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10 柳橋美湖 著  都会 『レンブラント工房の絵』

 子供がいなかった伯父の遺産が、管財人である弁護士を通じて親族に分配された。私には遺産の一つである絵が手渡された。アムステルダムの通りの一角にある古美術商会に持ち込んで、店主にみてもらうと、つれない返事が返ってきた。

「残念ながらレンブラントの作品ではないですね。しかし『レンブラント工房』のものであることには間違いない。弟子の誰かの作品ということになります」

 フランドル派すなわちオランダの画家レンブラントは、緻密な描写と、光と影に注意を払った画家だ。貴族の娘を妻にして自身の名前をつけたアトリエ「レンブラント工房」を開いた。経済観念のない画家は放蕩三昧の結果、破産して、無一文になるのだが、それでも、彼の人柄とその腕前を愛する人々に支えられて、質素な晩年を送りつつも、芸術とはなにかといった悟りを開いたという。現在、レンブラントのオリジナル作品は三十作くらいしか残っていない。

 どこかあどけない表情をした娘を描いた『真珠の耳飾りの女』はミステリアスだ。実物は縦横四十センチという小品でしかない。伯父からの贈り物も同じ大きさだ。同門の画風なのだが、青みを好んだレンブラントよりも、どことなく赤味をおびているような感じがする。

 店主がパイプ煙草を手にうつし話を続けた。

「『工房』の作品ですから、弟子の作品とはいえ、まあ、それなりの値打ちはあります。レンブラントなら億単位でしょうけれど、この作品を売却すれば、そうですね、普通乗用車くらいなら買えますよ」

 無名画家の無題作品に、私は『赤毛の娘』という題名をつけてやった。 

 エプロン姿の娘が、椅子に座り、斜め下をみて編み物をしている。ぱっと見はそれほど技巧にこだわってはみえない。しかし陰影が素晴らしい。そんな絵だ。

 私は同棲相手を何度か変え、部屋も何度か引っ越した。持ち歩く家財といえば、増えたり減ったりしながら、けっきょく旅行鞄とこの『赤毛の娘』だけになる。そんなことを繰り返し、落ち着くといつも壁に「彼女」を飾った。

 どの町の男たちも、売ったらいくらになるかをきいた。うんざりする。

 そういうとき、たぶん私は蔑んだ目をしていたのだろう。悔し紛れに、

「古い絵には元所有者の怨念がある。それに絵はみんなで楽しむものだ。美術館にでもくれてやれよ」

 などと同じことをいって罵ってきたものだ。そして別れることになる。

 私に男運がないという点で彼らの主張は正しい。けれど絵が私に祟っているようには思えなかった。編み物をしている手にむけられた「彼女」のまなざしはあくまで優しい。

 三十歳になろうとしていたころ、そのときの「彼」とオランダの田舎町を訪ねたことがある。

 目的地がそこというわけではない。自動車での旅の途中で、偶然に通りかかったのだ。絵の元の所有者である伯父の豪商屋敷は、競売にかけられ、IT企業経営者の別荘になっていた。

 中世の城壁に囲まれた町には、城館、教会、居酒屋を兼ねた旅館といったものが並んでいる。居酒屋には昼間っからワインを傾けているお年寄りが石畳の通りに置かれたテーブルに座ってよもやま話に花を咲かせていた。そこに寄って、伯父や伯父の住んでいた屋敷についていろいろきいてみた。

「ああ、あの旦那の姪子さんだったのか? 確か、先祖は絵描きで、アムステルダムからきたんだそうだ」

 私は、手札サイズにして持ち歩いているあの絵の写真をみせた。

「昔、あそこんちで飾られていた絵だな。大事にされていた。なんでも初代のご当主の夫人だそうだからな」

 私が『赤毛の娘』を売手放せない謎がようやく解けた。そう、「彼女」は家族だったからだ。

     END

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