↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
支配人はコースに出ません  作者: 一之瀬 樹
十四番 名義書換
PR
30/39

母方の祖母

 祖母の家の卓袱台(ちゃぶだい)は、三日で戦場になっていた。


 伯父は、書類を広げる人で、畳む人ではない。年金と保険と役所の紙が、開いた口のまま重なって、どれが済んだ山なのか、本人にも分からなくなっていた。わたしは輪ゴムと付箋を持って乗り込んで、一時間で卓袱台を受付にした。


「みなみちゃんは、ほんまに事務やなあ」


「はい」


 誇りに思うことにしている。


 あの封筒を開けたのは、その日の終わりだった。


 差出人は、知らない会社。都会の住所。宛名は、機械の字で、祖母のフルネームだった。伯父に確かめてから、はさみで開けた。


 中は、丁寧な手紙だった。


 丁寧すぎて、二行目まで、何の話か分からなかった。ご所有の土地、という言葉が出てきて、祖母は土地なんか持っていない、と思いながら読み進めて、それから、地番の一覧に当たった。


 郡の名前。山の名前。字の名前。地番。


 わたしはその行を、三回読んだ。


 三回読んでも、地番は動かなかった。


 毎朝、わたしが予約表を刷っている、あの山の上の地番だった。


 職場の住所は、名簿にも請求書にも刷るから、覚えている。地番までは書かない。書かないが、役所の封筒で何度も見た並びだ。


 手紙の用件は、こうだった。祖母は、ある土地の共有者の一人。その土地の権利について、ご相談したい。ご連絡をお待ちしている。


 祖母は、土地の話を、一度もしなかった。


 母に聞いた。知らない、と言った。伯父に聞いた。伯父は、遠い目をして、山の上に婆さんの土地があるいう話は、子どものころに一遍だけ聞いた気がする、と言った。聞いた気がする、は、うちの親戚の中では、知らない、と同じ意味だ。


 次の日、わたしは封筒を持って、職場に行った。


 朝の仕事を全部済ませてから、支配人室の戸を叩いた。私物の封筒で職場の時間を使うのは、筋が違う気がしたからだ。


「お時間、いただけますか。……仕事の話か、そうでないか、わたしにも分からないんですが」


 支配人は、手を止めて、どうぞ、と言った。


 わたしは封筒を出して、机に置いた。


「祖母宛てに、届きました。……先日、お通夜に来ていただいた、祖母です」


「はい」


 支配人は、封筒の宛名をしばらく見ていた。


「……内山、節子さん」


 この名前が職場で声になるのは、初めてだった。わたしは一度、息を吸った。祖母の姓とわたしの姓は違う。違うまま、二十四年、どこでも並ばなかった。


「――母方の、祖母なんです」


 支配人は差出人を見て、それから中の手紙を最初から最後まで二回読んだ。読み終わって、顔を上げて言った。


「座ってください」


「座っています」


「……そうでした」


 支配人が、わたしの前で段取りを一つ飛ばしたのは、それが初めてだった。顔には、何も出なかった。出なかったが、鉛筆は出た。


「地番を、確認させてください」


 壁の図面の横に、支配人は役所の書式の紙を出してきた。夏ごろから、支配人室にはああいう紙が増えている。わたしが手紙を読み上げて、支配人が紙の側を追った。読み合わせは、電話番号の読み合わせと同じ手つきで進んだ。数字の確認だけは、どんな日でも、同じ速さでできる。できてしまう。


 全部、当たった。


 コースの下の、名義の古いままの土地。十月の説明会で、貸主の側から申入れが来ている、と聞いた、あの土地。その貸主の側の一覧の、どこかに、祖母がいた。


「篠田さん」


「はい」


「まず、一つ。篠田さんは、何も悪くありません」


「……はい」


「それから、もう一つ。この件で、篠田さんが今日、何かを決める必要はありません。相続のお手続きは、ご親族の時間で進めてください。クラブの側の時間とは、分けて考えます」


 分けて考えます、と言った人の職場で、わたしは明日も予約表を刷る。分けられるものなのかどうか、わたしには分からなかった。分からなかったが、分けます、ではなく、分けて考えます、と言われたことは、控えておいた。


 帰りぎわ、戸のところで、一つだけ聞いた。


「わたし、この仕事、続けていいんでしょうか。……その、予約も、名簿も、わたしが握っていますし、家は、その、向こう側になるかもしれなくて」


 支配人は、少しのあいだ黙った。ごまかすための間には、見えなかった。


「受付に置く人を選べと言われたら、わたしは明日も篠田さんを選びます。理由は、情ではありません」


「……はい」


「篠田さんが、いちばん間違えないからです」


 わたしはそれを、香典帳の隣の欄に控えた。


 その週、中根さんは、受付にほとんど寄りつかなかった。


 印の確認は、続いている。続いているが、紙は逢坂くん経由で行って、逢坂くん経由で帰ってくるようになった。逢坂くんは、何も聞かずに運ぶ。わたしも、何も聞かずに渡す。理由の欄は、まだ空けてある。空けた欄が埋まる日が来るのかどうかも、わたしは知らない。


 年の瀬に、朝の組の方がもうお一人、会費を、と受付に来た。


 新しい欄に、三人目が入った。欄というものは、一度生えると、次の人が入りやすくなるらしい。


 あとから思えば、この十二月が、境だった。

 最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。