01 真珠 著 秋の気配 『ご在宅』
トゥルルルル、トゥルルルル……。
典子は番号ディスプレイに表示された数字をチラリと確認すると、受話器をあげた。頭の番号で、県外からだとわかる。
「はい、川辺でございます」
「こんにちは。私、ニッゼンのサカキと申します。お忙しいところ申し訳ありません、ご主人様はご在宅でしょうか」
「いえ、おりませんが」
「そうですか……。大変失礼いたしました。はい、失礼いたします」
「ごめんくださいませ」
静かに受話器を置くと、典子は淹れたばかりのコーヒーを飲みながらテレビのリモコンを操作した。自分の心の平静さに、典子は苦笑する。
昔だったら、こんな電話にいちいち妄想を掻き立てて、心穏やかではいられなかっただろうに。ニッゼンのサカキという女の背後には、オフィスであろう電話の音や、電話対応の社員たちの声が漏れ聞こえていた。浮気相手などではなく、確かに通販会社からの電話。でも、サカキという女の声には、嫌らしい響きが含まれているのを典子は感じた。こんな平日の昼間に、主人はいませんよ。わかっているはず。そして、あえて内容を告げず、含みを持たせて電話を切る。もしかしたら、電話のしずくが波紋を生んで、その夫婦には、なにか面白い争いが起きるかもしれない。そんな期待を無意識に感じさせる、嫌らしさ。その小さな嫌らしさを感知する典子もまた、清浄ではないのかもしれない。
昔の典子なら邪推して、心は乱れていただろう。
(通販を装った、浮気相手からの電話じゃないかしら)
(浮気相手じゃないにしても、何か変なものでも買ったのかしら?私に内緒で)
(何を買ったのかしら?誰に買ったのかしら?)
青かった。
若かった。
あの瑞々しさが懐かしい。もう、以前のように心を騒がせることもない。
(ダイエット食品のセールスね。きっと)
典子は、自分の心と夫婦としての時計が進んでいるのに気づいた。
もう、秋になったみたい。
了




