109話 無口な先生と初めての授業
今回も理系特有の楽しみ方は難しいかもしれません。
さっさとサルト編を終わらしてミロク編の続きを書いていきたいものです。
サルト編はあと3・4話くらいを予定にしています。
翌朝。
目が覚めると、大きな窓から柔らかい朝日が差し込んでいた。
この数日はたくさんのことがありすぎた。
革命を起こそうとしていた貴族に攫われて本当は皇女だと告げられて。
牢屋に閉じ込められて。
その貴族の屋敷から暗殺者に救われて。
この世界での家族に会った。
コン、コン、コン
扉にノックがあった。王城に来たのは最近だったけど10年間、使用人に囲まれて生活をしてきたから、使用人が来た時の合図たってことは知ってる。
「はい。どうぞ。」
「失礼しますの。」
扉を開けてセレナルコが入ってくる。いや、話し方的に分体だな。
「ええっと。何番?」
見分けがつかないから聞いてみる。
「9番でございますの。サルト様の専属メイドの任を拝命いたしましたですの。よろしくお願いしますですの。」
「よろしく。」
「よく眠れましたですの?」
「うん、ぐっすり。」
あのベットはやばい。ふかふかで夢の世界に誘ってくる。
「それな何よりですの。朝食の前にお召し替えをお願いしますですの。」
そう言って服を差し出してきた。彼女のメイド服のスカートの中から出てきたことには突っ込まないことにした。
紺を基調とした上品な服装で、胸元にはセリンデブル王家の紋章が刺繍されている。昨日来たドレスより動きやすそう。
「朝食が終わり次第デーズハイル殿の授業ですの。動きやすい服装で、と言われてますの。」
「ああ、いよいよ始まっちゃうのか、デーズハイルの授業が。」
9番に聞こえないくらいの小声でつぶやいた。そしたら、
「頑張れナノ。ボク達は応援してるナノ。」
「頑張るのよ、ですわ。」
「アタイも応援してるだよ。」
エレメンタムたちに応援されてる。
勘違いしないでほしい。授業は楽しみである。この世界のことをどんどん知るのが好きで、本も読みまくっていた。
それに家庭教師がつくことはとても嬉しい。ただ、デーズハイルはあまり喋らなくて、怖いだけ。
9番の手伝いもあって服はすぐ着れた。
「朝食でございますの。」
またスカートの中からパンとスープと少し野菜の盛られた皿が乗ったお盆を出してきた。
これはもうセレナルコたちはメイドに関することならなんでもありだと考えるべきだな。
食堂で食べないのかと思ったけど、王族っていっぱい仕事があって滅多に集まることはないのだろうと気づいた。
10年間大きめの屋敷で主人1人として生きてきたから、いつも通りと言えばいつも通りだけど、妹と弟には会いたいものである。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですの。デーズハイル殿は無口ですけど、怖い人ではありませんですの。」
「え、顔に出てた?」
「丸わかりですの。」
「本当に怖くない?」
「むしろ教え子思いですの。」
まだ怖いけど、大丈夫だと思えてきた。
「うん。食べ終わった。どこに向かうの? 案内して。」
「承知いたしましたですの。」
今日から本格的に始まる。
皇女としての生活が。
「よーし頑張ろう!」
そう生き込んで部屋から出た。
向かうのは裏庭らしい。
数分歩いて遂に外に出る扉についた。
相変わらず道は分からないから9番についていくしかない。
裏庭の美しい草花の植えられた花壇の合間にお茶会用のテーブルがあった。
そこにデーズハイルが待機していたからそこに向かった。
不思議な服装だ。
上は男性の服装。なんかひらひらのついたインナーシャツの上に黒ジャケット。下はレースのあるゆったり目のスカート。そして、1番の衝撃が靴だった。長靴なのだ。
完全にあのヨーロッパの童謡、『長靴をはいた猫』だった。
これでレイピア使いだったら完璧なのに。
「おはよう。」
無愛想な顔のまま、挨拶をされた。
「おはよう。」
目を合わせられない。
デーズハイルは椅子から立ち上がることなく、静かに私を見つめた。
「今日はお辞儀の勉強。」
「はい。」
短い。
やっぱり怖い。
9番がそっとお辞儀すると、
「では私はこれで失礼いたしますの。」
そう言って音もなく立ち去っていった。
裏庭にはデーズハイルと2人残った。
風が花壇を揺らし、小鳥のさえずりだけが静かに響いていた。
「まず見本。」
そう言うとデーズハイルはゆっくり立ち上がった。
背筋は1本の剣のように真っ直ぐ。
足を揃え、スカートの両脇を軽く摘む。
そして膝を少しだけ曲げ、上半身は一切崩さず、優雅に一礼した。
昨日リシェルが見せてくれたカーテシーと同じ動きなのに、まるで別物だった。
無駄が1つもない。
芸術作品を見ているようだった。
「やって。」
「う、うん。」
見よう見まねで足を動かす。
ドレスの裾を摘まみ、膝を曲げる。
その瞬間。
「違う。」
まだ終わってないのに指摘が入った。
「えっと……どこ?」
「顎。」
少し引く。
「膝。」
あ、曲げすぎか。
「……。」
無言が怖い。
「もう1度。」
「はい……。」
今度こそ。
ゆっくり腰を下ろす。背筋を曲げない。顎を引く。
一礼する。
数秒の沈黙。
「……まし。もう1回。」
「はい。ありがとう。」
この練習は前世の部活を思い出す。
弓道も身体の部分部分を意識して射形を整えていく。
その後も何度も繰り返した。
1時間ほど経った頃。
「今日はここまで。」
まだ午前中なのに疲れた。
ルイーザさんと小さい時からやってた、体力作りの運動をしてなかったら今頃バテていただろう。
「お辞儀は1日で覚えられるものじゃない。」
初めて少し長い文章を聞いた気がする。
「毎日積み重ねる。」
「はい。」
デーズハイルは静かに椅子へ座り直し、自分の影から取り出した紅茶を1口飲んだ。
9番もそうだったけどこの世界では異空間の収納から物を取り出すのが普通なのだろうか。
弓具収納というスキルで弓具に限定して異空間に収納することはできるけど、やっぱり色んなものが収納に持ち運べたら楽なんだろうな。
紅茶を飲んでいたデーズハイルの影から黒い手が出てきて、1冊の本を出してきた。
「読んで。」
テーブルの上に置かれたその本の表紙は革張りで、いかにも高価なものだった。
題名は『基礎からベルヘセルン語』。
「陛下は外交で期待してる。言語は大事。」
そう言って本を渡してきた。
本の1ページ目を開くと見たことがない文字でびっしり。
「これ、どうやって読むの?」
「ん。」
次のページを捲られた。
そのページにはさっきの見開きの説明がセリンデブル王国語で書かれていた。
『先のページの文章はセリンデブル歴1945年、大陸会議にて、魔物公国ベルへセルンを大陸国家全5国が新たな大陸国家として正式に認めた時の条文である。以下にセリンデブル王国語に訳したものを記載している。』
政治用語は難しい。セリンデブル王国語でもたまに分からない単語が出てくる。
「2年で7言語。」
デーズハイルがそう淡々と言った。それと同時にデーズハイルの影からまた影の手が出てきて今さっき出してきた本より分厚い本?いや、表紙がないから紙束と読んだ方が正しいかもしれない。
最も上の紙には
『大陸言語マスター辞典』
と書いてあった。
「大陸言語って何?」
気になって聞いてみる。
「次のページ。」
そう言ってまたページを捲られた。
そこにあった説明はこんな感じだった。
まずは母国語であるセリンデブル王国語の政治用語や丁寧な話し方を覚える。
次に北の隣国、魔物公国ベルへセルンの公用語、ベルへセルン語を学ぶ。
大陸の反対側にあり、同じ人族が統治するクルーン帝国の公用語、クルーン帝国語。
南の隣国、魔帝大国テリエンティエイの公用語、テリエンティエイ語。
ドワーフ王が君臨するドワーフ王国エーリソドリンの公用語、エーリソドリン語。
獣王国ダレスチアの公用語、ダレスチア語。
国家ではないけど、天翼族の言葉、カワリエ語。
この大陸のセリンデブル王国が関わりのある国家と種族の言語が大陸言語と呼ばれているらしい。
あらゆる言葉の大陸言語訳が書かれていた。簡単な意味説明や挿絵もついていて分かりやすい。
何よりも驚きなのが全て手書きだということ。
「これ、デーズハイルが作ったの?」
「ほとんど友達が。」
数千ページに及ぶこの辞典を作るために途方もない時間がかかることなんて容易に想像がつく。素直にすごいと思う。
加えて、綺麗に整理されている。単語は品詞ごとに分類されていて、同じ品詞の言葉は、セリンデブル王国語で言うところの五十音順に並べられている。
これを作った人は教育学の天才だと思った。
「これを2年間で覚えるの?」
「そう。」
「え。」
「話す。聞く。読む。書く。」
「いやいや無理だから。」
「できる。」
文字記憶が得意な智数でもあるまいし、そんなことができるわけがない。
いくら勉強が得意だからといって参考書や辞書を丸々暗記するなんてことはできない。
「全部じゃない。」
そう言って、無作為に辞典のページを開いてあるところに指を差した。
セリンデブル王国語で銅貨と書いてある横に、知らない言語の単語が少し隙間を空けて綴られていた。おそらく、これが残りの大陸言語で銅貨を意味する言葉なのだろう。
デーズハイルが指を差していたのはそのすぐ横の星マークだった。
「星が大事。とりあえず星。」
星か。このページの単語の4つに1つは星がついている。ペラペラ捲っていっても大体のページで4分の1くらい。
そう考えるとなんとかなるような気がしてきた。
『基礎からベルへセルン語』を読み込ませられた。ベルへセルン語は前世の知識にない言語体系で、中々難しかった。
右から文字を書いているのはアラビア語と同じなのかもしれないね。
『大陸言語マスター辞典』のベルへセルン索引から単語を調べて翻訳しながら単語を覚えていく。
難しいけど、こればかりは地道にやるしかない気がする。
昼まで本を読んでいた。
この国は日本ほど湿度が高くなく、気温もそれほど高くならない。それに年中乾燥しているから雨も少ない。保湿用に化粧水がたくさん必要な点以外は不満のない、比較的過ごしやすい気候だ。
そんな心地よい気候の中、裏庭のテーブルで紅茶を飲みながら読書する皇女。
絵になるわ。
そんなことを考えていたら、デーズハイルがコップを置いた。
「挨拶は基本。今日はそれでいい。」
「挨拶? こんにちはとか?」
「そう。」
そして、デーズハイルは流暢なベルへセルン語で話しかけてきた。
「こんにちは。私はデーズハイルと言います。よろしくお願いします。」
えっと。聞き取れたけど、どう返事すべきか。
「こちらこそ、よろしく。サルト・セリンデブルよ。」
「駄目。」
即座に2文字で叱責された。
そして、ついでとばかりにデーズハイルの影の手が頭に軽くチョップしてきた。
「何が駄目だったの? カタコトだったけどちゃんと伝わるはずだよ。」
「敬語。」
注意されてやっと気づいた。
そういえば前世の頃から部活の顧問と先輩以外に敬語を使ってこなかった。
そのツケがここで現れちゃったのかも。
「他国の重鎮と話すかも。敬語は大事。」
そうだよね。敬語が使えないお姫様とか聞いたことないもの。
「サルト、これから敬語頑張る、です。」
そう言ったら、驚いたことにデーズハイルの無愛想な顔にほんの小さな笑みが浮かび上がった。
「デーズハイル先生が笑った! 笑ったよ!」
「気のせい。」
「絶対笑ったよ。」
そんな賑やかな感じで、初日の授業は終わった。
うちは理系ネタがある話のほうが好きですし、書いていて楽しいのですが、こういう家族愛とか師弟愛とか描いた話の方が好みっていう人も多いと思いますね。




