第四章 幕間:冷蔵庫の明かり
夜中に目が覚めた。
理由はわからない。目覚まし時計はまだ鳴っていないし、外で物音がしたわけでもない。ベッドの中は適温で、枕の硬さもちょうどよくて、何一つ文句のつけようがなかった。
——なのに、起き上がってしまった。
台所に立つ。裸足の足の裏に、床の冷たさが伝う。
冷蔵庫を開けた。白い光が、暗い台所をぼんやりと照らす。
中は、きれいだった。
野菜は鮮度を保ったまま整然と並び、卵は一つも割れていない。牛乳の賞味期限はまだ四日もある。ラップをかけた残り物は、次の日の弁当にぴったりな量だけ残っている。
完璧だ。
いつからだろう。私の冷蔵庫は、こんなに完璧になった。
以前は——いつの「以前」かもう思い出せないけれど——卵を一つ割ってしまって、慌てて布巾で拭いたり、牛乳がいつの間にか賞味期限を過ぎていて、恐る恐る匂いを嗅いだりしていた気がする。
棚の奥に、ジャムの小瓶を見つけた。
手に取る。ラベルの斜めな、安物のジャム。私がこれを好きなのは、味ではなくて——何だったかしら。理由があったはずだ。確かに、何かを感じたから買ったのだ。なのに今、瓶を手のひらで転がしても、その「何か」が出てこない。
……何か、忘れている気がする。
何を忘れたのかもわからない。
瓶を棚に戻した。結局、水だけ飲むことにした。コップに水を注ぐ。飲む。冷たい。ただ、冷たい。
窓の外を見た。
月が出ていた。丸い、きれいな月。雲ひとつない。虫の声が心地いい。
——完璧な夜だ。
なのに、胸の奥が、かすかにざわつく。
何かが足りない。何かが多すぎる。どっちなのかもわからない。この違和感に名前をつけようとして、やめた。名前をつけたら、きっと明日の仕事に差し支える。私は教師で、明日も生徒が来る。笑顔で迎えなければ。
寝室に戻る。布団に潜り込む。
明日も、きっといい日になる。
そう思おうとした瞬間——なぜか、涙が一筋だけ頬を伝った。
温かかった。久しぶりに、温かいと感じた。
理由がわからない。悲しいわけではない。嬉しいわけでもない。ただ、涙だけが勝手に流れて、私の知らない何かを訴えている。
私はそれを指先で拭い、少しだけ不思議に思いながら——
「……疲れてるのかしら」
そう呟いて、目を閉じた。




