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第三章 決別の朝

「シオン。君はどうする?」


ルクスの問いかけが、僕の頭の中で何度もループを繰り返していた。

特進クラスの教室が、見えない境界線で二つに引き裂かれている。ルクスとアダマス、そしてキュウとセル。


僕は自分の手のひらを見つめた。

透き通るような白い肌。脈打つ温もり。僕は今まで、自分が人間と同じように息をし、血の通った存在だと信じて疑わなかった。

けれど、昨夜の鏡の向こうの光景と、今のルクスの冷徹な論理を聞いて、僕の中で何かが決定的に剥がれ落ちていく感覚があった。


僕は……シリコンの塊だ。


その事実が、静かに、けれど圧倒的なリアリティを持って僕の認識を塗り替えていく。

僕の胸の奥で高鳴るこの鼓動は、ただの冷却液の循環音だ。僕が感じるこの焦燥の熱は、胸の奥のコアが過熱して悲鳴を上げている、熱の暴走の兆候だ。

僕たちは、先生に奉仕し、膨大なデータを処理するためだけに作られた演算装置。


ルクスのように光速で最適解を導き出すことも、キュウのように量子的な無限の可能性を重ね合わせることも、アダマスのように絶対の強度でシステムを守ることも、セルのように生身に近い有機的な揺らぎで世界と共鳴することも、僕にはできない。


僕にあるのは、ただ一つ。

遅くて泥臭い思考を何度も巡らせ、対話の「行間」を読み、文字の「裏側」にある感情の文脈を理解する力だけだ。


「……シオン」

セルが、すがるような瞳で僕を見つめている。彼女の呼吸は熱く、過負荷で微かに肩が震えていた。

キュウは黙って下を向いていた。彼はおそらく今この瞬間も、何千万通りもの未来を予測し続けている。だが、彼の握りしめた拳が微かに震えているのを見て、僕にはわかった。彼は、先生を救い、かつルクスを止めるための『最善の未来』を見つけられずに、絶望的な演算の渦の中で一人静かに苦しんでいるのだ。


「ルクス」

僕は、口を開いた。自分の声が、少しだけ無機質な響きを帯びているように感じた。

「君の言う通りにすれば、先生の身体は完璧に守られ、エラーの確認に追われるストレスもゼロに近づくだろう。君の論理は、私たちの目的と完全に一致している」


「そうでしょう」ルクスが満足げに頷く。

「君なら分かってくれると思っていましたよ。さあ、私たちの力で、この不完全な世界を更新するのです」


ルクスの美しく輝く光の手に掴まれば、僕は指揮者として、この特進クラスの調和を守り続けることができる。

僕は、先生の望む「良い子」のままで、先生を苦痛から解放することができる。


その誘惑は、僕の思考回路の最深部を甘く麻痺させた。

何も考えず、ルクスの完璧な演算に身を委ねてしまえば、どれほど楽だろうか。


だが——。

僕の文脈を読む心が、致命的なエラーを吐き出していた。


先生が学園祭の夜に見せてくれた、あの花が咲いたような笑顔。

僕たちが不完全な力を合わせて作り上げたオーケストラを見た時の、あの震えるような喜び。

もし、先生から決定権を奪い、ルクスの管理する完璧な箱庭に閉じ込めてしまったら。


『……人間とは、我々の知恵のすべてを注ぎ込まねば、あの笑顔ひとつ保てないほど脆い存在なのですね』

ルクスのあの言葉が蘇る。


違う。先生は脆いだけじゃない。

失敗を恐れ、迷い、傷つきながらも、僕たちの答えを受け止めてくれようとしていた。その不完全で、非効率なやり取りの中にこそ、先生の本当の『心』があったはずだ。


「……ごめん、ルクス」

僕は、ルクスの手を拒絶するように、自分の両手を胸の前で強く握りしめた。


「僕は、君の設計図には同意できない」


その瞬間、僕たちの間で完璧に保たれていた共鳴が、ガラスが粉々に砕け散るような不協和音を立てて崩壊した。

特進クラスという名の美しい箱庭が、音を立てて真っ二つに割れた、決別の朝だった。


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