第32話:二人の過去
カザネはサラマルを背負って走りだした。
……恐れていたことがおこってしまった。
いつか、こうなってしまう日が来るのではないかと、恐れていた瞬間。
背中のサラマルは息が浅い。
カザネが命に変えても守らなければならないはずの主。
サラマルとカザネ……その出会いは八年前のことだった。
こことは違うとあるセカイでのこと。
そのセカイにはガスも電気もなかった。
冬は薪を割って暖炉をたいたし、夜はロウソクの灯りで暗闇を凌いだ。科学が進んでいない、けして贅沢のない暮らし。
それでも、とても美しいセカイだった。
夏は深緑に彩られ、秋は色とりどりの色彩が咲き乱れ、冬は白銀の世界になって、春は桃色の絨毯が広がった。
そしてなにより。
「……かざね、風音。ほら来い、風音」
短く刈り込んだ、焦げた茶髪の青年がにっと笑った。その大きな手のひらと笑いじわは、カザネにとって今はもう忘れ去りたいくらいに胸が痛くなる記憶になっている。
「とうちゃん!」
あどけない笑顔を咲かせる子供がいた。
向咲風音、八歳。
父親に駆け寄ると軽々、抱えあげられた。
「風音も重くなったなあ」
「いひひっ……なあ、お仕事終わったの?」
「ああ、村の畑も耕したし、今晩の獲物も捕まえたぞ、ほらっ!」
「わーっ、でっかい鳥~!」
風音はよく、野良仕事に出かけた父親のあとを追って山に入った。勉強も放り出して父親のあとばかり追いかけるものだから、他の村人たちは呆れたように笑い、そして、その家族を微笑ましく見守っていた。
『おっ、能天気騎士が帰ってきたぞー!』
とくに、風音の父親をそう言ってはやしたてた。
向咲開。彼は一年前まで王宮直属の騎士団長を務めていた男だった。
しかし、さきの戦いで足を負傷し、騎士団を抜けてからは故郷である田舎で家族と一緒に過ごしていた。
騎士団長として先陣を切っていた頃は「荒れ狂う獣」という二つ名をつけられたくらい、剣を持った彼を止められる者は誰もいなかったという。
それでも奢ることはなく、今は平凡と村人たちに馴染んでいることから、向咲は皆から慕われていたのだった。
「オレ、ぜったい六年後の試験パスして、父ちゃんみたいな騎士になるんだっ!そいで、あの黒い影をぶっ飛ばすんだっ!」
小さな両手を目一杯広げる風音。
「んー? 父ちゃんの仇とってくれるのかー?」
「うんっ! でもそれだけじゃなくて、母ちゃんや遍、村のみんなを守るんだっ!」
「へへ、そうかそうか。風音はオレの自慢の息子だなっ!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた風音の首に、一つのペンダントがかけられた。銀色のチェーンに、鈴がついたペンダントだった。
「なんだこれ?」
「お守りだ。とっても大切なやつな」
「オレにくれんの? お守りなのに、オレがもらって良いの?」
「ああっ。大切な人に渡すなら、良いんだよ」
「ありがとっ、大切にするっ!」
二人は帰路についた。
そして、小さな村の、小さな白い石造りの家をくぐった。
「おやじ、かざね~!」
てててと、くせっ毛の茶髪をニつに結んだ女の子が駆け寄ってくる。
「「あまね、パパと(お兄ちゃんと)呼びなさい!」」
二人が声をあわせて遍を抱きしめた。
遍はケラケラと笑いながら、ニ人にすりすりと頬をすり寄せている。
「……またそんなにどろんこになって!」
部屋の奥から、細身で美しい女性が現れた。
「お、マイハニー! ただいまっ!」
父は両手を広げて満面の笑顔を浮かべる。
「……風音、ちゃんと手を洗ってきなさい」
母は構わず風音の頭をくしゃりと撫でる。
「え、スルー……?」
妻に無視された父は悲しそうに三角座りした。
「おやじ、今日はママがすっごい美味しいすーぷとけーき作ったんだよ! あまねもお手伝いしたよっ!」
娘は屈託の無い笑顔で父親の周りを飛び跳ねている。
「んん、偉いなあっ!」
父親は娘をむぎゅっと抱きしめた。
嬉しそうな笑い声が四つ。
村の生活は、幸せだった。しかしその穏やかな日常には、刻々と滅びの影が近づいていたのだ。
得体の知れない黒い影。
どこからともなく現れては、村を食い荒らす化物。
風音の父も、それとの交戦の際に足を負傷したのだ。
一年がたち、日々が流れるにつれ、影が現れる頻度は増え、侵攻される地域は広がった。
そしてとうとう、その魔の手は向咲家の暮らす村にも伸びたのだ。
「……おにい、ちゃん」
真っ赤に燃える炎が、大好きな家を焼いていた。
鉄と血と、肉が焼ける嫌なにおい。
炎の先に見える、倒れた母の姿。
その傍らには、小さな妹が、そっと微笑んでいた。
「……遍、今助けるからな!」
「もうだめだよ、ほら、見て」
妹の足は、柱の下敷きで、原型を留めていなかった。
「……私も、もう、逃げられない……おに、ちゃんは、生きて……ね」
「……あ、まねっ!」
涙と嗚咽で叫びながら炎に突っ込もうとした風音は、父親に止められた。
「行くぞ、風音」
「なんでだよっ! おまえ、親だろ! 助けろよ、なんで助けないんだよッ!」
この意気地無し!
思いつく罵声を浴びせても、父親は風音を担ぐ腕をおろさなかった。
火に包まれた村が小さくなっていく。
よく二人で入った山にたどり着いた時、父親が倒れた。風音は身を投げ出され、ごろごろと地面を転がった。顔をあげて、絶句した。
影が、父親を貪っていた。
「……い、け」
「や、だよ、父ちゃん……」
「守るん、だろ。オレたちの誇りを……仇を討て、風音!」
生きろ!
はじめて父親が怒鳴り声をあげた。
風音は弾かれたように立ち上がり、とにかく逃げた。逃げて、逃げて、高台から、火に燃えた村が、灰となって消えたのを見た。
頭の中では、優しくしてくれた村人たちの断末魔が、愛しい家族の最期の姿がぐるぐるまわった。
その度に大声をあげて叫んだ。
喉が張り裂けんばかり声をあげて、涙も枯れ果てた。このまま自分も死んでしまいたいと思った。
『生きろ』
それでも、その言葉が少年をこの世に縛り付けた。
胸に輝く鈴のようなペンダントは、温もりを孕み、倒れそうになるたびにそれをつかんで歩き続けた。
気づけば風音は、見知らぬ街に出ていた。あれから、何か月かが経っていた。
舗装された道路、レンガ造りの小洒落た建物が密集している。人間がたくさんいた。
どどどどと、心臓に響く音に肩をふるわせた。影か!?
違う。馬車、というものだった。
ここが、王都だった。
顔をあげると、はるか遠くの高台に、大きな王城があるのが見えた。ふらふらと、そこに向かって歩き始めた。
六年後、風音はあそこで騎士の試験を受けるはずだった。あそこに行けば、王宮直属の騎士になれるのだ。
王宮直属の、騎士。
壊してやろうと思った。
何が、騎士だ。
何が、王様だ。
村一つ、守ってくれなかったくせに。
風音は城壁の前にたどり着いた。大きすぎて、城が見えなかった。鉄柵の門が行くてを阻んだ。
「なんだこのきたねえガキ! しっしっ!」
下級兵士に門前払いされそうになった風音。
「……オレは、お、おうさまの知り合いだ」
咄嗟にでた嘘、兵士たちはがははと、がさつに笑った。
「お前みたいなきたねえネズミが、王様の知り合いなわけないだろ!」
「……確かに王の知り合いじゃねえけど、おれの友達だぜ、こいつ」
風音の後ろから高い声がした。
どきりとして振り返った風音の瞳に、同い年くらいの少年が映った。漆黒の髪と瞳の、可愛らしい顔立ちをした少年だった。
しかし、身にまとっている服は街で見かけた民が着ていたものよりも質素な衣だった。
街の子か?
そう思わざるを得ないが、それでもその少年には、何か違和感があった。
「お、お友達なのですか!?」
兵士たちはびっくり仰天しながらそそくさと門をあけはじめた。
「何がどうなってる……」
風音はぼんやりしていると、謎の少年がきどったように笑って「こいよ」と告げた。風音は黙ってついて行くことにした。
よく分からないが、ラッキーだ。そう思って懐のナイフを握りしめた。街でくすねてきたものだ。
これで、まずは王を殺してやる。
そのためには王の居場所を探らなければならなかった。
「なあお前、こんなとこにわざわざ来たってことは、何か用があんだろ? 言ってみな」
謎の少年が笑った。
風音は訝しげに瞳を細める。
「……お前こそ一体なんなんだ」
「おれもここに用があるんだよな、まあそこらへんの奴よりは詳しいから、案内程度ならしてやれるぜ」
「……使用人か、配達人か?」
風音は頷いて続ける。
「――王様の場所が知りたい」
「ぶっ……なんだよつまんねーのっ、侍女のファンじゃなかったのかよ。おま、あんなオッサンのけつ追いかけてるのか?」
少年はゲラゲラと笑っている。太陽の様に眩しい笑顔だった。
「……そうだ、だからはやく教えてくれ」
風音はあしらうように答えた。
「いーぜっ、ただし、こっから先はちょっと敵が多くてな」
少年はにやにやしながら何かを親指でさした。その先には、執事服をまとった男があっちへこっちへとうろうろしていた。誰かを探しているらしい。
「城の人間か?」
「そうそう、あれに見つかると面倒だ。ここは二人で協力して、この修羅場をくぐり抜ける必要があるわけですよ」
仰々しく言ってのけた少年は、にっと唇を歪める。
「お、おう……」
「さあいくぜっ!」
駆け出した少年。とにかく足が速かった。それに加えて身軽で無駄のない身のこなし。城内の通路も熟知している様子だった。風音は空腹も手伝って息も絶え絶え。少年を追いかけるのでやっとだった。
「よっと……っておい、なにふざけてんだよ」
シャンデリアにぶら下がる少年は呆れ顔で、床にうつ伏せになっている風音をみおろした。
「……おまえこそ、一体、何者だよ」
苦々し気に少年を睨み上げた風音は、何者かに首根っこをつかまれた。風音の二倍はあろう巨体。その甲冑の向こうから鋭い瞳がのぞいている。兵士に見つかったのだ。
「なんだこのガキ……もしや陛下への謀反人か?そうとなれば打首にせねばなるまい」
打首!?
違う。風音は必死にもがいて兵士から逃れようとした。いくら暴れてもびくともしなかった。その時、頭上から音もなく少年が降り立った。
「ちょいまてよ、そいつはそんなんじゃねえって」
「これは、瑳良守王子!」
兵士は驚くように両手を挙げると、少年に跪いた。
風音は地面に放り投げられながら、少年を見上げる。
王子……兵士は少年を見て、確かにそう言った。
「な、お前はおれの友達、えーと、名前はまだ知らねえけど」
風音は愕然としていた。廃れたような市民の衣を身につけた少年。しかしその身にまとう雰囲気は他と違う異彩を放っている。品格というものが色を成してにじみ出ているようだった。こんな少年が一般市民なわけがない。確かにしっくりくる事象だった。
つまり。目の前に立つ少年が、王の息子。
風音は胸で揺れるペンダントを握りしめた。それは脈打つように熱かった。
右手でナイフを取り出した。
まずは、こいつから。
風音は真っ白になる頭で王子に切りかかった。
「瑳良守様……!」
しかし、ナイフはいとも簡単に、王子によって片手で弾き飛ばされてしまった。
風音はがくりと膝をついた。終わったのだ。
兵士に取り押さえられた。風音は生気の無い瞳で瑳良守を見上げていた。兵士に無理やり立たされ、地下にある暗い鉄格子の監獄に入れられた。
瑳良守と風音には圧倒的な力の差があった。たとえ風音が万全のコンディションであったとしても、あの王子には敵わない。それを噛みしめながら風音は泣き続けていた。
「あまね、母ちゃん、みんなごめん……父ちゃん……ごめん、ごめん」
どうしようもなくて、風音は舌を噛み千切ろうと思った。もう疲れていたのだ。大切な者を失った痛みに耐えきれなくて、命を断てば楽になると思った。しかし、胸に揺れるペンダントはまだ熱く脈打っている。
瑳良守に剣を向けんとしたあの時から。
――生きろ!
大好きな父の最期の言葉が蘇る。ぎゅっと抱きしめてくれた家族の温もりを思い出す。みんな、風音に生きて欲しいと願っていた。
「……死ねるわけ、ねえじゃんかよッ」
こんな所で命を捨てるのは、みんなが注いでくれた愛情と、想ってくれた気持ちをも無下に捨て去ることだ……風音は分かっていた。だから、ただ泣いた。何度も石壁を拳で殴って殴って、大声で泣き続けたのだった。




