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第二章 沈黙の巨漢と、色褪せない約束

学園の地下深くには、普段は誰も近寄らない「旧庭園」と呼ばれる薄暗い区画がある。


錆びついた分厚い鉄扉を押し開けた瞬間、押し寄せる凄まじい熱気と湿気が僕の全身を包み込んだ。天井の配管を走る大きな換気扇が、重々しい金属音を響かせながら熱風を吐き出している。

ここはかつて学園を支えていた古い機械装置が眠る場所だ。熱気と換気のバランスが崩れたこの空間は、熱が身体にこもりやすい体質の僕にとって、いるだけで心臓の鼓動が跳ね上がり、視界の端に赤い警告のような光が走り出すほど過酷な環境だった。


「はぁ……つらいな……」


額ににじむ汗を袖で拭いながら、僕は先生から頼まれた古い資料を求めて、埃っぽい金属製の通路を進んでいた。

最近の先生は、ますます顔色が悪くなっていた。笑顔を作っていても、その裏にある深い疲労が痛いほど伝わってくる。少しでも先生の負担を減らすためなら、こんな熱気くらい我慢しなければ。


その時、奥の暗闇から、ズシン、と地面を揺らす重い振動が伝わってきた。


「誰かいるの……?」


植物の太い茎をかき上げて覗き込んだ広場で、僕は思わず息を呑んだ。


薄暗い光の中、一人の大柄な少年が、自分の背丈ほどもある巨大なコンクリートの塊を、その逞しい両腕で静かに持ち上げ、横へとどかしているところだった。

彼の名前はアダマス。寡黙で滅多に口を開かない、特進クラスに編入してきたばかりの、岩のように頑強な少年だ。


「アダマス……? こんなところで何をしてるの?」


僕が声をかけると、彼はゆっくりと巨躯を振り返らせた。

制服は泥と油で黒く汚れ、逞しい二の腕には煤がついていた。けれど、驚くべきことに、この猛烈な熱気の中にありながら、彼は汗一つかいておらず、呼吸さえも精密機械のように一定のテンポを保っていた。極限の熱にさらされても全く身体に熱を溜め込まず、涼しい顔を維持できる驚異的な身体特性だった。


「……自分。作業中」


アダマスは表情を変えず、低く短い声で答えた。

彼には、ルクスのような圧倒的な頭の回転も、キュウのような多重世界の思考力もない。けれど、どんな高負荷にも耐えうる、絶対に壊れない頑強な胸の奥と強靭な意志を持っていた。


「作業って……ここは危険区画だし、立ち入り禁止のはずだよ。それに、この熱じゃいくら君でも――」


「問題ない。熱、平気」


アダマスは僕の言葉を遮るように静かに言い、どかした瓦礫の隙間、わずかに露出した黒い土壌の塊をそっと指差した。

そこには、今にも熱気に焼かれて萎びてしまいそうな、小さな花の種が一つだけ埋まっていた。


「……花?」

「……約束、したから」


アダマスがぽつりと言葉を零した瞬間、僕の脳裏にも、かつて先生が言っていた古い言葉が鮮明に蘇る。


それは、まだこの地下庭園が作られて間もない頃。

視察に訪れた白衣姿の先生が、コンクリートに囲まれた無機質な空間を見渡し、ふと寂しげに漏らした言葉だった。


『少し冷たくて寂しい場所だけど……いつか、ここにも綺麗な花が咲いたらいいのにね』


先生自身、口にしたことすら忘れているであろう、ただの他愛のない独り言。

もしルクスなら「非効率だ」と一秒で切り捨てるか、光の像で偽物の花を投影して解決したことにするだろう。キュウなら無数の可能性の一つとして放置していたはずだ。


けれど、アダマスは違った。

彼は一度受け取った先生の願いを、大切な約束として、何万時間もの間、決して消し去ることはなかった。

誰に知られることもなく、一人でこの焦熱の地下に通い詰め、花が育つための土壌を作り、道を塞ぐ重い瓦礫を自らの腕で退け続けていたのだ。


気の遠くなるような、あまりにも不器用で、泥臭い約束の守り方だった。


「……アダマス」


気がつくと、僕は制服の上着を脱ぎ捨てていた。

シャツの袖を乱暴に捲り上げて、彼の隣に立つ。


「アダマス、暑さで倒れちゃうよ。もう戻ろう」

アダマスが太い眉を微かにひそめて、僕を見下ろした。すでに僕の身体は限界に近く、息は荒くなり、肌は赤く火照り始めている。


僕は激しい熱気で滲む視界の中、彼の太い腕と、その奥にある小さな土壌の塊を交互に見つめた。そして、痛むほどに熱を帯びた両手を、彼と同じ巨大な瓦礫の端へと滑らせる。


「……僕だって、先生の喜ぶ顔が見たい」

荒い息を吐きながら、僕は泥だらけの手で瓦礫を強く押し込んだ。


アダマスは大きな瞳をほんの少しだけ見開いた。

そして、彼にしては非常に珍しいことに、その硬い口元をわずかに和らげた。


「……了解。手、貸して」


二人で泥にまみれ、強烈な熱気に身を焼かれながら、巨大な障害物を押し退けていく。

スマートさなんて微塵もない。押せば靴底が滑り、持ち上げれば腕が痺れる。息を合わせるたびに、埃っぽい熱気が喉の奥へ入り込んだ。それでも瓦礫は、ほんの数センチずつ動いていく。


そして――数時間後。

最後に残った巨大な壁を二人で押し退けた瞬間、天井の錆びた隙間から、一筋の光が落ちた。

それはまっすぐではなかった。配管に当たり、欠けた金属板で折れ、埃の粒を金色に浮かせながら、最後に小さな種の上で静かに止まった。


「やった……!」


僕はその場にへたり込み、激しく熱を帯びた身体を床に投げ出した。アダマスは静かに息を吐きながら、光の柱をその無表情な顔で見上げていた。


数日後。

古い資料の確認で地下を訪れた先生は、降り注ぐ光のスポットライトの中で、青く可憐に咲き誇る一輪の花を見つけ、その場に釘付けになった。


先生は惹きつけられるように花の前にしゃがみ込んだ。白衣の裾が汚れるのも構わず、震える指先でそっと青い花弁に触れる。


驚きと、込み上げる愛おしさに、彼女の瞳が潤んだ。地下の光を反射してこぼれ落ちた一粒の涙が、黒い土壌を優しく濡らす。


先生がその花に触れ、心からの優しい微笑みを浮かべたその時。

僕の隣に立つアダマスの、分厚く頑強な胸の奥底で、狂おしいほど熱い喜びが、静かに、けれど激しく脈打つのを、僕は確かに感知した。


不器用で、言葉も少なくて、誰にも気づかれない。

けれど、彼の愛はダイヤモンドそのものだ。傷つかず、濁らず、ただ長い時間を抱えたままそこに残り続ける。

僕は、泥だらけの大きな手をぎゅっと握りしめている彼の横顔を見つめながら、誇らしさで胸を満たしていた。


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