物置
本社の人は、建物の中を順に見て回っとるらしい。
らしい、というのは、わしが見たわけやないからや。受付の篠田さんに聞いた。帳場の奥から始まって、厨房、風呂場、ポンプ室。毎週どこかの戸が開いて、開いた先で何かが数えられとる、という話やった。
その順番が、女子ロッカーまで来た。
女子ロッカーは、物置や。
いつからかと聞かれると、困る。女の会員がほとんどおらん時代が長かった。使う者のおらん部屋には鍵が掛かって、鍵の掛かった部屋には、行き場のない物が集まる。誰かが決めたんやない。水が低いほうへ流れるのと同じや。
立ち会いは、わしが買うて出た。あの部屋の中身を説明できるのは、もう、わしくらいのもんやからや。
申し出たとき、本社の人は少しのあいだ黙って、それから、お願いします、と言うた。あの間が、なんの間やったのかは、いまも分からん。
鍵は篠田さんが持ってきた。戸は建て付けが悪うなっとって、下を持ち上げるようにして開けた。
中は、覚えとったより深かった。
奥の窓が段ボールで塞がれとって、昼でも薄暗い。電気をつけると、ついた。こういうときに限って、この建物の電気はつくんや。
手前からいきましょう、と本社の人が言うた。
「これは」
「ビンゴの機械や。忘年会で使うた」
「動きますか」
「回すとこが固いだけや」
「これは」
「傘立てや。前はロビーに置いとった。ええ竹やで」
「これは」
「スコアボードや。ホールバイホールの。研修会をやっとったころのや」
「研修会は、いまは」
「やっとらん。教える者より教わる者が先におらんようになった」
「これは」
「トロフィーやな。……誰のやったかな」
名前の彫ってある台座が外れて、どこかへ行っとった。誰のか分からん優勝が、棚に並んどった。
「捨てていいですか」
「あかん。誰のか分かったら困るやろ、捨てとったら」
本社の人は、聞くたびに手帳に何か書いた。そして、ひとつ聞き終わるたびに、同じことを聞いた。
「要りますか」
「要る」
ビンゴは要る。忘年会が、またあるかもしれん。傘立ては要る。ええ竹や。ミシンも要る。誰かが直しに来るかもしれん。
「これは」
「加湿器や」
「動きますか」
「冬になったら分かる」
「これは」
「麻雀卓や。娯楽室があったころのや」
「娯楽室は、いまはどこですか」
「いまの事務室や」
本社の人は、そこで手帳に、長いこと何か書いとった。
「これは」
「灰皿や」
スタンド式の、背の高い灰皿が、隅にまとめて立っとった。昔は廊下にも、ロビーにも、どの席の横にもあった。館内が禁煙になったとき、ぜんぶここへ来た。
「こんなに要りますか」
「……」
わしは、この日初めて、考えた。
「……要る。禁煙が、また終わるかもしれん」
「終わりません」
終わらんやろうな、とは、わしも思う。せやけど灰皿は、いまもあそこに立っとる。
昼までやって、捨てると決まったのは、空の段ボールがひとつやった。それも、わしは、箱というのはあって困るもんやないと言うたんやが、通らんかった。
棚の奥から、木の札が束で出てきた。
競技の優勝者の名札や。食堂の入口に額があって、その月の優勝者の札が入る。掛け替えて外した古い札が、ここに溜まっとった。
どれも、ええ字や。筆の字で、墨の照りがまだ生きとる。名前がいちばん大きうて、その横に競技の名前と日付が小そう入る。
「これはな、塚原さんの字や。昔、支配人をやっとった人でな。優勝者の札は、長いこと、みな塚原さんが書いた。字がうまくてな」
「いまは」
「いまは印刷や」
本社の人は札を一枚めくって、裏を見て、束に戻した。それだけやった。
いちばん奥に、額が立てかけてあった。七枚、壁のほうを向いて並んどる。
「絵ですか」
「絵というか」
埃で手が黒うなるさかい、篠田さんが軍手を持ってきた。三人がかりで、一枚ずつ、こっちへ向けた。歴代の理事長や。初代から順に、油絵で描かせて、食堂に掛けとった。いつやったか、食堂を明るう改装したときに外された。外したことは、わしも知っとった。ここにあったことは、知らんかった。
三人目までは、わしが説明した。初代は、この山の土地をまとめた人や。二代目は、その婿や。三代目は銀行から来た人で、というような話や。四人目からは、誰も聞かんかった。
聞かれんでも、六人とも、わしは言える。順番も、顔も、誰がどの改装で何を揉めたかもや。それを言える者が、もうわしのほかにおらん、ということも知っとる。
七枚目は、いちばん手前にあった。いちばん手前ということは、いちばん最後にここへ来た、ということや。
向けると、若い男やった。いまより髪が黒うて、多い。
描かせたころのことは、覚えとる。理事長は代々そうするもんや、と言われて、そういうもんかと思うて、座った。出来上がった絵は、わしよりも、わしの親父に似とった。
篠田さんが言うた。
「大庭さんですね」
「そうや」
それだけ言うた。説明しようと思うたが、することが思いつかんかった。ほかの六枚には、あんなにあったのにや。
本社の人が、初めて手帳から顔を上げた。
「掛け直しますか」
「……物置でええ」
片づけの終わりに、本社の人が部屋を見回して、言うた。
「女性の会員が増えたら、この部屋が要りますね」
「……そのときは、そのときや」
そのとき、が来るとしたら、ここの物はどこへ行くんやろうな、とは、わしも思うた。思うただけで、言わんかった。
部屋は、夕方には元どおりになった。物の場所は、ひとつも変わっとらん。変わったのは、全部の物に、本社の人の字で札が付いたことや。何がどこにあるか分かる物置になった。
鍵を返すとき、篠田さんが、ご苦労さまでした、と言うた。ご苦労やった。何の苦労やったのかは、よう分からんけどな。
帰りに、食堂の入口の額を見た。今月の優勝者の札が入っとる。額の中の名前は、知っとる名前や。当たり前や。ここで優勝する者に、わしの知らん名前は、まだない。
印刷の字は、読みやすい。誰が書いても同じ、というのは、ああいう字のことを言うんやろう。
塚原さんの字は、読みやすうて、そのうえ、塚原さんの字やった。
あの人がいまでも書けるんかどうかは、わしは知らん。




