凍結
冬のグリーンは、仮設だ。
本物のグリーンは、冬のあいだ、霜と凍結でいちばん弱っている。弱っているところを踏ませないために、手前の芝を丸く刈って、仮のグリーンを作る。冬期グリーンという。本物を守るために、仮のもので冬を越す。ここの冬は、毎年そうやって越してきたらしい。練習場の球洗いの水が凍るのは、僕には二度目の冬だ。
その朝は、布団の中から寒さの種類が違った。
木戸を抜けて練習場に入って、最初に変だったのは、音だった。いつもの朝の音が、一つ足りない。ポンプ小屋の、あの低い唸りが、なかった。
機械の音は、鳴っているときは誰も聞いていない。止まったときだけ、全員の耳に生える。
見に行くと、ポンプは動いていた。動いているのに、圧の針が下がりきっていた。くんでいるのに、どこかで全部逃げている、という針だった。
柏木さんに電話した。
「ポンプ、空回りしています」
「分かった。管だ」
二語で終わった。中根さんの型かと思ったら、続きがあった。
「どこかで破裂してる。水の出てるところを探して。この気温だと、出た水は凍ってるから、氷を探したほうが早い」
氷は、七番の脇で見つかった。
地面から吹き上がった水が、吹き上がった形のまま凍って、変な形の氷が立っていた。花に見えなくもないし、失敗した細工物にも見えた。きれいだと言っていいのか分からないので、僕は写真だけ撮って柏木さんに送った。
上げるなよ、とだけ返ってきた。機械の写真の前科が、ここにはある。
上げなかったのに、昼には見物が出た。氷の花の前で、写真を撮る人まで出た。
管は、五十年前の管だった。
図面はある。あるが、柏木さんが図面と地面を見比べて、首をかしげた。
「図面だと、管はこの下を通ってない」
「通ってますよ。現に噴いてます」
「だから、図面が違う。……昔の工事は、図面を描いてから、地面の都合で曲げて、図面を直してないんだ」
図面の管と、地面の管が、違うところを走っている。図面を信じて掘ると、図面に謝ることになる、と柏木さんは言った。地面の上の話だけかと思っていたが、この山は、地面の下も、紙と実物が合っていないらしかった。
昼までに、分かったことが揃った。
破裂したのは、氷の花のところだけだった。ただし管の中の水は凍って詰まっていて、ほかにも弱ったところがあるかもしれない。そして、この管は散水だけの管ではなかった。山の上の水は、一本で上がってきて、上で分かれる。散水と、風呂と、台所と、トイレ。一本が破れたので、全部が止まった。
断水である。
クラブハウスの張り紙は、支配人が自分で書いた。
『本日、お手洗いは仮設のものをご利用ください』
『お風呂は休止します』
『お食事は――』
支配人の字は、定規で書いたような字だった。張り紙の字がまっすぐであるほど、事態は曲がっている。僕はそういう読み方を、この一年で覚えた。
仮設のお手洗いは、昼までにひと揉めあった。置く場所である。風上や、と言う人と、風下や、と言う人がいて、どちらも自分は使わない前提で言うので、話が着地しなかった。着地させたのは高砂さんで、あんたらの家の風向きやないんや、の一言だった。理屈になっていない。なっていないのに、全員が黙った。
お食事のところで、台所から声がした。
「カレーが炊けん」
高砂さんだった。米も研げん、鍋も洗えん、カレーが出せん、と指を折ってから、高砂さんは妙に静かな声で言った。
「……とうとう、水が犯人か」
僕には意味が分からなかった。あとで食堂の常連さんに聞いたら、去年、カレーの味の犯人捜しというものがあって、水は無罪になったのだそうだ。あのときは無罪にしたったのに、と高砂さんは言った。判決が、一年目に覆った。
断水でも、朝の組は来た。
風呂なしでも来るんですか、と、つい聞いてしまった。
「うちの風呂は熱すぎるんや。ちょうどええ」
カレーの出ない日の昼は、高砂さんがどこかから握り飯を握ってきた。研いだ米はもうないはずなので、どこの水で炊いた米かは、誰も聞かなかった。聞かないのが行儀だと、この山では、みんな知っている。
業者さんは、夕方に来た。
氷と、管の口径と、五十年という数字を見て、業者さんは長いこと黙っていた。黙ってから、見積もりは明日、と言った。見積もりの紙より先に、顔が見積もりを言っていた。安い顔ではなかった。
修理は、掘るところから始まる。管がどこを走っているか、図面が当てにならないので、人間が掘って確かめながら進むしかない。重機は、ほかの管を潰すかもしれないから、際は手で掘る。
「人手が要る」
柏木さんが言うと、中根さんが返した。
「明日、集める」
二語だった。誰をどう集めるのかは、言わなかった。言わなくても集まるのが、この山の中根さんである。
その晩、僕は夕方の球拾いのあとも、遅くまで残った。
凍った管がまた噴かないか、見ておく係だ。練習場の端からコースのほうを見た。懐中電灯が二つ、七番のほうへ並んで動いていった。
柏木さんと、支配人だった。明日掘る場所を、先に見ておくのだと思う。夜のコースは危ないから、二人で行くのは正しい。
二つの明かりの間隔は、仕事の間隔より、靴半分せまかった。
誰にも言っていない。僕は、聞かない係で、数えない係で、たぶん、言わない係でもある。係というものは、増えるばかりだ。
布団に入ってから、壊れた管のことを考えた。
誰かが間違えたのなら、間違えた人を直せばいい。誰も間違えていなかった。五十年あまり前に正しく埋められた管が、五十年あまりの冬を数えて、今年の寒波で破れた。それだけだった。
誰の落ち度でもなく物が壊れる、ということが、世の中にはある。目の前で見たのは、初めてだった。




