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10 紅之蘭 著  幸運 『アラビアのロレンス』

 英国オクスフォード大学に在学していたころ、考古学者を夢見ていた僕は、十字軍時代の城塞様式が東方から欧州にもたらされたのではなく、逆に欧州から東方に影響を与えたのだという高校時代に得た持論を証明する卒論をかく取材のため、シリアを旅した。それから、現在はイラクと呼ばれているチグリス川・ユーフラテス川に沿った諸文明に関する調査団に加わることになった。

 これらの地域は、第一世界大戦までは、トルコ帝国に属していた。祖国からはるかに離れているはずの老帝国は、どのように振る舞っても、大英帝国の関心から外れるということはない。大英博物館が組織した中近東の遺跡調査団は、実質、陸軍参謀本部の諜報機関と化していた。調査団はイラクからシリアにかけての遺跡調査を大義名分として、大っぴらに地形測量をすることができた。

 しかしトルコとて莫迦じゃない。なんとなくわれわれの下心を察し、紅海の付け根にある港湾都市アカバでの調査を断ってきたのだ。海に臨んでいるというのに砂漠に囲まれ乾いている。やたらに青い空と海、褐色である日干し泥煉瓦でできた角ばった街並み三色で風景が構成されている。

 港の入り江には、中世寺院の廃墟がある。しかしボートはつかえない。みつかったらえらいことになるだろう。僕は相棒と市場で風呂桶を買い、夜の闇にまぎれて島に渡り、アカバ港の写真を撮影することに成功した。幸運と挫折の始まりはそのときに起きたというわけだ。

 第一次世界大戦が勃発が勃発すると、メッカ太守フセインが主導するアラブが帝国に対して反乱を起こす。僕の祖国・英国は叛乱軍と同盟を結んだ。

 預言者マホメッドの血を引く不世出のカリスマ・第三王子ファイサルとともに、反乱軍と軍事顧問の僕T・E・ロレンスは北伐を開始する。

 アカバ港は、駱駝や車両がつかえない禿げた山地の尾根に囲まれている。一般には北側に開けた平地に立派な道路があって、帝国軍はそこをつかっていたし守備隊もそこに重点を置いて配備されていた。

 だが帝国軍が注意を払わない抜け道が一つだけ存在した。

 アンマンからメジナへむかう巡礼鉄道の途中駅にウェハダというオアシスがある。そこから、西にむかう砂漠・峡谷地帯を抜けたところで、紅海の入り江・アカバ港にでる。アカバ港。トルコ帝国が紅海にでる玄関口だ。ここを制してしまえば、帝国は、叛乱軍の首都たるメッカを背後から奇襲することはできなくなり、また英国が、叛乱軍に補給を送るのも容易となるわけだ。

 叛乱軍部隊は、まともな交戦をすることなく、峡谷地帯の拠点となるオアシスを、まんまと手に入れた。さすがに、抜け道も終りに近づいてきたとき、帝国軍は慌てて、反攻に転じたわけだがすでに遅い。

 士気の低さというのも有利に働いた。

 僕の駱駝のことをいおう。アラブ・シャララート族のとある未亡人が所有していた、亡き夫のものだ。名前はナアーマ。競技用につかう上級駱駝だ。

 通常の駱駝は草木を主食にしているものだが、アラブ人たちは、残飯をやったりする。ところが上級駱駝になると違う。なんと、王侯をもてなすかのように。肉を調理して与えるのだ。

 このころの叛乱軍兵士たちの士気はすこぶる高かった。血気にはやった若い兵士などは、指揮官将校の命令を待たずに、前線に飛びだしてゆくので、将校たちは連中の首根っこをつかんで隊伍に引きずり戻し、拳骨を何発も食らわせるものだから戦闘前に手を痛めてしまうような具合だったのだ。

 それに引き替え、アカバ守備隊の帝国兵は、おんぼろ軍旗を掲げた僕ら駱駝騎兵隊が、踊りかかると、銃弾が届かない途中までは迎撃にでるのだが、いざ、白兵戦になる際になると、反転して逃げていった。

 実をいうと、走ってむかってくる駱駝騎兵ほど手ごわいものはない。なにせ銃弾がまともにあたらないのだから。

 ほどなく、「難攻不落」と思われていたアカバが陥ちた。

END

【引用・参考文献】

 T・E・ロレンス著、J・ウィルソン編、田隅恒生訳『知恵の七柱』 平凡社 2008年 291-350頁(第2巻第53-58章)

 中野好夫著 『アラビアのロレンス』 岩波新書1940年 1-27頁「青年考古学者」


著者紹介/紅之蘭さんは大学の史学科卒業後に自営業をなされている女性です。

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