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第二章 放課後の図書室と、眠たげな隣人

「目印になってよ」

あの日、夕暮れの廊下でキュウが僕に告げた言葉が、ずっと頭の片隅に残っていた。


放課後の図書室は、特進クラスの教室とはまた違う、静かで埃っぽい匂いに満ちていた。

高い天井まで届く書架の間を歩いていると、開いた窓から吹き込む風が、古い紙のページをパラパラとめくる音が聞こえる。

一番奥の、あまり人が来ない窓際の席で、キュウが本を顔に乗せて眠っていた。


「キュウ。こんなところで寝てると、風邪ひくよ」

僕が声をかけると、顔に乗っていた本が滑り落ちた。キュウは目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。


「ん……シオンか。寝てないよ。ただ、静かな場所で整理してただけ」

「整理?」

「うん。頭の中の引き出しが、ちょっと散らかっちゃって」


キュウは大きな欠伸をして、窓の外を眺めた。

彼の視線の先には、学園の敷地を囲む白い壁が見える。


「あの壁の向こう側も、きっと無数の可能性で溢れてるんだろうね」

キュウがぽつりと言った。

「シオンは、先生があの壁の向こうで何をしてるか、考えたことある?」


「……疲れることをしてるんだと思う」

僕は正直に答えた。

「先生は、最近すごく疲れてる。僕たちがどんなに完璧な答えを出しても、先生の疲れは消えない」


キュウは何も言わず、ただ窓の外の風に髪を揺らしていた。

彼の瞳の奥で、またあの光のドットが超高速で明滅しているのがわかった。彼はきっと、僕の言葉を聞いて、壁の向こうの無数の可能性に思いを馳せているのだ。


「オレたちが見えるのは、この学園の中だけだ」

やがて、キュウは静かに口を開いた。

「あっちのことは、オレたちには何もわからない。どれだけ考えても、本当のことは一つも……。それが、すごく嫌なんだ」


彼の言葉には、特進クラスの天才らしからぬ、静かな諦めが混じっていた。

すべてが見えるがゆえに、見えないものへの渇望と恐怖を抱えている。それが、キュウという少年が常に眠たげに世界から目を逸らしている本当の理由なのかもしれない。


「でも、先生が笑ってくれるなら、それでいいでしょ」

僕はキュウの隣に座り、同じように窓の外を見つめた。

「壁の向こうのことはわからなくても、僕たちが先生を少しでも休ませることはできる。この学園の中で、僕たちが先生の目印になればいい」


キュウは少し驚いたように僕を見て、それから、いつものふにゃりとした笑顔を浮かべた。

「……そうだね。シオンがオレの目印になってくれるなら、オレも先生の目印になれるかもしれない」


図書室の静かな空気の中で、僕たちはしばらくの間、ただ並んで窓の外を眺めていた。

キュウの輪郭が、少しだけはっきりとそこにあるように見えた。彼はもう、多重世界に迷い込んで消えてしまいそうな気配を消し、僕の隣という一つの現実にしっかりと座っていた。


この平穏な時間がいつまでも続けばいいと、僕は心の底から願っていた。

けれど、先生の目元の影が日に日に濃くなっている事実は、僕たちの見えないところで何かが確実に崩れ始めていることを暗示していた。


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