母方の祖母
祖母の家の卓袱台は、三日で戦場になっていた。
伯父は、書類を広げる人で、畳む人ではない。年金と保険と役所の紙が、開いた口のまま重なって、どれが済んだ山なのか、本人にも分からなくなっていた。わたしは輪ゴムと付箋を持って乗り込んで、一時間で卓袱台を受付にした。
「みなみちゃんは、ほんまに事務やなあ」
「はい」
誇りに思うことにしている。
あの封筒を開けたのは、その日の終わりだった。
差出人は、知らない会社。都会の住所。宛名は、機械の字で、祖母のフルネームだった。伯父に確かめてから、はさみで開けた。
中は、丁寧な手紙だった。
丁寧すぎて、二行目まで、何の話か分からなかった。ご所有の土地、という言葉が出てきて、祖母は土地なんか持っていない、と思いながら読み進めて、それから、地番の一覧に当たった。
郡の名前。山の名前。字の名前。地番。
わたしはその行を、三回読んだ。
三回読んでも、地番は動かなかった。
毎朝、わたしが予約表を刷っている、あの山の上の地番だった。
職場の住所は、名簿にも請求書にも刷るから、覚えている。地番までは書かない。書かないが、役所の封筒で何度も見た並びだ。
手紙の用件は、こうだった。祖母は、ある土地の共有者の一人。その土地の権利について、ご相談したい。ご連絡をお待ちしている。
祖母は、土地の話を、一度もしなかった。
母に聞いた。知らない、と言った。伯父に聞いた。伯父は、遠い目をして、山の上に婆さんの土地があるいう話は、子どものころに一遍だけ聞いた気がする、と言った。聞いた気がする、は、うちの親戚の中では、知らない、と同じ意味だ。
次の日、わたしは封筒を持って、職場に行った。
朝の仕事を全部済ませてから、支配人室の戸を叩いた。私物の封筒で職場の時間を使うのは、筋が違う気がしたからだ。
「お時間、いただけますか。……仕事の話か、そうでないか、わたしにも分からないんですが」
支配人は、手を止めて、どうぞ、と言った。
わたしは封筒を出して、机に置いた。
「祖母宛てに、届きました。……先日、お通夜に来ていただいた、祖母です」
「はい」
支配人は、封筒の宛名をしばらく見ていた。
「……内山、節子さん」
この名前が職場で声になるのは、初めてだった。わたしは一度、息を吸った。祖母の姓とわたしの姓は違う。違うまま、二十四年、どこでも並ばなかった。
「――母方の、祖母なんです」
支配人は差出人を見て、それから中の手紙を最初から最後まで二回読んだ。読み終わって、顔を上げて言った。
「座ってください」
「座っています」
「……そうでした」
支配人が、わたしの前で段取りを一つ飛ばしたのは、それが初めてだった。顔には、何も出なかった。出なかったが、鉛筆は出た。
「地番を、確認させてください」
壁の図面の横に、支配人は役所の書式の紙を出してきた。夏ごろから、支配人室にはああいう紙が増えている。わたしが手紙を読み上げて、支配人が紙の側を追った。読み合わせは、電話番号の読み合わせと同じ手つきで進んだ。数字の確認だけは、どんな日でも、同じ速さでできる。できてしまう。
全部、当たった。
コースの下の、名義の古いままの土地。十月の説明会で、貸主の側から申入れが来ている、と聞いた、あの土地。その貸主の側の一覧の、どこかに、祖母がいた。
「篠田さん」
「はい」
「まず、一つ。篠田さんは、何も悪くありません」
「……はい」
「それから、もう一つ。この件で、篠田さんが今日、何かを決める必要はありません。相続のお手続きは、ご親族の時間で進めてください。クラブの側の時間とは、分けて考えます」
分けて考えます、と言った人の職場で、わたしは明日も予約表を刷る。分けられるものなのかどうか、わたしには分からなかった。分からなかったが、分けます、ではなく、分けて考えます、と言われたことは、控えておいた。
帰りぎわ、戸のところで、一つだけ聞いた。
「わたし、この仕事、続けていいんでしょうか。……その、予約も、名簿も、わたしが握っていますし、家は、その、向こう側になるかもしれなくて」
支配人は、少しのあいだ黙った。ごまかすための間には、見えなかった。
「受付に置く人を選べと言われたら、わたしは明日も篠田さんを選びます。理由は、情ではありません」
「……はい」
「篠田さんが、いちばん間違えないからです」
わたしはそれを、香典帳の隣の欄に控えた。
その週、中根さんは、受付にほとんど寄りつかなかった。
印の確認は、続いている。続いているが、紙は逢坂くん経由で行って、逢坂くん経由で帰ってくるようになった。逢坂くんは、何も聞かずに運ぶ。わたしも、何も聞かずに渡す。理由の欄は、まだ空けてある。空けた欄が埋まる日が来るのかどうかも、わたしは知らない。
年の瀬に、朝の組の方がもうお一人、会費を、と受付に来た。
新しい欄に、三人目が入った。欄というものは、一度生えると、次の人が入りやすくなるらしい。
あとから思えば、この十二月が、境だった。
最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




