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5 やあ 著  妖怪 『狐火』

 夕方からしんしんと雪が降り始めていた。

 大晦日の夜のことだ。

 久子は詰め終わったばかりのお重を風呂敷に包みながら夫に声をかけた。

「おせち料理、遅くなったけど実家にも置いてくるわ」

「この雪がなければ車を出すんやけどなぁ。明日の朝じゃあかんのか?」

 夫はほんの僅かに顔を曇らせた。

「大丈夫。あなたは子どもたちを見てて。お餅やお雑煮の材料、今日のうちに渡したいし」

 カーテンをそっと開けて表を見た夫は、辺りを白く覆っている雪に溜息をついた。

「12月に雪なんて滅多に積もらんのにな。俺が代わりに届けてもいいんやが、おかあさんの顔も見たいやろしな。気をつけて行くんやぞ。早う帰って来いや」

「うん。一時間位で戻ってくるね」

 久子はマフラーの上からコートを羽織り、長靴を履いた。

 3歳と5歳の子どもたちに気付かれないようにそろりと玄関を開ける。

 ずっしり重い風呂敷包みを片手に下げ、もう片方の手で傘を差して実家への道を急いだ。

 実家には齢70を超えた久子の両親がふたりで暮らしていた。

 70代前半といえば一般的にはまだ若い部類に入るのかも知れないが、ふたりともここ数年あちこちに故障を抱え、とても正月準備を済ませているとは思えなかった。


 道中、ひたひたと自分の歩く音だけが聞こえていた。

 じっとりと水気を帯びた雪に足音も息遣いも吸い込まれて行く。

 まだ時刻は八時を回ったばかりだというのに、まるで深夜のような静けさだ。

 両親が住む実家までは歩いて20分ほどの距離がある。

 ほんの少しの心細さを道連れに久子は更に足を速めた。

 

 ようやく家の明かりが見えてきたのに安堵しながら、積もった雪を払い落とそうと久子は傘の持ち手を傾けた。

 そして、あっ、と小さく声を上げた。

 父母が寝室にしている部屋の窓のところで何かが揺らいでいるのが見える。

「火の玉だ」

 久子はぞっとしながらもその光を凝視した。

 集落では火の玉を見た時には前掛けで包み、病人のいる家の中に入れてやらなければいけないという言い伝えがあった。

 無事に家の中に入れてやればその家の者は助かる。だが恐れおののいて火の玉を逃してしまうと、ほどなくその病人は命を落としてしまうといわれていた。

 

 久子はほんの一時間ばかり前、台所で起こった小さな出来事を思い出した。

 炊きあがった黒豆やきんとんをお重に詰めては空いた食器を洗っていったのだが、ふとした弾みにマグカップの中にぴたりと湯飲みが重なってとれなくなった。

 夫を呼び、ふたりでお湯をかけたり薄めた洗剤液に浸してみたりもしたがふたつの陶器はどうしても外れず、最後にそっとマグカップと湯飲みの間にフルーツナイフを差し込もうとしたその時のこと。

 マグカップは音ひとつ立てず、まっぷたつに割れてしまったのだ。

 鋭利な刃物で果物か何かをすぱんと切ったようなカップの断面が脳裏に蘇り、久子は身震いした。

 不吉な予感に胸が騒ぐ。

 放っておいては駄目だ。あの火の玉を一刻も早く家の中に入れなければ。

 久子はいいようのない不安を振り払うかのようにコートを脱ぐと、火の玉のほうへ近付いた。

 前掛けの代わりにコートで火の玉を包もうと必死だった。

 父か母かは分からないが、ふたりの命の火をまだまだ消すわけにはいかなかった。


 しかしその直後、ふわりと火の玉は高い位置に昇り、松の木から松の木へと移動しながら山のほうへと上がっていってしまった。

 そのまま見る見るうちに視界から遠ざかって行く。

 久子は泣きそうになりながら目を凝らした。すると山の中腹を夥しい数の光が列を作り、ゆらゆらと山頂に向かって移動していくのがわかった。

 久子は不意に激しい恐怖を覚え、泣きながら玄関に駆け込んだ。

「おかあちゃーん、おとうちゃーん」

 幼かった頃と同じ呼び方が口をついて出た。

 驚いて出迎えた両親に、久子は今見たもののことをしゃくりあげながら話した。

 ストーブが焚かれた室内は暖かく、隅々まで磨きたてられた床の間には干し柿を載せた鏡餅が飾られている。


「久子、大丈夫やよ。それは火の玉やなくて狐火やから」

 久子が一部始終を話し終えるのを待って、母はいたずらっぽく笑ってみせた。

「久子は昔からおっちょこちょいやったでなぁ。年越しの晩にはお狐さんたちが山頂にある神社にお参りに行くんじゃ。なんも怖いことやない。新しい一年を恙無く過ごせるようにお狐さんたちも初詣に行くだけや。」

「けど家のところにはたったひとつだけ光が揺れていたんやよ?」

「久子みたいなおっちょこちょいの子狐が迷い込んだんじゃろ」

 久子のおでこをちょこんとつつくと、父もいかにも嬉しそうに笑った。


 帰りは雪が止み、澄んだ空に月も星もくっきりと輝いて見えた。

 明日の元旦はいい天気になるに違いなかった。

 腕に下げた風呂敷包には母の作ったお煮しめや畑で採れた野菜がぎっしりと詰められている。

 途中、久子は実家に傘を忘れて来たことに気がついたが、明日取りに行こうと思い直した。

 どうせおっちょこちょいやもん。

 そう、ひとりごちながら。


   END

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