第30話:それぞれの戦い
学園都市外。
街は阿鼻叫喚。地面を這い回る影が、蠢いていた。
「うわあああああああああっ、や、やめ、やめろっ!」
血に濡れた人間の右足をつかみ、壊れた玩具のように四肢を振り乱すその腹にむかって、黒い影が口を広げ、鋭く尖った牙を差し込もうとし、ぴたりと止まって崩れ落ちた。
解放された人間は、血と汗でどろどろになった顔に涙をつたわせながら、這うように逃げていく。
「……守る側がああなっちゃうなんて。本当に、これだから最前線は嫌なんだよな~」
漆黒のマントを翻した少年は、今しがた助けた防衛人を尻目に、黒い帽子を目深にかぶった。
辺りを見渡すと、黒い影がびっしりと、町中の建物にへばりついている。
防御スキンで覆われているとはいえ、あそこまで酷いとなんらかの影響は受けていることだろう。
ベルシュは漆黒のマントの下から二丁の挙銃を両手にかまえた。そして、悲鳴と怒号が響く道路をまっすぐ見据えて歩きながら、右手の挙銃で襲いかかってくる影を射抜き、左手の挙銃で誰かを襲う影を撃ち抜いた。
「あと何体やればノルマ達成だっけ」
憂鬱そうな声を漏らす。
すると目の前で何かが爆発した。ベルシュは立ち込める煙と粉塵をよける。
「……いきなりなにっ!?」
「前触れだろうな」
すぐ背後からした声に、ベルシュは素早く両手の銃を相手に向けた。
「おっと、にんげん相手にそりゃないだろ」
ベルシュの前にいたのは、身長の二倍はあろう細身の黒鎌を手にした少年だった。
喪服のような地味なスーツに身を包んでいる。中世的な顔、けだるげな海色の瞳、感情のこもっていない声。
「あんた、初対面じゃないね」
ベルシュはにこりと笑って、しかし挙銃はおろさない。
「……まあ、今回ばかりは懸命な判断かもしれんな」
少年はつきつけられた銃口を見て、無表情に呟いた。
「夢みたいなこの景色が俺たちの現実だってんなら、それ相応に戦ってみよう……とか言っとくのが、初陣としてはクールだと思わないか?」
「……初陣。あんた、機関の人間?」
ベルシュは依然として笑顔を続けながら、訳のわからないことをぼやく少年に尋ねた。
「それはいつか分かるだろうよ」
少年は感情のこもってないような声色で、ぼんやりと頭上をあおいだ。
「悪いけどさ、オレ忙しいんだよね。あんたもはやく帰んなよ?こんな所でぼーっとしてると、死んじゃうよ」
「……ここは俺が任されたシマなんだがな。まあ、同類に免じて忠告だ。こっから先にある、学園都市、やばいことになるぞ。なんだっけ、お前の大切なやつがいる……まるすがくえん?」
「は?」
ベルシュは、やる気のなさそうに言う少年をにらみつけた。
「信じないならそれでかまわんよ。けど俺には分かる……聞こえすぎちまうんだからな。とにかくマルスとやらにチェイサーが現れる」
少年は口角だけをあげて、笑ったような表情をしてみせた。
「学園にチェイサーだって……ゆきなが、危ないっ!」
紫水晶の瞳孔が開く。
ベルシュは音もなく地面を蹴ると、あっという間に遠くの先へ消えていった。
「おお~……さすが空間移動の力。不完全でも足の速いこと」
少年は鎌をぐるりとまわして、奇妙な笑みのようなものを浮かべた。
「――この嘘みたいな戦いが終わったら、いつか会いに行ってやるよ。まだ未完成のイレギュラー……いや、ひーめちゃん」
***
マルス学園体育館にて。
四足歩行の牙をむき出す影が、床を覆い尽くさん数で湧いていた。
それを切り裂く閃光。影は肉塊となり、鮮血をとばす。
「切っても切っても減らねえ!」
返り血にべっとり濡れた少年、サラマルが、短剣をふるい、刃に付着した血を地面にとばした。サラマルの後ろには、銀白色の長剣をかまえた少年、カザネがいる。
「……っつーか密集しすぎなんっすよ。なんでよりにもよって体育館が発生源の一つなんです?」
「さあな。少なくとも、この影どもには知能がほとんどねえって話だ。けど、人間を食い殺す本能があることは確か。こんな所に固まってたら殺れないことくらい分かるはずだ。嫌な気がする」
「……どうします、さらたん。いったんひくっすか?」
「ここがおとされちゃ他が殺られる。なに、先手打たれる前に、こっちが先に撃てば良い話だ。ついてこいカザネ、後ろは任せたぜ」
「言われなくとも」
サラマルとカザネは背中を合わせ、息を整え、地面を蹴って剣をふるった。
影の唸り声が轟く。少年は壁に手をつきすばやくターンする。
影からくりだされる巨大な刃が、少年の背中に向かって振りかぶられる。少年は躊躇わず前を見据え、ぎらり光る刃を叩き切る。
カザネとサラマルは背中を向き合わせる形で着地し、互いの背中を狙った敵が崩れていくのを見た。
「……さんきゅー、今のは助かった」
「さらたんを死なせるわけにはいかねえですもん」
「だからって自分の背中がら空きにする奴がいるか」
「……さらたんが守ってくれたんだから良いでしょ~」
カザネは苦笑しながら剣をかまえなおす。
「……はやく片付けましょ、ゆーにゃんが心配っす」
「それじゃ、どっちが多く始末できるか勝負だな」
サラマルは楽しげな声色で言った。しかしいつものようなきどった態度も、軽さも感じられない。
何かを前にして踏みとどまるような、
理性と衝動の間に気持ちが高ぶっている時の、妙な笑いを浮かべていた。
カザネはサラマルを横目で見て、
唇を固く結んだ。
カザネは瞳を閉じて、気持ちを誰の手も届かないような深淵へと沈み落とす。そして、瞳を開いた時には、冷気という冷気をまとったかのような、鋭い氷のような表情をした少年になっていた。その顔に、いつもの人の良い気配はない。
「いい加減に、守られることにもなれてくださいよ、王子」
戦いは続いた。
その様子を、離れた図書館前でモニター越しに見守るゆきな。
画面を見上げながら、一心に願い続けていた。どうかみんなが無事で帰ってきますようにと。
「……ウェストルダンは防衛に難を極めている様子だな」
PCに向かってキーボードを打っている男の一人が呟いた。その顔に見覚えはないから、マルス学園の教師ではないのだろう。
「……とはいえ、この様子なら勝てないこともなさそうだ。学園の人員をそちらにまわすのはどうだ?」
隣で作業をしている男が提案した。
「それは良いな。何事も効率良くいかなくては」
「ちょっと待ってください、今こちらの人員を減らすのはいかがなものかと」
景気良く笑う男たちに向かって、カレブがはっきりと告げた。
「なんだ、確かウェルザーブとかいったな……何故そう思う」
「まだチェイサーが現れていない。それに、体育館。この害意の出現場所には違和感があります」
「違和感? そんな主観的な感想でお子様が出しゃばるんじゃない」
男はもう一人の同僚と目をあわせ、嫌な笑みを浮かべた。その顔は、若くして司令塔に選ばれたカレブに対する、醜悪な感情が現れていた。
ゆきなは拳を握りしめる。
手の届く距離で見張りをしている雅も舌打ちをついた。
しかしカレブは表情を崩すことなく、ゆっくりと発音した。
「これは戦です。オレの立場や効率……いや、学園外部の評価よりも、確実に敵を撃つことを検討した方が良いと思います」
学園外部の評価……男たちは「的確な判断で外部に増援を出した司令官」としての賞賛を、WSから受けたかったのだ。
「評価、なんて、気にしてはおらん!」
顔を真っ赤にした男は図星。次の瞬間には、学園の人員を外部にまわすように、無線をいれてしまっていた。
カレブは呆れたような顔をして、表情を消し、黙って立ち上がった。
「……カレブくん、どうしたの?」
「勝率が下がった。これだから人間は嫌なんだよ。馬鹿なくせにプライドだけは高くて」
吐き捨てるように呟いたカレブに手をとられる。そして「行くよ」と囁かれ、歩きはじめた。
「どこに行くの……!?」
「ここはもう危険だよ。今あれだけの人員を減らしてしまえば、戦況はもっと悪くなる。今のうちに、君を安全な場所へ連れて行く」
「安全な場所? それって、シェルター?」
カレブは何も言わない。
ゆきなはカレブの手を振りほどいて立ち止まった。
カレブは瞳を細めてゆきなに向き直った。
「私いやだよ、逃げるの。イレギュラーは、形だけでも戦場にいなくちゃいけないんでしょ。それで、戦いを生き残る……それが私にできることなんだよね。今ここで諦めたら、もっと大切な戦いで負けたことになっちゃうよ!」
「……命を落とすよりは良いでしょ」
カレブは冷たく告げる。
「それでも。みんなのことが心配なの」
ゆきなはカレブの金色の瞳をまっすぐ見つめた。
「君を危険に晒すわけにはいかない。君が心配だと言うのなら、オレが変わりにあいつらのもとへ行ってあげる。そうして必ず勝って……」
カレブの言葉を聞くゆきなの瞳の裏に、にこりと笑って走り去っていくサラマルたちの姿がよぎった。小さくなっていくその背中は、ゆきなが追いつけないほどの速さだった。
「……カレブくんもみんなも、このまま遠くに行っちゃったらって思うと、そっちの方が怖いよ。だから、私は何の役にも立たないかもしれないけど、それでも……みんなの傍にいたい」
ゆきなは震える声で、しかしはっきりと告げた。
カレブは目を見張るようにしていた。少し驚いたような顔でもあった。
「……君は、そんなにあいつらが大切なのかい?」
「カレブくんもだよ」と、ゆきなは大きく頷いた。
カレブの手が持ち上げられ、ゆきなの頭にぽすんと乗せられた。ゆきなははっとしてカレブを見上げる。カレブは、久しぶりに微笑を浮かべていた。
「……驚いた。ほんとに君という人間は、おバカさんなんだから。ベルシュの時と言い……この惨状を前にしても、わざわざ危険に身を晒し、他の誰かを助けたいと言い張るなんて……つくづく、変わった人間だね。いいよ、手伝ってあげる。どうせ作戦は崩れてしまったんだ。一緒にあの脳筋たちのもとへ行こうか」
「いいの……?」
「良いよ。けど、危険地帯には入らない。なにがあってもこの手は離さない。生きる時も死ぬ時も一緒だから。ゆきなも、それで良いね?」
「うん……!」
ゆきなは大きく頷いて、クスクス笑った。
「……けどその台詞、ちょっと告白みたいでびっくりしちゃった」
「本気だよ」
「それってどういう意味?」
目を丸くすると、先を急ぐよと手を握り直された。
そうしてゆきなたちは、中庭を通って体育館に向かった。遠くから銃声や悲鳴のすさまじい音が聞こえてきた。体育館に向かうには、あの校舎の角を曲がれば良い……走って、それを曲がったとたん、目の前に、二体の黒い影が、ゆらりと現れた。
「……か、カレブくん!」
「かまわず走って……」
走りながら、カレブに肩を引き寄せられる。
二体の影が、同時にぬっと起き上がった。実際に見ると、本当に図体がでかい。すくみそうになる足。影は鋭い刃をぎらつかせ、勢いよく飛びかかってきた。
まるで、アトラクションかなにかのように、現実味が感じられないほど、巨体で迅速な動きをする物体だった。
その鋭い刃は、その鋭さのあまり、命を奪える事実が明確すぎて、
もはや現実味のない夢のようだった。
しかし、二体が頭上に飛び上がった瞬間、ゆきなは本能的に、命の危険を感じた。本能がやばいと警笛をならしている。その恐怖の大きさに、足が止まった。
殺される。
ズサッ……赤い血が飛び散った。
ゆきなはがくりと座り込んだ。
その隣に、ずさんと、黒い二体が崩れおちた。
「ゆきな、大丈夫かい?」
カレブに支え起こされる。
カレブの右手は、赤い血がべっとりと付着していた。
この一瞬で何が起こったのかを思い出す。迫りくる二体。カレブが目にも止まらぬ速さで腕を動かし、影を再起不能にしていた気がする。
「……こいつらにも急所があってね、的確な角度でえぐれば、それ相応のダメージを与えられるんだよ」
そう言ったカレブは、右手の中に握りしめていた赤黒い肉片を無造作に捨て、手に付着した血をタオルで拭っていた。再び並んで走る。
あんな俊敏な影の急所を見極め、素手で攻撃をくりだすなど普通の人間が行える技とは思えないが、隣にいるヴァンパイアはそもそも普通の人間ではないことを思い出した。
「さて、体育館の裏に到着したわけだけど。ゆきな、息は大丈夫かい?」
「大丈夫、だよっ」絶え絶えだった。
「それじゃ作戦会議をはじめるよ。これからオレはこの玉を、体育館の入口に投げる。いわばフラッシュ、目くらましのようなものだ」
カレブはそう言って、小さな玉を取り出した。
「――これは、影たちの動きを数分間鈍らせることができる。君は、オレがこれを投げている間に、無線を使ってサラマルたちに、裏口から撤退するように伝えて欲しい」
「撤退しても良いの……?」
「他のエリアに進行されなければ良いんだ、配置を変更するんだよ」
「……わかった!」
ゆきなはカレブがつけていた無線機を受け取った。カレブは二メートル離れた入口に向かって足をすすめた。
その時だった。
薄暗い空が、一瞬光った。そして、一本の光が体育館に向かって落ちた。
「な、なに!?」




