……あら?何、このメール?星谷君にも届いてる?」
「いえ、僕のところには届いていませんが……ってなんだ、このメール。」
鳴瀬のPCに一通のメールが届いた。件名は書かれていないが、送り先に夥しい数のアドレスが設定されている。
「こういうの、懐かしいわね。呪いのメールって言うのかしら。いや、チェーンメール?……ちょっと違うか。」
「感慨深く言わないでください。中身も読んでいないのに呪いだと断定するのは少々失礼かと……。確かに不自然ではありますが。送り主が何か間違ったのでは?」
「こういう不可解なメールは開かない方が良いわ。星谷君、アレでしょ。架空請求とかフィッシング詐欺とかのメール、見ちゃうタイプ?」
「僕は……見ちゃいますね。何て書かれているか気になるじゃないですか。誰かが悪意を持って書いたメールなんて、滅多に見れませんし。リスクよりも興味が勝ちますね。」
素晴らしい。研究者とはかくあるべし――。鳴瀬は、星谷の言葉に満足げに頷いた。悪意に自ら飛び込む勇気も、必要な素質なのだ。
「それはそうと、そのメール、本当に読まないんですか?大事なことが書いてあったりしません?」
「どうしよっかな〜。メールを無視し過ぎてこの間怒られたばかりなのよね。……ねぇ、星谷君は思わない?用があるなら電話掛けてきたらいいのにって。これって、メールを送る側の怠慢だと思うのよ。電話が嫌だからってメールで済まそうとするの、どうかと思うわ」
「いやいや。文章に残すことが大事なのでは?ほら、電話だとあの時何て言ってたっけ?ってなるけれど、メールは証拠として残りますから」
「正論やめて!聞きたくない!」
「もう、良い大人なんだからゴネないでください。ほら、早く見ちゃってくださいよ」
「んー。でも……ヤな予感がするのよね」
「大袈裟な……」
鳴瀬が渋々メールを開くと、一枚の報告書が添付されていた。それ以外はメールの件名はおろか、本文も真っ白である。
鳴瀬は添付されている報告書のリンクを開いた。報告書の記入日は昨晩のようだ。木造の小屋の写真が差し込まれている。読み進めると途中まではごく普通の報告書であることが分かるが、ある部分を境に筆致が乱れ、意味のわからないことがつらつらと書かれていた。
「星谷君。ねこがいるわ」
「え?」
「なぜわからないの?ねこがいるじゃないの。きいていますか?」
未だかつて、こんなに真面目な表情の鳴瀬を見たことはあっただろうか。星谷の目をまっすぐ見て、さも当然だと言うふうに支離滅裂な事を言う鳴瀬は、明らかに普通ではない。
「チーフ?」
「……逃げなさい!」
鳴瀬が血相を変えて叫んだ。星谷は初めて見る鳴瀬の狼狽した様子にただ事では無い事を察知し、なりふり構わず研究室を飛び出した。鳴瀬のお気に入りのマグカップが床に落ち、割れる音がした。床に広がるコーヒーが、水たまりを作った。
「何なんだ!あぁ……鳴瀬チーフ……!」
研究室を出て、ようやく異常事態の規模に気が付いた。廊下に座り込んでぶつぶつと何かを呟く者や、ふらふらと力なく彷徨いながら絶叫する者が散見された。彼らは星谷を見るなり、何かを伝えようと追い縋って来るのである。ゾンビ映画を彷彿とさせた。
「わっ!やめてください!」
足に絡みついてくる女性。確か隣の研究グループの一員だ。
「ほ……星谷研究員!ねこです、ねこはいます」
「どいて!」
女性を蹴り飛ばし、近くの資料室の中に飛び込みドアに鍵を掛けて息を潜めた。
「一体何が起こっているんだ……?」
鳴瀬があのメールに添付されていた報告書を読んだ直後におかしくなったということは、報告書に記載されていた事項又は添付資料に人の認識を歪める要因があったと考えるのが自然だろう。この感染者達は皆メールを送られた者達という事になる。
「認識災害が起こっているのかな」
鳴瀬は確か、ねこがどうのこうの言っていた。それに、他の異常者も同様の事を訴えていた。恐らく、何らかのアノマリーに曝露したものと思われる。見えない力が、認識してしまった人の言動に影響を与えている。だとすると、星谷の中に一つの仮説が浮かび上がった。
「…………ミーム汚染?」
だとすると、とんでもないことである。
財団はおろか、もし外部にまでミーム汚染が広がったとなると、大規模な処置を取らなければならなくなる。全人類の認知が歪められる事だってあり得るだろう。それはつまり、常識が常識でなくなるということである。
自分がどうにかするしかない。星谷は決意した。何より、鳴瀬があのようになってしまったことがショックだった。いつもの彼女に戻ってもらい、一緒にこの問題を解決するか、あるいは無理ならば一緒に財団から逃げ出すのだ。――うん、それもまた悪くないだろう。――兎も角、自分が行動を起こすのがマストであると考えたのだ。幸いなことに、ミーム汚染に関する研究を行っていた甲斐あって幾つかの対処法を思いつくことができたのだ。単純な話、歪んだ認識ごと消してしまえばいいのである。つまりは記憶処理であった。問題は記憶処理剤をどこで調達するかだが、此処は財団の研究センターのど真ん中。記憶処理剤の一つや二つを探すのは容易である。星谷は、備品庫に向かうことにした。
後書き
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author:m0ch12uk1
Title: SCP-040-JP -ねこですよろしくおねがいします-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-040-jp




