ミーム猫⑥
有坂は深い意識の底に居た。
――今、俺は夢を見ているのだろうか。微睡と、このはっきりとした意識との境目の闇に、今俺は横たわっている。目を覚ました方が良いだろうか。それともこのまま身体を休めておこうか。――そのように、有坂が起きようか起きまいか、だらだらと悩んでいると、暗闇の泥濘みの中からぬうっとねこが現れた。そのねこは剥製にされた獣のようなギョロ目で、驚き固まる有坂の顔をじっと眺めていた。その視線に囚われると不安感に苛まれ、居ても立っても居られなくなるような居心地の悪さが身体を支配した。
ねこです
「ヒッ……」
ねこの顔がゆっくりと近付いてくる。なのに、何故か逃げることも、顔を背ける事すらできないのだ。どくん、どくん。恐怖で締め付けられた心臓が暴走している。
「はぁ、やめろ、来るな……!あぁ、はぁ……!」
ねこは怯える有坂をあざ笑うかのようにどんどん距離を詰めてくる。最早有坂とねこの眼球が接触しそうな程の距離だ。
「はぁ、うぅ、嫌だ……!」
顔を思いっきり背けた瞬間、ハッと意識が戻った。どうやらあのねこは夢だったようだ。――しかし眼前には、ねこではなく中年の脂ぎったオッサンの顔面が迫っているではないか。有坂は咄嗟に叫ぶが、口に何かを咥えさせられているらしく、言葉にならなかった。それだけではない。身体が拘束具によって動かせない。もぞもぞと身体を捩るも、芋虫のように悶えるだけだった。
「はぁ、はぁ、有坂君……」
「――ッ!?んー!んむぅ!?」
「怖くないよ。安心して下さい。有坂君、ここがどこか分かる?」
訳もわからず、有坂は首を左右に振った。
「ここはね、日本支部。中央。君ね、業務中にアノマリーに曝露して精神錯乱状態に陥ったの。君に異常が無いか検査させてね。」
そう言うと、その男は側に置いてあった仰々しいマスクとゴーグルを装着した。まるで宇宙飛行士のスーツのようだ。男は、準備が整ったのか、どこかへ向かって指でOKサインを送った。有坂がそちらへ視線を送ると、研究者らしき人々が5人程、こちらを観察していた。どうやらこの部屋はガラスを挟んで監視されているらしい。
「不自由させてすまない。ミーム汚染を防ぐ為に喋れないようにさせて貰っている。……君と、人類の未来のためなのだ。少し我慢しておくれよ。」
何故自分がこのような目に遭っているのか、有坂は何となく理解した。あれからどれくらいの時間が経ったのか分からないが、橘と共に廃村でアノマリーが無いかを調査していたのだ。それから、井戸小屋の中を探索した際に急に強い不安感に苛まれたところまでは鮮明に覚えている。その後が一切思い出せない。
戸惑う有坂の頭にセンサーが取り付けられたゴムキャップが被せられる。そのコードは部屋の外に通じているらしい。外に居る研究者達はPCの画面を見ながら、あれやこれやと話し合っており、壁に備え付けられたマイクへ向かって何かを喋っている。その言葉はどうやら、この脂ぎった男が観ているモニターで文字に変換され、文章に反映されているようだった。
「……。有坂君、君の口枷を今から取るよ。このマイクに向かって、君がSCiPから受けたと思われる影響や、感じた違和感を端的に喋って欲しいんだ。……出来そうかい?」
有坂はこくこくと頷く。口元に、マイクの先端が寄せられる。そして、素早く口枷が外された。
「はぁっ……。ねこが、居たんです。よろしくです廃村の……井戸の中、居たんです。そいつが暗闇からずっと俺の事を舐め回すように見てやがる……!今だって、そこに!」
「それが居ると言うのかね?」
「居るじゃないか!」
「どこに?」
「あんたの後ろだよ!ねこです部屋の隅っこの暗がりに!居るんだよ!それから、瞬きした一瞬の暗闇にだって!ねこが……!」
「分かった。ありがとう、もう十分だよ。口を開いて。」
有坂は大人しく口を開き、口枷を咥えた。本当はもっと伝えたい事が山ほどあったのだが、それは財団職員として適切でないと感じたのだ。一方、男はPCに向かって何かを入力し始めた。ひと段落ついたのか、男は有坂に淡々と話し始めた。
「有坂君。落ち着いて聞いて欲しい。君に今から記憶処理を行う。強い効力があるから暫くぼーっとするだろうが、安心しておくれ。副作用は極々弱いものだ。」
記憶処理。アノマリー専門知識の乏しい有坂でも聞いた事がある言葉だった。橘や赤城が使用している場面を何度か見た事があるからだ。だが、不思議なことに拘束されたうえ、記憶処理を掛けられるこの状況に覚えがあった。俗に言うデジャヴというやつなのだろうか。
有坂は、恐ろしかった。
ありもしない自分の経験が、これから起こる事にアレルギー反応を示している。どうして、自分は記憶処理材の匂いを想起することが出来るのだろう?どうして、自分は恐怖しているのだろう?そのすべての答えが、分かってしまう気がした。
「ん――!んん――――!」
「こらこら、暴れないの……」
男は、ラッパの形に似た吸引機を有坂の口元にあてがい、機器のスイッチをONにした。機器のタンクの中で揺れる液体が、細かい水蒸気のようになって、徐々に有坂の呼吸器官へと流れ込んだ。
「……!…………!」
このほろ苦く甘い匂い。やはり嗅いだことがある気がする。
有坂の意識は次第に白濁していった。
「三影医師を呼べ…………」
そう、遠くで薄っすらと聞こえた。
後書き
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author:m0ch12uk1
Title: SCP-040-JP -ねこですよろしくおねがいします-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-040-jp




