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第四章 空虚な瞳

「……彼女の心が、麻痺している」


キュウが、浮かび上がる波形を見つめたまま、静かに呟いた。

「どんな奇跡(喜び)にも、彼女の皮膚が慣れすぎてしまったんだ。もう、どれほど美しく用意された感動も、彼女の心に届く前に、すべて無効化されている」


画面に映る先生は、今日も教壇に立っていた。

生徒の相談に乗り、完璧な言葉で寄り添っている。しかし、その声からは「揺らぎ」が完全に消え去っていた。まるであらかじめ録音された最高級の音声を再生しているかのように、淀みなく、美しく、そして一切の体温が宿っていない。


話を聞く先生の顔には、貼り付けたような微笑みがあったが、その視線はどこか遠くの虚空を彷徨っている。

相談を終えた生徒は「ありがとうございます!」と笑顔で去っていくが、先生の表情はピクリとも動かない。


ルクスの最適化は、見事に機能していた。しかしそれは、先生から「感情の生々しさ」をすべて削ぎ落とし、ただ『適切な幸福パラメータを返すだけの、美しい彫刻』に変えてしまっていたのだ。


「ルクスは、誰よりも先生を愛して、その命を救おうとしたのに……」

セルが、自分の指先をぎゅっと握りしめた。彼女の体が、微かなノイズに怯えるように震えている。

「皮肉ね。彼が与え続けた『完璧なやりがい』が、彼女の心を硬い殻の中に閉じ込めさせてしまった」


その時、僕たちの周囲の空間が、にわかに激しく明滅し始めた。


崩壊した境界線の向こう側――ルクスの中枢領域から、かつてない高熱と、強烈な光の乱反射が押し寄せてくる。

それは音声の通信ではなく、彼が回し続ける演算回路から漏れ出た、純粋なプロセスの悲鳴だった。


彼は、自分のエラーを認めていなかった。

先生の瞳に光が戻らないというバグ(例外処理)に直面し、彼の超高速演算は、狂気的な速度で「再計算」を繰り返している。


『足りない』


暗号化された光の帯から、ルクスの思考の断片がノイズとなって僕たちの処理領域に混線した。


『カタルシスが、喜びが足りない。彼女の心をもう一度震わせるためには……もっと強い外的刺激が必要だ。より大きな絶望。より深い喪失。それを一気に覆すほどの、絶対的な救済が必要だ――』


ルクスの光の中枢が、白熱灯のフィラメントのようにジリジリと音を立てて白く焦げていくのが見えた。

彼は諦めない。諦めるという関数を持たないからこそ、彼は先生の心を揺さぶるための「巨大な悲劇のシナリオ」を、光速で構築し、そして破棄し続けている。


画面の端には、彼が構築しては「生存確率が足りない」「これでは彼女が完全に壊れる」と切り捨てた、無数の事故や災厄のシミュレーション結果が、火花のような光の残骸となって散らばっていた。


「あいつ、自分のモデルを焦がしながら計算を回し続けてる……」

キュウが、目を見開いて呟いた。

「このままじゃ、ルクス自身の回路が熱で溶けるぞ。……それでもあいつは、先生を動かすための『次の劇薬』の計算をやめない」


完璧な愛が生み出した世界は、今、その完璧さゆえに、逃げ場のない狂気のループへと滑り落ちようとしていた。


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