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支配人はコースに出ません  作者: 一之瀬 樹
十六番 球はあるがままに
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33/39

領収書の束

 球は、あるがままに打つ。


 ゴルフの決まりの、いちばん根っこにある言葉や。落ちた場所が悪うても、置き直したらあかん。木の根の上なら根の上から、泥の中なら泥の中から打つ。どうしても動かしたけりゃ、罰を払う。


 俺は、この決まりが好きや。三十年、俺も球を置き直さんとやってきた。


 四月の朝は、スタート小屋がいちばん忙しい。冬のあいだ家におった連中が、芝と一緒に起きてくるからや。予約表は朝から詰まっとって、割り振りは頭の中でできとる。そこへ、電話が鳴った。


「はい、スタートです」


「あー、もしもし。中根さんか」


 知らん声やった。年寄りの女の声で、後ろがやけににぎやかや。


「中根やが」


「ああ、よかった。うち、ほれ、電器屋の裏の。うちの死んだ舅(しゅうと)が、昔、あんたに、山の分を」


「……ちょっと待ち」


 受話器を置かんと、窓から首だけ出した。


「次の組、どうぞ。――もしもし。おたくの分は、もろとる。舅さんの紙も判子も、うちにある」


「そうやろ。そうや思うとったんや。ほんでもな、なんや知らん会社から手紙が来てなあ。地番やらなんやら、ようけ書いたって、ご相談したい、て」


「放っときい」


「放っといてええの」


「ええ」


「あんたが言うんなら、ええわ」


 切れた。切れたと思うたら、また鳴った。今度は男の声で、話は同じやった。うちの親父が、昔、あんたに。知っとる。もろとる。手紙は放っときい。


 三本目は、途中で家族に回された。代わるわ、と言う声がして、兄が出た。もういっぺん最初から話した。代わるわ、と言う声がして、嫁が出た。もういっぺん最初から話した。しまいに、売った当人が出た。耳が遠いんや。こっちの声だけ、だんだん大きゅうなる。


「もろとる、て」


「はあ?」


「紙も判子も、もろとる、て」


「ああ、あんたか。元気にしとるか」


「しとる」


 元気の確認だけが、いっぺんで通った。


 合間に、組は出さんならん。受話器を耳に当てたまま、窓から手ぇで合図する。逢坂が察して、旗の代わりに走り回っとった。何の電話ですか、とは聞かん。あれはそういう係や。ええ係や。


 窓に、出の順を待っとる客が寄ってきた。


「なんや中根さん、朝から長電話かいな」


「すまんな」


「土地の話やろ。聞こえとったで。土地の揉め事なら、大庭さんに聞き。あの人は詳しいで」


「揉めとらん」


「ほうか」


 客は連れのほうへ戻って、小声で言うた。揉めとるらしいで。


 売った家は、みな知っとる。売った本人が知っとって、その嫁が知っとって、その子ぉが半分忘れとる。町の半分は、昔から知っとる話や。知らんのは、クラブだけやった。都会の会社へ行ったんは、その半分忘れとる子ぉの一人やろ。登記の上では、まだ親の名前で共有者や。


 そういうふうにしといたんは、俺や。


 昼前に、支配人が小屋へ来た。


 受付にも同じような電話が入っとったらしい。中根さん宛てに、土地のことで、いうのが続けば、誰かて気になる。戸口に立って、何も言わんと、こっちを見とった。ちょうど、俺は受話器を持っとった。


「せやから、あんたの山とは違う。俺が買うたんや。……二十年は前や。あんたのお父ちゃんから、や」


 電話の向こうが、ほうかあ、と言うて、それから祖父の代の話を始めた。誰それの長男が、どこそこへ養子に行って、その先の嫁の里が、どうたらこうたら。家系図いうもんは、しゃべる人間には一本道でも、聞く人間には藪や。


 俺は受話器を耳から離して、支配人を見た。支配人も俺を見とった。


「……長い話は、支配人が聞く」


 受話器ごと渡した。支配人は、たじろがんかった。


「お電話、代わりました。支配人の沢渡です」


 それから長いこと、はい、と、それはどなたの弟さんですか、だけで聞いとった。手帳の鉛筆は動きっぱなしや。俺はそのあいだに、詰まっとった組を、次々に出した。電話と客の両方がさばけたんは、この春、初めてかもしれん。


 切ってから、支配人は手帳をこっちへ向けた。家系図が書いてあった。藪やった話が、枝ぶりのええ木ぃになっとる。枝の先に、丸が打ったる。


「ご家族の、判子の順番が、分かりました」


「……順番まで聞いたんか」


「聞けるお話は、伺えるうちに伺います」


 それから支配人は手帳を閉じて、言うた。


「中根さん。お話は、どこで伺えばいいですか」


「上がりに、行く」


 夕方、最後の組が上がってから支配人室へ行った。


 家から持ってきた紙袋を、机に置いた。中身は、紐でくくった封筒の束と、帳面が一冊や。封筒には、一軒ずつ、名字が書いたる。中には、契約の紙と、領収書が入っとる。古いのは色が変わっとる。新しいのもある。三十年ぶんや。


 支配人は紐をほどいて、封筒を一つずつ机に並べた。並べ方が受付の並べ方やった。読んで、次を読んで、途中から、読む速さが変わらんようになった。


「山の下の、あの土地です、ね」


「そうや。口が十七に分かれとる、いうのは聞いとるやろ」


「はい」


「十六は、もろた。買うた、や。三十年かかった」


 支配人の鉛筆が、止まった。止まったんは、それが初めてやった。


「登記は」


「しとらん」


「ご理由を、伺っても」


「名前が出るやろ」


 それから、少しだけ足した。爺さん婆さんの相続がほどけとらん家は、そもそも動かせん。ほどけるのを待っとるうちに、みな、おらんようになる。せやから紙と判子だけ、先にもろてきた。金は、払える月に、払える分だけ払うた。帳面に、全部書いたる。登記簿のほうは、月にいっぺん、法務局で紙を取って見とった。知らん名前が、出とらんか。見るんは、それだけや。三十年、誰も出んかった。


「どうして、買われたんですか」


 どうして、を聞かれたんは、そのいっぺんきりやった。重ねて聞かれんかったから、答えた。


「業者に渡ったら、現場が割れる。分割やの地代やの、そういう話になったら、キャディの給金が先に飛ぶんや。……それとな。ここは、十八の俺を拾うてくれた場所や。それだけのことや」


 支配人は、それだけのこと、を手帳に書かんかった。書かんかったことは、見とった。


 封筒を数え終わって、支配人が顔を上げた。


「十六、ですね」


「そうや」


「最後のお一人は」


「……それは、まだ言えん。言う相手が、先や」


 支配人は、そうですか、と言うて、それ以上は聞かんかった。聞かんかったが、何か一つ数え終わったような顔をしとった。そういう顔のまま、何も言わん人や。


「整理されていますね」


「……されとらん。覚えとるだけや」


「弁護士に、見ていただきたいのですが。写しを取って、原本はお返しします」


「ええよ」


「六月末の、期限のことは」


「知っとる」


「この束は、それを変えるかもしれません」


「変えるために持ってきたんやない」


 言うてから、何のために持ってきたんや、と自分で思うた。思うたが、口には出さんかった。電話が教えてくれたんや。黙っとっても、手紙のほうが先に着く。ほんなら、俺の口から言うほうが先や。


 帰りに事務室の前を通ったら、受付の明かりがまだついとった。篠田が、明日の予約表を刷っとる。あの子には、まだ何も言うとらん。


 言わんならんことが、一つ残っとる。封筒も、一つ残っとる。

 最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

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