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支配人はコースに出ません  作者: 一之瀬 樹
十五番 冬期グリーン
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凍結

 冬のグリーンは、仮設だ。


 本物のグリーンは、冬のあいだ、霜と凍結でいちばん弱っている。弱っているところを踏ませないために、手前の芝を丸く刈って、仮のグリーンを作る。冬期グリーンという。本物を守るために、仮のもので冬を越す。ここの冬は、毎年そうやって越してきたらしい。練習場の球洗いの水が凍るのは、僕には二度目の冬だ。


 その朝は、布団の中から寒さの種類が違った。


 木戸を抜けて練習場に入って、最初に変だったのは、音だった。いつもの朝の音が、一つ足りない。ポンプ小屋の、あの低い唸りが、なかった。


 機械の音は、鳴っているときは誰も聞いていない。止まったときだけ、全員の耳に生える。


 見に行くと、ポンプは動いていた。動いているのに、圧の針が下がりきっていた。くんでいるのに、どこかで全部逃げている、という針だった。


 柏木さんに電話した。


「ポンプ、空回りしています」


「分かった。管だ」


 二語で終わった。中根さんの型かと思ったら、続きがあった。


「どこかで破裂してる。水の出てるところを探して。この気温だと、出た水は凍ってるから、氷を探したほうが早い」


 氷は、七番の脇で見つかった。


 地面から吹き上がった水が、吹き上がった形のまま凍って、変な形の氷が立っていた。花に見えなくもないし、失敗した細工物にも見えた。きれいだと言っていいのか分からないので、僕は写真だけ撮って柏木さんに送った。


 上げるなよ、とだけ返ってきた。機械の写真の前科が、ここにはある。


 上げなかったのに、昼には見物が出た。氷の花の前で、写真を撮る人まで出た。


 管は、五十年前の管だった。


 図面はある。あるが、柏木さんが図面と地面を見比べて、首をかしげた。


「図面だと、管はこの下を通ってない」


「通ってますよ。現に噴いてます」


「だから、図面が違う。……昔の工事は、図面を描いてから、地面の都合で曲げて、図面を直してないんだ」


 図面の管と、地面の管が、違うところを走っている。図面を信じて掘ると、図面に謝ることになる、と柏木さんは言った。地面の上の話だけかと思っていたが、この山は、地面の下も、紙と実物が合っていないらしかった。


 昼までに、分かったことが揃った。


 破裂したのは、氷の花のところだけだった。ただし管の中の水は凍って詰まっていて、ほかにも弱ったところがあるかもしれない。そして、この管は散水だけの管ではなかった。山の上の水は、一本で上がってきて、上で分かれる。散水と、風呂と、台所と、トイレ。一本が破れたので、全部が止まった。


 断水である。


 クラブハウスの張り紙は、支配人が自分で書いた。


『本日、お手洗いは仮設のものをご利用ください』


『お風呂は休止します』


『お食事は――』


 支配人の字は、定規で書いたような字だった。張り紙の字がまっすぐであるほど、事態は曲がっている。僕はそういう読み方を、この一年で覚えた。


 仮設のお手洗いは、昼までにひと揉めあった。置く場所である。風上や、と言う人と、風下や、と言う人がいて、どちらも自分は使わない前提で言うので、話が着地しなかった。着地させたのは高砂さんで、あんたらの家の風向きやないんや、の一言だった。理屈になっていない。なっていないのに、全員が黙った。


 お食事のところで、台所から声がした。


「カレーが炊けん」


 高砂さんだった。米も研げん、鍋も洗えん、カレーが出せん、と指を折ってから、高砂さんは妙に静かな声で言った。


「……とうとう、水が犯人か」


 僕には意味が分からなかった。あとで食堂の常連さんに聞いたら、去年、カレーの味の犯人捜しというものがあって、水は無罪になったのだそうだ。あのときは無罪にしたったのに、と高砂さんは言った。判決が、一年目に覆った。


 断水でも、朝の組は来た。


 風呂なしでも来るんですか、と、つい聞いてしまった。


「うちの風呂は熱すぎるんや。ちょうどええ」


 カレーの出ない日の昼は、高砂さんがどこかから握り飯を握ってきた。研いだ米はもうないはずなので、どこの水で炊いた米かは、誰も聞かなかった。聞かないのが行儀だと、この山では、みんな知っている。


 業者さんは、夕方に来た。


 氷と、管の口径と、五十年という数字を見て、業者さんは長いこと黙っていた。黙ってから、見積もりは明日、と言った。見積もりの紙より先に、顔が見積もりを言っていた。安い顔ではなかった。


 修理は、掘るところから始まる。管がどこを走っているか、図面が当てにならないので、人間が掘って確かめながら進むしかない。重機は、ほかの管を潰すかもしれないから、際は手で掘る。


「人手が要る」


 柏木さんが言うと、中根さんが返した。


「明日、集める」


 二語だった。誰をどう集めるのかは、言わなかった。言わなくても集まるのが、この山の中根さんである。


 その晩、僕は夕方の球拾いのあとも、遅くまで残った。


 凍った管がまた噴かないか、見ておく係だ。練習場の端からコースのほうを見た。懐中電灯が二つ、七番のほうへ並んで動いていった。


 柏木さんと、支配人だった。明日掘る場所を、先に見ておくのだと思う。夜のコースは危ないから、二人で行くのは正しい。


 二つの明かりの間隔は、仕事の間隔より、靴半分せまかった。


 誰にも言っていない。僕は、聞かない係で、数えない係で、たぶん、言わない係でもある。係というものは、増えるばかりだ。


 布団に入ってから、壊れた管のことを考えた。


 誰かが間違えたのなら、間違えた人を直せばいい。誰も間違えていなかった。五十年あまり前に正しく埋められた管が、五十年あまりの冬を数えて、今年の寒波で破れた。それだけだった。


 誰の落ち度でもなく物が壊れる、ということが、世の中にはある。目の前で見たのは、初めてだった。

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