第31話:精神破壊
『グオオオオオ!!!』
体育館内からすさまじい声が響き渡った。同時に、窓にべったりと黒くて赤いものが飛び散った。
影の残骸だった。
悲鳴をあげそうになった瞬間、体育館の屋根が、炎で吹き飛んだ。
ぶわっと熱い熱気が押し寄せてくる。目の前は、轟々と燃える赤い炎が広がっていた。
「なにが、おこったの!?」
「ゆきな、こっちへ!」
カレブに中庭へと引き返す道に連れ去られる。
「待ってカレブくん! あれは、なんなの!?」
「チェイサーだ、一足、遅かったんだ!」
「チェイサー……?」
「大量の影を一箇所に集め、それを媒介に、やつらが現れたんだ」
「そんな……サラマルは……カザネは……今、中にいるんでしょ!?」
体育館を見上げる。建物は火だるまになっていた。
「……助けなくちゃ……助けなくちゃ!」
体育館に引き返そうとしたら、カレブに腕をつかまれた。
「だめだ、引き返すんだ!」ナイフの様に鋭い声。
「どうして!?」
走れば体育館なのだ、サラマルたちに、手が届くのだ。
「あのチェイサーは、ベルシュの時とは違う、何をしでかすか分からない!」
「でも、でも……! やだ、みんな、死んじゃう、やだっ……う」
泣き叫んで、気がついたら、ぎゅっと、カレブに抱きしめられていた。
「ゆきな。約束でしょ。引き返すよ」
低い声で囁かれ、手を握られ、走る。
涙が、出てきた。
自分は、なにもできないと。
サラマルは、カザネは、無事なのだろうか。
カレブを見た。とても怖い顔をしていた。
その時、後方から何かが崩れ落ちるような音がした。
二人はちらりと振り返って、足を止めた。
建物の中から、すすだらけのサラマルとカザネが、歩いてきたのだ。
「サラマル、カザネ……!」
ゆきなは二人にかけよった。
「ゲホゲホッ……あれ、こんなに可愛い天使がいるなんて、ここは天国か?」
よろめくサラマルが、にやりと顔をあげた。
「違うよ……二人とも、生きてた!」
ゆきなは勢いよく少年たちに抱きついた。
「いって! ゆーにゃん……へへ、ゆーにゃんも、無事で、良かったっす!」
カザネは左足を負傷している様子だが、それでも、元気そうに笑っていた。
「ゆきな、サラマル、バカザネ、走れ!」
カレブの鋭い声。
体育館を振り返ると、その中から、五体の巨体が現れた。
ゆっくりと、大地を踏みしめるように……いつか、ベルシュと鎖で繋がれていた、うろこで覆われた不気味な怪物。
それよりも歪で、目が合っただけで腰が抜けてしまいそうな、化物だった。
目を見開く四人。
チェイサーの一体が踊るように体を震わせ、三人めがけてかけてきた。
「やべ……!」
サラマルとカザネが剣をかまえた瞬間、チェイサーの足元を見えない何かが貫き、チェイサーは大きな音をたてて体制を崩した。
「なに油断してるの、馬鹿なの~?」
隣の校舎裏から、のんびりとした口調の声が聞こえた。間もなくして声の主は、黒いマントを翻して現れた。
「……ベルシュか、久しぶりじゃねーか」
サラマルが嬉しそうに声を上げる。
「感動の再開の前に逃げるよ、はい走る走る~」
五人は中庭に向かって撤退した。
「体育館にてチェイサーが現れた、五体、新種と見える。繰り返す……」
カレブが燃え盛る体育館を見上げながら、無線をまわしている。
ゆきなは二丁の銃をかまえたベルシュを見つめた。
「ゆきな、会いたかったよ」
ベルシュは銃をマントの裏にひっこめながら近づいてきた。紫水晶色の瞳が、ゆきなの体を念入りにチェックしているのが分かる。怪我をしていないか、確認しているのだろう。
ゆきなが無事だと分かったのか、安心したように溜息をついている。そして、何も言わずにゆきなを抱きしめた。本日二度目ともあり、ゆきなはドギマギ。
「こら、硝煙臭い体でひめに抱きつくんじゃねえ、ベルシュ」
「なにサラマル嫉妬?」
清々しいほど乾いた笑みを浮かべているベルシュは、いつもの人懐っこい笑顔と150度違っていた。
「あーもう、仲間割れはやめてください! とにかく、ここでチェイサーを食い止めねえと! 他のエリアに行かれるわけにはいかねえです!」
噛みちぎったシャツを足に巻いていたカザネが声をあげた。
「作戦を練り直そうか。もうすぐ応援がくる……小規模だけどね」
苦々しげに言いながら、情報伝達を終えたカレブが近づいてきた。
「チェイサーをあのエリアから出したくないの? それならオレが注意をひくよ。いちおう、あれと追いかけっこしていたわけだしな」
と、ベルシュが言った。
「あれは君の実験に利用されていた種類とは違う。一人では危険だよ」カレブが告げる。
「それならおれがバックアップするぜ」サラマルがすかさず名乗り出る。
「バックアップはバカザネに任せて、サラマルは体制を立て直してからの特攻をしかけて欲しい」
「れぶっち、さっきから僕の名前にバカを混ぜてねえですか?」
「……了解。おれはそれでもかまわないぜ」
少年たちはてきぱきと話をすすめている。
「けど、こんな人数でチェイサーをおさえるって危ないんじゃないの……? 私、みんなに怪我して欲しくない……」
ゆきなは思わず口に出してしまって、だんだん申し訳なくなり、口を閉ざした。
「うーん? ゆきながそーゆーなら、オレは他の方法でも良いよ~。できれば面倒なのはごめんだし。なにより、ゆきなを近くで守れる役目の方がいーし」
ベルシュは軽い調子で言って微笑を浮かべた。
「てめーざけんな。ここでおれたちがやんねえと全員死ぬかもしれねえんだぞ」
しかしサラマルは準備を整え、黒煙のあがる方角を見据えている。
今にも一人で引き返さん勢いだった。
そんなサラマルに向かって、たしなめる口調でカレブが口を開く。
「サラマル、チェイサーはまだ、この次元に上手く干渉できていない様子だった。つまり、オレたちも奴らに干渉しきれないんだ。それなら体制を立て直しながら機会を伺い、確実に奴らを叩くべきだ」
「わーってるよ、うっせーな」
「分かってないね。皆を守るという口実で、死に急ごうとする馬鹿がいると指揮が乱れるんだ」
死に急ごうとする。
ゆきなは脳裏に、昨晩のサラマルの声と、苦痛に満ちた顔が蘇った。
――おれは、幸せになっちゃいけねえんだ
罪滅ぼしをしなければいけない、サラマルはそう言っていた。
サラマルは一体、過去に何をしたのだろう。
サラマルたちの過去に触れるのはタブーだ。
以前、過去の話題がのぼったとき、サラマルの様子がおかしくなったのをゆきなは覚えている。
あの、虚ろな瞳。
そして今目の前にいるサラマルも、前だけを見た、いや、破壊の先にある深淵をのぞくような暗い瞳をしている。
「カレブ、なんの話かわかんねえけど、応援とやらのお出ましだぜ」
横目で確認したサラマルの言葉通り、司令塔がある場所から、十人程度の人が駆けつけてきた。
その中にはギルの姿もあった。
「ゆきな、お前なんでこんな危険な場所にいるんだ、すぐに戻れ!」
すごい剣幕で怒られた。
「ギル、もう今はどこにいても危ねえじゃん。それならゆーにゃんは、逆にこうしてそばにいてもらった方が、オレたちで守れるっしょ」
「それはそうだが……」
「ギル。屋上はどうなった?」
カレブが鋭く尋ねる。
「なんとか耐えたぞ。手が空いた奴らを連れてきたが、どこもかしこも酷い有様だ。これだけしか集まらなかった」
「仕方ないね。それじゃ、最初に話した作戦でいこう」
こうして一同は、チェイサー撃退の布陣についた。
ゆきなは校舎裏、カレブの後ろにいる。手渡された予備の無線機。今回はこれが必須アイテムとなる。予測不能な新種のチェイサー。上手く情報をまわして連携をとる必要がある。
『……こちら囮班』
ベルシュの声がイヤフォンから聞こえてきた。
『やっぱりチェイサーは火の海を行った引きたりしてるね。頻度が六十秒で三回まで減ったから、そろそろこの次元に干渉できるようになったみたい。タイミングを測って攻撃をしかける』
しばらくして、銃声の音が響きはじめた。時折、得体の知れないうめき声が混ざって聞こえた。
「……特攻隊、出撃」
カレブが告げる。
『了解っ!』サラマルの声が聞こえた。
『こちら囮班っす、一番でかいチェイサー、左足の関節がねえです。上手く歩けないみたい、そいつから倒します、支援を!』
これはカザネの声だ。
ゆきなは校舎の影から顔をだした。小さく見える体育館から、怒号や銃声の音が続いている。あそこでみんなが戦っているのだ。
「ゆきな、大丈夫だよ。まだ負傷者はいない。このままいけば、倒せるよ」
カレブに肩をひきよせられ、頷いた。
その時。
『う、あああああああ!』
無線機から、誰かの悲鳴が響いた。
誰だ、分からない。
ただ共鳴するかのように、次々と他の無線からも悲鳴があがる。
「今度はなに!?」
そう言った瞬間、ゆきなの頭に一つの光景が蘇った。
いや、強制的に再生させられた。
それは、過去の記憶だった。どんくさい、鬱陶しい、いい子ちゃん。そう嘲笑されながら、中学の教室で除け者にされていた記憶。
過去の、嫌な思い出。
それが断片的に掘り起こされていく。
苦しくて、顔をあげた。
かすむ視線の向こうで、カレブも片手で額を抑え、目線が定まっていない。
……全員、思い出したくない過去の記憶を見せられているのだ。
「……か、れぶ、くん……これ、は」
「……害意の、精神、破壊」
倒れるように抱きしめてきたカレブは懐から何かを取り出し、霧状の液体をゆきなに向けて吹きかけた。
ゆきなは声を上げる間もなく、意識を手放した――
***
「なんだ、今のは!?」
火の手から退きながら、ギルが頭をぶんぶんふった。
「オレにはよく分かんないけど……人によってダメージに差があるみたいだな」
ふらりとして額を抑えながら、ベルシュも後退する。
周りにいた男たちは、何が起こったか分からないと言いたげにぽかんとしている者もいれば、怯えきって奇声を発している者もいる。
「……趣味の悪いまやかしだ。おいしっかりしろ、目を覚ませ!」
ギルが錯乱した仲間を介抱しに行った。ベルシュは崩れた瓦礫の上に佇むチェイサーを見上げる。三体は撃墜した。しかしあと二体は傷一つなく、直立不動で佇んでいる。
直立不動とは、おかしな話だった。それに、二体のチェイサーの心臓と思しき核が、白く光っている。
「あれが、噂に聞いてた精神破壊の核ってわけね~」
ベルシュはためらうことなく両手挙銃を撃った。
しかし、核に触れた瞬間、弾丸の方が弾け飛んでしまった。
「な……!? サラマル、カザネ、あの核すっごい硬いんだけどっ!」
火の海を見渡し、その裾で、仰向けに倒れているサラマルを発見した。
傍らには、何度もその名を呼ぶカザネが座り込んでいた。
「おい、お前ら何をしているんだ!」
二人に駆け寄ったギルは、息をとめてサラマルをのぞきこんだ。
わずかに開いた唇。
かっと開いた瞳に、光は宿っていない。
「……こいつ、どうしたんだよ?」
「いくら呼んでも戻って来ねえんすよ。サラマル、もしかしたら、このまま……」
カザネは声をふるわし、拳を握りしめている。
「しゃきっとしろ、カザネ! 俺たちには先にやるべきことがあるだろう。サラマルを助けたいなら」
ギルはそこで言葉をきって、ニ体のチェイサーを見上げた。
「――こいつらをどうにかするほかないだろう」
「分かってる、けど……」
「……はあ。だったら貴様は、サラマルを連れてここから離れろ」
「ギル、いいんすか?」
「その代わり、そいつを安全な所へちゃんと届けるんだぞ……行くぞ、ベルシュ」
「おーけーおーけ! カザネ、しっかりサラマルを守ってねっ」
「うんっ……ギル、べるっちょ、あとは任せました、ぜったい死なないで!」




