08 E.Grey 著 蕎麦 『公設秘書・少佐』
新幹線開通と東京オリンピック開催の少し前である1960年代はじめのことだ。山が色づき始めている。東京に住む佐伯祐から電話があった。
「月の輪村の蕎麦が食いたくなった」
「東京なら神田にいくらでも美味しい蕎麦屋さんがあるじゃない?」
たまたま、横を通りかかった村長が、私のひったくり、「やあ『少佐』だな。美味い蕎麦屋なら知っている。御馳走するよ。東京のセンセイには私からも話しておく。ちょうど困ったことが起きたんだ。来てくれ」
といって電話を切った。
(こら、禿げ親爺。なんでそこでウインクする?)
禿げ親爺は、ニタニタしながら、役場二階の村長室に消えていった。
*
翌日、砂利道に砂塵を巻き上げたボンネットバスが、村役場前停留所で、スーツ姿の男を降ろした。佐伯祐。ここ月ノ輪村出身の代議士センセイに仕える若い公設秘書だ。村の人たちは、旧軍で、センセイが大将なら佐伯はお付の参謀・少佐みたいなもの。そういう理屈で「少佐」と呼んでいた。そいつが黒縁眼鏡をずりあげる。
「やあ、無表情・鉄仮面娘!」
村長命で佐伯を待っていたのが、役場総務課の私・三輪明菜だ。
「そんなことないですよ。佐伯さん、私は貴方よりずっと表情豊かなんですからね」
両手人差し指を口の両端にあてて吊り上げみせる。
佐伯は私を真似て対抗。
すると、後ろで自転車のハンドルをもったまま立っていた駐在所の真田巡査が、コホンと咳払いをする。停年に近いやせ形の人で、この年になるまで出世には縁がなかった。しかしながら、村民には絶大な信頼を受けている。
県警捜査が行き詰まり、村長が東京のセンセイに泣き付く格好で、佐伯の頭脳を借りたいと陳情の電話をいれるのは、決まって華々しい殺人である。なのだが、今回は石材商の蒸発に関わる事件だ。
鈴木茂石材店。鉄パイプを組み合わせ、アーチをつくったゲートをくぐり、店舗と私邸を合わせた豪邸に入る。邸内には、ところ狭しとばかりに、ゴロゴロと地元産の岩塊が転がっている。月の輪村の主産業は、農業・林業のほかは、縞模様をした片岩石材業だ。石碑にもつかうのだが、ここで産する石材は造園には欠かせない。高度経済成長期、俗にいう「月ノ輪石」は飛ぶように売れたものだ。
庭は川縁の断崖に臨んでいた。そこから川原にでる坂道もあり、モーターを船尾に取りつけた木製の川舟が置かれていた。真田巡査の話だと、創業者社長である鈴木茂氏は、投網漁の趣味があり、獲った魚を炭火焼きして顧客に贈ることもあったのだそうだ。
店舗入り口にきて、真田巡査が声をかけると、うつろな眼差して肥った夫人が応対にでた。それでもどうにか、夫人は私たちに、店舗のソファに座るように勧めた。
石材商・鈴木茂氏の失踪にからむ、夫人の話を要約しておく。
鈴木茂氏は、先週日曜日、失踪の当日の行動だ。氏は、昼食後、会社従業員に留守中の指示をする。午後に茶を飲み、ここの店舗に顔をだし、それから川岸に沿った田舎道を散歩して、そのまま蒸発した。ただしそこでの目撃者はいない。
怪しい点といえば、鈴木氏が行方知れずとなった当日、氏が出かけて一時間経ったか否かというあたりで、10年前に戦地から復員してきたという東京の親戚だという顎髭を生やした新庄太郎氏が、入れ違いで訪問をうけたという点だ。この人は氏の従兄にあたるのだという。
それで今週の月曜日に金庫を開けてみると、収めていた従業員給与や取引先への現金
がごっそりなくなっていた。こじ開けられていたというわけだ。
「失礼」
佐伯が立ち上がると、店舗の間取りや、庭石の具合、川原なんかを丹念にみはじめた。
店舗は、石畳が敷かれた上に、事務机が一つとリビングセットが置いてある。サッシになった戸を開け外にでる。
巡査と私は、佐伯の後について庭を歩いてみた。
すると、五百坪を越える庭におかれた石塊は、一見無造作だが、実は回遊式になっており、散策できるようになっていることに否応なく気づかされる。
スーツ姿の若い公設秘書がこちらを振りむかずにこういった。
「蒸発というものには、三つのケースを想定することができる。まずは平凡な人の自然的失踪、次に記憶喪失、そして『僕が三度の飯より大好きな』殺人事件だ」
庭に従業員の男がいた。彼が最後の目撃者だった。午後三時、お茶の時間に店舗事務所からでてくる社長をみたという。佐伯は、怪しげな新庄氏と、社長についての関係をきいてみた。
「新庄さん? 俺がいないときにきたらしいね。東京からきたらしいですよ。従兄とはいっても縁遠い。なんでも同じく東京に、親戚筋で一人暮らしをしていた婆様がいて亡くなったので、遺産について話し合いたいっていってきたんだそうです。遺産とはいっても東京の家と敷地で、莫大なってほどじゃなく、ちょっとした小遣い程度だって社長がいってましたよ」
黒縁眼鏡でスーツ姿の公設秘書は、老巡査と煙草を美味しそうにふかしだした。
その日の夕方、鈴木氏の上着が、釣り人によって発見され、駐在所に届けられてきたということを、戻った巡査が、役場応接室にいて宿にゆこうとした佐伯に連絡した。帰りがてら私は、佐伯を送って、宿場町跡である街道筋・集落にむかう。
「鈴木社長と東京の従兄っていう新庄さんとの関係はしっくりいっていない。というかあまり接点がない。共通点は縁戚にあたる東京のお婆さんのご遺産かな」
「ああ、そのあたりは、真田巡査が、県警本部に問い合わせて、東京の親戚・新庄氏の所在を探している」
「社長がいう東京の御婆さん遺産実は、お小遣い程度の額じゃなく、実は莫大なものだったんじゃないかしら。ならば、鈴木氏が新庄氏に消されてもおかしくはない。また店の金庫がこじ開けられたということにも新庄氏と深く絡んでいそう。佐伯さんはどう考えているんです?」
「調査する過程で、物証があいまいな場合は何事もないということだ。明らかな場合は誰かが細工したことになり、厄介だ」
どうも佐伯は、すでに、事件の概要を把握しているようだ。
*
さらに翌日、センセイの公設秘書である佐伯につきあって、私と真田巡査は、村一番の蕎麦屋『更科亭』の暖簾をくぐった。入母屋式になった黒い瓦葺の屋根の店だ。古びた木枠にガラスをはめ込んだ横開きの扉をくぐると、土間に、安い木枠とコンパネ板でつくったようなテーブルが並んでいる。そこから上を見上げる。すると古民家そのもので、天井板はなく、梁や柱が剥きだしになっていた。傘のついた電球が二つ三つ天井から吊り下げられていて、ぼんやりとオレンジ色に光っていた。椅子も安物で、腰掛けたところと背もたれはカラフルだが、フレームは黒く炙っただけで、しかもちょっと錆びている。
お奨めのざるを注文すると、店主は、「少しお時間がかかりますが?」と断ったのだが、「美味い蕎麦を食いにきた」という口実の佐伯が、東京くんだりからやってきて、わずか数10分を惜しむという道理はない。
板前は、台座の上で小麦と混ぜて練った従来の蕎麦粉を混ぜて蕎麦がきをつくり、包丁で細く均一に切ってゆく。
振り子時計がボンボン鳴った。ちょうど正午を指している。
テーブル奥川に私と佐伯が並んで座り、真田巡査が入口側に座った。むかいあった格好になっている。老巡査は、蕎麦ができるまでに事件について、若い公設秘書の所見をききだそうとした。
まず、鈴木茂社長は、失踪の何日か前に、村役場前バス停から、長野市にむかい、そこから東京へむかう列車の券を買っている。次に、鈴木氏が身に着けていた腕時計が、不法滞在の外国人通称・金田という男により質入れされていた。発覚したのは、金田が、職務質問をしてきた警官を殴って、県警本部の拘置所に収監されたというわけだ。
老巡査が佐伯にいった。
「不法滞在の外国人・自称金田は本件に関わる容疑者として有力です。しかし話だけをきくと殺人犯には思えないのですよ」
「まさしく」
車窓に片腕を載せた若い公設秘書がうなずく。
「金田容疑者は、真田さんがおっしゃるように殺人犯ではない。というのは、まず鈴木茂氏の死体が見つからない。次に、大ぴらに質入れしたことから、腕時計欲しさの犯行ではない。そして、あまりにも事件のオチが出来過ぎている」
佐伯は自分がたてた仮説をまだ口にしていない。
私はこんなふうに推理してみた。
「まず、すべての証拠は新庄太郎氏の仕業を示す。次に新庄氏は、鈴木茂社長と利害関係にある。また、不法滞在の自称・金田容疑者の証言から、新庄氏が事件に関わることは明らかだ」
板前が、編み籠に取っ手がくっついた調理具に蕎麦を突っ込んで、釜の中に放り込む。やがてそれをすくいあげて、清水で冷やし、せいろに盛ってゆく。店員がテーブルの上に並べだす。
スーツの男・佐伯は碗の麺つゆに蕎麦をつけ、口に運ぶ合間に問題点を指摘する。
「新庄氏が犯人として、東京で一人暮らしをしていた婆様の遺産配分を巡って、新庄氏が月ノ輪村の鈴木茂商店を訪れた理由が判らなくなる。もし新庄氏が独り占めを謀ったり、有利に事を進めたりしたいのであれば、そもそも、やってきはしなかったのではなかろうか? また、新庄氏がくる前に鈴木社長が東京にいく理由はなんだったのだ?」
県警本部から、巡査宛で、店に電話がかかってきた。
昼食時まで働かされるとは真田巡査も気の毒だ。電話を切った老巡査は血相を変えて、佐伯に報告した。その上で、なるほど、と手を叩いた。
「鈴木茂商店は、多額の負債を抱えていたそうです。鈴木社長は、老婆の遺産をかけて新庄氏と競合関係にある。呼びつけて、罪をなすりつけたというのはどうです、佐伯さん?」
ざるを盛ったせいろ二枚を平らげた佐伯は、麺つゆに蕎麦湯を足して一口飲み、卓上に置いた。
「真田さん。本件は、きわめて単純ですよ。そもそも新庄氏と会っているのは鈴木夫人だけだ。つまるところ、新庄氏なる存在は初めから存在してなどいない。鈴木茂氏の居所をみつけたいのならば、夫人を、不法滞在者・金田にあわせればいいのです。顔色を変えることでしょうね。鈴木社長は、警官を殴って刑務所に二、三か月収監され、アリバイをつくろうとしていた。奴の社員に川に下ってゆくのをみられたというのも、質屋に自身の時計を質入れしたというのも計算のうち。拘置所にぶち込まれ、本国に強制送還されるとなったら万々歳、というわけです。……金田になりしました鈴木社長はけっこうなインテリで、あっちの言葉をけっこう修得しているんじゃないですか? 国籍は行き倒れになったアジア系外国人のパスポートを闇市場で購入したものというところでしょうか?」
真田巡査がそのあたりの事情を県警本部に打診してみると、事実そうであることが確認された。
*
週明け、長身の公設秘書は東京のセンセイのところに戻って行こうとしていた。役場前停留所でボンネットバスを待っていたとき、見送りにきた私にきいた。
「なあ、明菜くん。蕎麦は打てるか?」
「一応……。更科亭のようにはいかないけれど」
長野行きのバスがやってきた。
若い女性車掌がバスの扉を開ける。
佐伯がステップを昇る。
「それを僕に喰わせてくれないか?」
私が、「いいわ」と答えようとしたとき、ドアが閉まり、バスは砂煙をまき上げて走り去っていった。まったく、なんて奴だ。蕎麦を打ってくれだと? この場合、二つの仮説がなりたつ。一つは言葉のあやでそういう場合、もう一つは、プロポーズになる。悶々としてきた。今夜は眠れそうにない。
END




