星下で笑う
「――――っ」
思い出したように体中から大量の汗が噴き出した。時折咳き込んでは、肩を大きく揺らして呼吸をしている。
現在、晴明はノアに大威力の魔術をぶつけ、魔力切れを起こしていた。
(息がしづらい……体中が熱い。それに……重い……)
魔力を使い果たすつもりで魔術を発動させたのだから、こうなるのは分かりきっていたことだ。が、魔力切れがこれほどきついとは想像していなかった。もしかしたら熱も出ているかもしれない。
「でも……これで……」
ノアは倒せただろう。そう思い、倒れこんだ状態で首だけを動かして土煙の奥を見る。今、晴明の目の前では建物も地面も虫の一匹すらもない。魔術の射線上にあったものは例外なく消し飛ばされていた。
そう、例外などあってはならない――。
「……っ、くそ!!」
土煙の奥からまたしてもノアが現れる。これほどの威力の攻撃をもってしてもノアを滅ぼすことは叶わなかった。しかし、それだけだ。
今、晴明の目の前にいるノアは見るからに瀕死だった。
肉体のあちこちが焼け焦げ、左腕と下半身は見るも無残に失っていた。上半身の断面から血の触手を伸ばして、なんとか立ち上がっている状態。目玉は炎で沸騰でもしたのか、真っ黒な虚空が広がっている。おそらく、血の盾などを作って心臓だけは守ろうとした結果だろう。
命をつなぎとめるのに力を使いすぎたか、ノアは知能を著しく低下させていた。
その証拠に、ノアは先程から言葉を発せず「あ~あ~」と意味の分からない呻き声を上げてばかりだ。
これでは無事とは言えない。消滅しなかっただけで、もはや動くだけの人形となにも変わらない。
「晴明、トドメを!」
「わかって……る……!」
マラドーナの叫び声を聞いて、晴明の意識は正気に戻った。
魔力切れなんてもの、今は無視する。晴明はなけなしの力を足に込めてノアのもとまで疾走しようとした。その時、
視界が赤色に染まった。
「?」
ノアの攻撃……ではない。ヤツが攻撃を仕掛けた気配はない。
「あぇ―――――?」
訳の分からないまま、自分の顔に手を当てた。そうして気づく。
目、鼻、口。顔中の穴という穴から血液を滴らせ、肉体が激痛という危険信号を上げていることに。
――バタンッ
晴明は急激に力を失って地面に倒れ伏した。意識は残っているし、ノアを殺そうとする気概はある。ただ肉体が言うことを聞かない。
この一連の出来事を視界に納めたマラドーナは、今の晴明がどういう状態なのか察していた。
(これは……オーバーヒートか……!)
オーバーヒート。本来は電子機器などが通常の動作範囲を超えて異常な高温を持つ現象のことだが、この場合は魔力のことを指す。
(おそらく無茶な魔術、魔力の使い方をして肉体の方が根を上げたんだ。これ以上動かせば晴明の命が危ない!)
そのことを直感したマラドーナは、動けない晴明に変わってノアにトドメを刺そうとした。まだ万全とは言えないが、ある程度は回復した。死にぞこないの吸血鬼に迫って、心臓を潰すくらいの余力はある。
「……なんだ!?」
行動の直前、自分たちの周囲を謎の気配が取り囲んだ。
見れば、それが人の形をしていることが分かった。
――ということは。
「吸血鬼……それに屍食鬼!!」
マラドーナは自身の失態を呪う。
気づくのが遅れた。
おそらく晴明の攻撃を受ける直前、ノアは彼らにここに集まるよう命令を飛ばしていたのだ。と。
動く屍共は、まるで躊躇いなんて不必要な機能は最初から持ち合わせていないとばかりに、マラドーナたちに襲いかかってきた。
十や二十どころではない。戦闘開始前にノアが口にしていた『街中の人間が屍食鬼または吸血鬼化している』という発言。これが真実なら、文字通り晴明たちを押しつぶすほどの物量で攻められることとなる。
「ッ……くッ………!」
マラドーナはなけなしの魔力を使って迫りくる吸血鬼たちをはじき返した。
口元からよだれをたらし、鬼の形相で襲いかかってくる彼らは、パニックホラーなんて軽く超える恐怖の塊だ。
「!!」
魔力で屍共を弾くこと十度……マラドーナは足をくじいて地面に倒れこんだ。それを好機と飛び掛かってくる吸血鬼を誰かが横合いから斬りつけた。
「凜太郎!」
マラドーナは危機を救われ、つい破顔する。
依然として危機的状況なことに変わりはないが、少しは楽になったとマラドーナは前向きに考えた。
「無事ですねマラドーナ! それに晴明くんも!」
肩で息を弾ませながら訊ねてくる凜太郎に、マラドーナと晴明は「ああ……」と返事をする。前者は少し余裕を取り戻した感があるが、後者に関しては死にかけのセミのような頼りない返事だ。
聞いておいてなんだが……どう見ても無事ではない。と凜太郎は思った。
それはそれとして――
「元が死体のグールはともかく、なんで吸血鬼まであからさまに理性を失ってる!?」
「たぶん『魅惑領域』とやらでムリヤリ吸血鬼に作り替えられてたせいだろう。ノアの魔力が脳みそをぐちゃぐちゃに破壊したんだ」
しかし、それでも吸血鬼には再生能力がある。故に普通はこうはならない。
おそらく死にかけの身で「あ~あ~」言ってるノアの影響を受けているのだ。再生能力がうまく機能せず、脳みそという複雑な臓器の再生ができなくなっている。
「なるほど……」
凜太郎は冷や汗を流しながらそう言った。満身創痍の今の彼らからすると、がむしゃらに突っ込まれるっほうがキツイ。
圧倒的物量による屍波は、そんな彼らの心境を知らぬまま三人の身に襲いかかった。
「逃げますか、マラドーナ?」
「いや……コイツ等は街中にいる。この猛攻をかいくぐって街を脱出するのは今の僕たちには不可能だ……!」
余裕のない声で凜太郎とマラドーナの二人は意見を交わす。交わしながら、迫りくる屍をはらいのけていた。
魔術と斬撃が飛び交い、眼前の”死”を拒絶する。
その二人の奮闘に、晴明はボロボロの肉体をなんとか動かして加勢した。ぶちぶちと人体から鳴ってはいけない音がしているが、気にしている場合ではないと己を戒め、近くにいた吸血鬼たちを千切り、噛み砕き、捻り潰して投げ飛ばす。自身の持つ獣性を遺憾なく発揮した。
「晴明!」
「――手伝ってくれ!」
動き回る晴明に驚いたマラドーナは彼の名前を叫んだ。当の晴明はそんなマラドーナの声を無視して自身の意見を強く告げた。凜太郎は困惑しながら聞き返す。
「手伝う?」
「ああ。今からノアにとどめを刺しに行く。二人はそれを手伝ってくれ!」
早口でまくしたて、今すぐにでも飛び出しかねない晴明をマラドーナは慌てて制止した。
「ノアを倒すのはいい。けど、君がそれをやるのか!? オーバーヒートのせいで立ってるだけで命を削っているような状態だろう! そんな――」
「わかってる! けど……俺がやらなきゃダメなんだよ!」
「…………」
この中で一番重症なのは間違いなく晴明だ。なら、晴明に比べ、余力のある凜太郎かマラドーナのどちらかがノアにとどめを刺しに行くべきところ。
だが、自分が止めを刺すと、そう口にする晴明の目は固い決意に満ちたものだった。それがマラドーナの言葉を詰まらせる。
「……やらせましょう。これ以上もたついている暇はない」
凜太郎の言う通り、晴明にぶっ飛ばされた吸血鬼共は再び立ち上がり、こちらに向かってきている。そのことを確認したマラドーナはどこか諦めたような口ぶりで、わかった、と言った。
全員で覚悟を決めたのち、晴明はノアに狙いを定めて疾駆する。
―― * * * * ――
ちなみにだが、戦いの決着はすでについている。
この勝負は晴明が勝ってノアが負けた。その事実は変わらない。
例えるなら、今から行われるのは捕えた罪人の処刑だ。
違いがあるとすれば、処刑人も処刑対象も両方が瀕死であるということだけ。
”死”がすぐ後ろまで迫っていた。
血にまみれた壊れかけの肉体を酷使して、晴明はノア・ベルナールの処刑に身を乗り出す。
「―――」
咳と一緒に血とゲロを吐き出した。
口の中はそれらが混ざった味がして気持ち悪い。
――無視する。
大地を踏みしめる衝撃は骨に響いて。
全身が悲鳴を上げていた。
――無視する。
肉体同様、酷使され続けた脳みそは真夏の砂浜のように熱い。
――無視する。
膝を折るには十分な言い訳を相手への殺意で踏みにじる。
晴明がこれほどノアを殺すのに固執するのには、彼なりの理由があった。
アリスを拉致したこと。
街をめちゃくちゃにしたこと。
そしてなにより――友達であった西岡和人を吸血鬼に変えたこと。
思えば、西岡和人は晴明にとって日常の象徴だったのかもしれない。朝起きて学校に向かい、たまにケンカしながらも他愛のない時間を過ごす。
当たり前の――それでいてかけがえのない日常をノアは破壊した。
「ぐっ……っ……」
晴明は怒りをバネにノアの処刑を執行する。
瞬間、記憶が脳に流れてきた。それはおそらくノア・ベルナールの記憶。
裏切られ、悲しみに暮れ、捨てられた。
その記憶は断片的で、詳しいことはわからなかった。
彼がこんな凶行に及んだのも彼なりの理由があるのかもしれない。
しかし――それも無視する。
『日常』を壊した存在と分かり合うなどできるはずもない。
晴明は拳に伝う”死”の感触を味わいながら、確かにそう思った。
―― * * * * ――
――晴明たちから離れたどこかの通り道。
人気がなく、星明りだけの道を一人の女性が歩いていた。
その女性は金色の髪をなびかせながら、どこか陽気な足取りで進んでいく。
途端、女性の体に亀裂が入る。それは砕けた氷……あるいは鏡を連想させた。
砕け散った偽りの殻は、魔力の粒子となって世界に消えた。そして本来の男の姿が顔を出す。
「――サンジェルマンさん」
横から何者かが男の名を呼んだ。呼んだのは両目に異なる色をもつ少女。
「やあ、アイちゃん! 待たせてしまってすまない――で、彼女の様子はどうだい?」
「はい。アリス・エインズワースは変わらず眠り続けています」
「そう。ならいいよ!」
男――サンジェルマン伯爵は陽気さを崩さないまま、そう答えた。
彼らは、静けさに満ちた街をただ進んでいく。
――空では未だ、無数の星が輝いていた。




