6 E.Grey 著 妖怪 『公設秘書・少佐』
「長野県月ノ輪村役場。……貴女、もしかしたら三輪明菜さん?」
地上七階・地下三階ビルの四階だった。ファクスもパソコンも、電卓すらもない時代で、三つ並んだ事務机には電話機とそろばん、それに大学ノートが置かれていた。
村長と一緒に上京し、センセイの事務室がある衆議院第一会館を訪ねたときだ。私に声をかけてきた女性がいた。
その人は島村聖子と名乗った。ボブにした髪、黒のスーツ、膝丈のスカート、ハイヒール姿だ。島村……。衆議院議員・島村清兵衛センセイの娘だろうか。丸顔で目が大きい。眉は太め。年齢は三十少し前、「少佐」こと佐伯と同じくらい。早口だ。無表情といわれる私と違って、微笑むテクニックを心得ている。それだというのに私への視線が痛く感じるのはなぜ?
「ああ、第二公設秘書でセンセイのお嬢様じゃ」
そう紹介したのは、「国家老」と呼ばれている大塚平八郎という初老の人だ。小柄な体躯で背中を丸め、杖をついている。ラグビーボールのような縦長い頭。白髪でそれも耳のあたりしかなく戴きは光沢を放っている。白髭は床をひきずるような感じだ。七福神というか仙人というか、はたまた水木しげるの漫画にでてくる妖怪ぬらりひょんといった感じだ。
お嬢様は困った顔をした。そういうふうに紹介されるのが好きではないようだ。しかし事実であるし、とてもわかりやすい。
「佐伯君は?」
村長が島村秘書にきく。
するとお嬢様は、
「あいにくでかけておりまして」
と笑みで返す。
東京のセンセイは、お嬢様を含めて公設秘書二名、私設秘書四名を雇っている。しかし補佐役たる秘書として機能しているのは佐伯だけだ。
村長や「国家老」大塚さんの話によると、先日、佐伯は、親しくしている企業や後援会関係者をホテル・大ホールに招いて「島村センセイと語る会」と号する政治パーティーを催した。ウィスキー水割りとウーロン茶だけのもてなしだが、これで四千万円の収益を上げた。
センセイ自身や傘下の議員の選挙資金だが、すぐには使わない。事務所は、佐伯の助言に従って彼の名義で株を買い、四千万円を一億円に膨らませることに成功した。こういう離れ業ができるのは佐伯の才能だ。
「国家老」さんは、陳情をしにきた村長をセンセイに引き合わせた。村長はセンセイに地元銘菓の菓子折りを渡し、十分ばかり話しをすると、「国家老」さんに目配せして退室した。
* * *
物語の舞台は、一九六三年である。それは一九六四年東京オリンピック及び東海道新幹線開通の前年にあたる。
一九六三年といえば……。
国会議事堂の西側・裏通りを東京都道二五七号線という。二〇一三年現在、国会議事堂からその裏通りを渡ったところに、参議院会館、衆議院会館、首相官邸の順に北から並んでいる。衆議院議員会館は一九六三年に建設された第一会館と、二年遅れて建設された第二会館とがある。参議院会館も衆議院第二会館と同じ一九六五年に落成している。それが二〇〇七年に衆議院第一・第二会館が、二〇一〇年に参議院会館が老朽化にともなって建て替えられた。
とどのつまり、当時、国会議事堂裏通り・二五七号線沿いにあった議員会館は、衆議院第一議員会館のみで、他の二つは工事が着工されたかどうかという状態だったわけだ。
さて、公設秘書は戦争直後の一九四七年に設けられた国家公務員を指していう。当初は議員一人に対し一人だった。それが一九六三年からもう一人増員される。旧来の公設秘書が第一公設秘書、新規の公設秘書が第二公設秘書だ。
またこの物語の時代からだいぶ下ることにはなるが一九九四年から、海千山千の官僚たちと渡りあう能力を有する政治プロフェッショナルたる政策担当秘書というものがまた新たに増員されることになる。
それ以外で議員が私的に雇っている事務員は私設秘書である。「国家老」さんは別として、東京で雇われているそれは、年賀状書き・お茶くみ・電話番が職務で、古風にいえば書生というべき存在だった。
東京に住んでいる長野県月ノ輪村出身の衆議院議員・センセイは、国会や料亭での密談とかでけっこう忙しい。佐伯は、そのセンセイに代わって、東京と長野県との間を往復し、各種団体と話を勧め調整している。ときたま村で事件が起こると、私立探偵ばりに、駐在の真田巡査に協力し解決もしてきた。
他の国会議員事務所で第一公設秘書といえばふつう四十過ぎのベテランが多いのだが、佐伯祐は若干二十代後半でこの職責に就いている。第二秘書がなかったときから公設秘書だった。月ノ輪村民は、「センセイが大将ならば、第一公設秘書たる佐伯は参謀にあたる。旧軍なら佐官級。それにしても若い。だから少佐だ!」といったものだ。
そんなセンセイの選挙区である長野県で地元後援会事務所を束ねている古参・私設秘書が「国家老」と呼ばれている大塚平八郎氏だ。けっこうな年で東京でも地元でもそう呼ばれている。
佐伯が月ノ輪村役場を訪ねるときは、もちろん、この後援会事務所への挨拶することを忘れない。
* * *
けっきょく佐伯には会えなかった。もっともお爺ちゃま二人を前に彼にあっても、興ざめというものだ。なんだか痛い視線をくれる聖子さんもいたし。
新幹線はできていない。上野発の在来線特急列車で長野へむかう。私たちは向いあった座席に腰を下ろした。「国家老」さんは、村長に目をやり次に私をみた。
でっぷりした腹の村長が、
「大塚さん、どうかしましたか?」
ときいた。
「村長、佐伯に明菜さんがくっつくように仕向けたね?」
突然その話題にきたか。私の心臓は急に高鳴った。
「いけませんか?」
「いけないに決まっているでしょ、村長。事務室で聖子ちゃんにお会いしたでしょう。センセイとしては、佐伯を娘の聖子ちゃんの婿にして、勇退の暁には議員バッジと『地盤』を奴に譲り渡したいって話しているんですよ」
あ……。
村長も私も息を呑んだ。
「国家老」さんは、言葉を続けた。
「佐伯が代議士になれば、平和ボケしたこの国に旋風を巻き起こすモンスターとなり得る。少なくともセンセイや儂はそう考えちょる。ここで佐伯が聖子ちゃんと結ばれず、他の娘さんを嫁にしたりしたら、一生公設秘書で終わるか、あるいは……」
「あるいは?」
そういった村長がゴクリと唾を呑みこむ。
「センセイに弓引くことになるだろう」禿げた老人がぼそりとつぶやく。
センセイに弓引くということは、その人が勇退した後、独自に立候補して、聖子さんと票を奪い合う仲となることだ。
そこで私は慇懃無礼な質問を「国家老」さんにいった。
「そのときは大塚さんも聖子さんにお味方するのですね?」
すると異相の老人はバッグからニッカのウィスキー小瓶を取り出しぼそりとつぶやいた。
「佐伯め、聖子ちゃんと結婚すれば、簡単に少佐から大将に特進できるというのに……馬鹿な奴だ」
村長もそうだが、私もその言葉にはけっこうがっくりきた。仕方がない、奴のためだ。ここは身を引こう。私がそんなふうに考えた刹那だ。
その人は続けた。
「儂は競馬じゃ勝ち駒しか買わんことにしている。儂が奴を大将……。いや元帥にしてやる」
怪老はそういい、小瓶の蓋を杯にして、ニッカのウイスキーをそれ注ぐと、私の隣で、その人にとってはむかいになったところである席に座った村長に渡す。
村長がぐいと一気に飲んで白い歯をみせた。
汽車が軽井沢に近い峠の駅に停まった。
窓を開けた私は、売り子に声をかけ、弁当を三つ買った。
END




