09 レーグル 著 蕎麦 『死神がそばにいる』
「ところで先輩。どうして私たち、そばを食べているのですか」
私は仕事の先輩である「先輩」に、素朴な疑問を投げかけました。
「ん? ああ、お前は知らないのか」
先輩はごくりと咽喉を鳴らしてそばを飲み込んでから答えます。
「あー、あれだ」
発声練習のようにあーうーと唸りながら、先輩は割り箸を持っていない方の手の指で頭をぽりぽりと掻いています。もう一つ素朴な疑問なのですが、ああやって頭を掻くことで思い出せないことを思い出せるのでしょうか。それなら私だって頭を搔き毟ったら何か思い出せるかもしれないのに。
「つまり、長く生きると色々忘れちまうってことだ」
しばらくしてから思い出すのを諦めたらしい先輩がガハハと豪快に笑い、そういうこともありますよねと私は同意しました。
☆
「先輩、待って、ください」
「急げ急げ。あんまり遅いと寿命が切れちまうぞ」
「はあ、はあ。そんな、こと、言われても、はあ、私は、空、飛べないんですから!」
「もう先に行っちまうぞ。ガハハ」
「なんで、こんな、大変な、思いしてまで、はあ、寿命の、来そうな、人を、探すんですかあ?」
「それは死神がただの殺人者じゃないって誇りだ。俺たちはほとんど一方的に命を奪える立場にある。だからこそ、厳格なルールが必要なんだ。誰かを納得させるためじゃない。自分たち自身のためにな」
「はあ、はあ、はあ、すー、はあ。はあ」
大きな音、衝撃と共に部屋の壁に穴が開いて、黒い棘のような物が飛び出しました。棘は一直線に研究者さんの腹部を貫くと、貫いた先端部が彼の体に巻きつくように伸びて絡みつき、彼を穴の方に一気に引き寄せます。壁に勢い良くぶつかった彼は、すでに意識が無かったと思います。じゃなかったら、あんな狭い穴にゴリゴリと引きずり込まれるのは痛すぎます。
「これが『面倒なこと』ですか」
彼が落とした銃を拾って、穴の開いた壁の方に銃口を向けます。これがどれぐらい役に立つのか分かりませんけど、無いよりはマシでしょう。穴の向こうは真っ暗で、物音ひとつしません。しばらくそうしていると、穴の向こうから「とても美味しそうな香り」がすることに気が付きました。まさかと思って、色々な物がこびりついた穴から向こうを覗くと研究者さんはまだ息があるようで、とてもいい香りがします。私は穴を通れるくらいの大きさに崩して広げて通り抜けると、彼の側に寄って顔らしきものを覗きこみました。
「いただき、まあす」
寿命を食べるのは死神の生理的欲求で、つまり、食事であり睡眠であり排泄であり性行為なのです。心と体がこの上無く満たされる幸福な行為です。この時は、他の全てを忘れてしまいます。しばらく恍惚としてから、あの「面倒」はどうなったのだろうと暗い部屋を見渡しました。すると、私のすぐ近くて幸せそうな顔で倒れている「死神」がいました。
「あの、なぜそば屋に入るのですか」
とりあえず私と「死神さん」は、先輩との合流場所であるそば屋に来ました。先輩を見つけると、先輩と同じそばを二つ頼んで席に着きます。上手くいかなかったので、先輩に怒られることは必至です。
「それは」
そして、もう一つ困ったことにこの「死神さん」は何も覚えていないというのです。自分のことも、死神のことも。仕方が無いので連れて来ましたが、さっきからずっと質問攻めで参ってしまいます。
「私も知りません」
私はため息を吐きます。
「失敗したのか」
黙ってそばを食べていた先輩が口を開きました。意外に落ち着いた口調です。これならいつもみたいに怒られた方が気が楽だったかもしれません。
「はい」
私は俯きます。
「だから、面倒なことになるって言っただろう」
先輩は盛大にため息を吐きます。私の黒いマントと壁に貼り付けられたそば屋のメニューがバタバタとはためきます。他の席に座っていた死神たちが迷惑そうな顔でこちらを睨みました。
「どういう意味ですか?」
私は顔を上げて聞きます。
「寿命を越えた人間は、命の無い人間、つまり、死神になっちまうんだよ。姿形も記憶も何もかも無くして、生まれ変わるんだ。慣習じゃその時、そばにいた死神が『面倒』を見るんだが」
私が目を向けると、三対の目でそば屋の中をきょろきょろ見回していた「死神さん」が、きょとんとした顔で私を見返します。割り箸よりも長い指が蠢いてテーブルをかたかた叩きました。
「それって、私に記憶が無いのと何か関係あるんですか?」
私がそう質問すると、先輩はそばを食べ終わったのかガタンと勢い良く立ち上がりました。
「ああ、だが、『食事』は済ませたみたいだな。それなら、もう一人前だ。この子のことはお前に任せた。ガハハ」
勢いと笑いで誤魔化そうたって、そうはいきません。
「え? 私、もう一人前なんですか?」
じゃ、なくて。
「私の記憶が、面倒見て、先輩が、先輩を、あれ?」
自分でも何を言おうとしたのか、よく分からなくなってしまいました。
「おお、そうだ。最後に一個だけ。『食事』は控えめにしろよ。『細く長く生きる』のが死神の鉄則だ」
そう言うと先輩はガハハといつものように笑いながら、黒く大きな翼を広げると、そば屋の天井を突き破って消えて行きました。私は座っていた椅子ごと倒されて、先輩の「逃亡」を呆然と眺めていることしか出来ません。他の死神たちがまたもや迷惑そうな顔で私を睨みます。私のせいじゃ無いのに。
「食い逃げ」
辛うじてそれだけ言葉にすると、私は起き上ります。いや、そんな問題じゃありません。
「あの、先輩?」
足りない頭で考え事していた私の肩を「死神さん」の細い棘のような指が軽く叩きました。
「いえ、『先輩』はさっき飛んでいった『先輩』で、私は」
そう言えば、私って自分の名前を覚えてないんでした。
「死神の『先輩』で、良いんですよね?」
六つの黒い目が真っ直ぐ私を見つめます。そう言えば、私が初めて先輩に会った時も。
「はい。これからは私が面倒見てあげますから、なんでも聞いてください。私に分かる範囲で教えてあげます」
支払いを終え店を出た途端に先輩は体を揺すって黒い翼を出すと、首をぐるんぐるんと回しました。先輩にとっては人間のお店は狭すぎるのです。そして、最後に欠伸とも嗚咽ともつかない大きな叫び声を上げると、やっと人心地着いたのでしょう。私に向かって何か語りかけてきます。
「なんですか?」
私は聞き返します。人間には聞こえない先輩の欠伸も、隣にいた私にはこれ以上無いほどよく聞こえて、頭の中でぐわんぐわんと響いているのです。なんとか耳を塞ぐことは出来たのですが、こんなに近くじゃ意味もありません。先輩は私の耳を塞いでいる手を掴んで左右に広げると、大きな口を開けました。
「それじゃあ! おれはもう行くから! 一人でも頑張れよ!」
今度は地震と雷と台風が一気に来たような怒涛の勢いで先輩の叫びが私を襲います。これには私もたまらず気を失ってしまったのです。
「『死神』って何をするんです?」
「何って、そりゃあ『死神』だから、人を殺すんだよ」
「れ、連続殺人事件」
「無節操に殺すわけじゃない。寿命が来たのに死なない人間を殺すんだ」
「寿命って、誰が決めるんですか?」
「さあな。だが、お前も分かるだろ? 人の寿命が。あれを守らないと面倒なことになるんだ」
「面倒?」
「ああ。とっても面倒なことだ。お前も面倒は嫌いだろう?」
「面倒を見られるのは好きですけど」
「お前は記憶と一緒に色んなもんを失くしちまったんだな。いや、元からそうなのかもしれねえが。ガハハ」
「なんですか。もう」
「先輩のおたんこなす!」
目を覚ましてからの第一声がおたんこなすって、死神としてどうなんだろう、じゃなくて。
「先輩ごめんなさい」
折角開いた目を瞑り、手を合わせて先輩に謝ります。いつもなら怒鳴り声と一緒に拳骨が飛んで来るのに、なぜかいつまで経っても何も起きません。私がおそるおそる目を開けると、外はもう真っ暗。先輩はどこにもいません。
「そうだ。今日は初めて一人で仕事をするんだった」
今までは先輩と二人で仕事をしてきましたが、今日は一人。これが出来たら一人前だと認めてくれるそうです。
「ようし。やるぞ」
拳を高く掲げ、私はやる気をアピールします。このポーズって、何の意味があるんだろう。
さて、死神の仕事はそんなに難しくありません。少し集中すれば、なんとも美味しそうな香りがしてきます。これは夜営業を始めたそこのそば屋さんのではなく、そろそろ寿命の来る人間の香りです。そんなに遠くないみたい。先輩みたいに空を飛べたら楽なんですが、私は歩きです。とほほ。
野を越え山を越えるように、垣根を越え屋根を越え、匂いの方に真っ直ぐ進みます。死神は普通の人には見えませんし、聞こえません。ですから、気を付けることも特にありません。三十分ほど歩いて、目的の場所に到着しました。
「コンクリート、かな」
白い壁に囲まれた箱のような家でした。窓一つありません。不思議な気配がします。おそらく敷地の境界に書かれたおかしな模様たちのせいでしょう。その模様を踏み越える時に少しだけ抵抗がありました。香りは家の中からするので、ちょっと失礼して壁の一部を崩して、中に忍び込みます。
「おじゃまします」
誰にも聞こえるはず無いのですが、一応言っておきます。私が入った部屋は真っ暗でした。
「玄関から入って来るなら、『いらっしゃいませ』ぐらいは言うんだけどね」
暗闇から急に声がして私は驚きます。すると、カチッと音がして部屋の明かりが点きました。
「おどろきました。同業の方ですか?」
「死神が『あの子』を回収しに来たか。そろそろ頃合いなんだな」
白衣を着た男の人は私の質問には答えず、フフフと笑っています。どうやら死神では無いようです。たまに私たちが「見える」人間がいるって先輩に聞いたことあるけど、特に害は無いそうので放っておきましょう。
「しかし、どんな化け物が来るかと思ったら、かわいらしい子どもじゃないか」
彼はそう言うと、白衣のポケットから銃を取り出し、銃口を私に向けます。
「あの、危ないのでそういうのやめてもらえませんか」
私は両手を挙げて降伏のポーズをします。
「対霊弾だ。君たちでもただじゃ済まないと思うよ」
霊なんて見たことも聞いたこともありませんけど、銃で撃たれたら痛いに決まってます。
「あの、私はちょっとここにいる人の命を奪おうと思ってるだけなので、落ち着いてください」
そんなことさせないさ。『あの子』は僕の大事な研究材料だ」
私がターゲットに意識を向けると、あの美味しそうな香りが急に濃くなりました。
「研究?」
「そう。不死の研究だよ。人はなぜ死ぬのか。なぜ永遠に生きられないのか。僕は長いこと研究してきた。そして、ある日見つけたんだ。『死神』と『寿命』、この二つが最大の原因であると。怪しげな術に手を出し、周りから白い目で見られても気にしなかった。僕は正しいと確信していたからだ。それが君たち『死神』だよ。見えるんだから、間違いない。僕は君たちがよく現われるそば屋で会話を盗み聞きしながら、研究を続け」
「その話、もうちょっとコンパクトにまとめられませんか」
たぶん、もうそろそろ時間が無いと思います。せっかく一人前に認められるチャンスなのに。
「つまり、最初に『寿命』を克服する方法を確立させようというわけだよ。『あの子』は人工的に寿命を減らして、寿命が無くなった人間がどうなるか観察する実験中なんだ。だから君は邪魔しないで欲しい」
命は肉体と言う殻の中で回転し続ける独楽のようなものだと先輩に聞いたことがあります。回る時間には限りがあって、それは回り始めた時に決まります。特殊な方法で回る時間を短くすることは出来ますけど、逆に伸ばすことは出来ません。普通は独楽が止まる前に肉体が壊れてしまいますが、稀に先に独楽が止まる場合があって、それを私たち死神は「寿命」と言っています。
「でも、寿命を越えても生きていると、『とっても面倒なこと』になるそうですよ」
私は彼に警告しました。でも、私も具体的にどういうことが起こるのか知らないんですよね。
「そう言って、お前たちは自身を正当化しているだけだ。誰にも命を奪う権利なんて無い。死神が人の寿命を吸い取って生きていることは僕も知っているんだ!」
彼の声が少し感情的になりました。だから、何だと言う話なんですけどね。もう時間切れのようです。あの美味しそうな香りがかすれて消えて、何かが腐ったような不快な臭いに変わりました。寿命切れ。
END




