二時間
競技で前の組が詰まると、待ちの組、というものができる。
打てるようになるまで、ティーの周りで、素振りをしたり、しなかったりして待つ組のことだ。待ちの組の会話は、たいてい弾まない。誰のせいで詰まっているのかを、全員が知っていて、誰も言わないからである。
十月の説明会の会場は、開始前から、あの待ちの組の空気だった。
案内の紙には、経営状況のご説明、とあった。紙が来た時点で、待合室の観測では、もう三つの説が流れていた。潰れる説、売られる説、値上げ説。三つとも来てみれば分かることなので、私は説を持たずに行った。説を持たずに座っている人間は、会場では少数派だった。
会場は食堂だった。いつもは向かい合わせの机が、この日は全部、同じ方角を向いて並べ替えられていた。全員が同じ正面を見る部屋というのは、食事の部屋より、ずっと温度が低い。私は真ん中あたりに座った。前のほうの列に、父がいた。
父は名誉相談役である。今日は挨拶がある、と、朝から家で背広を着ていた。
定刻に、司会の篠田さんが立った。開会を告げ、それでは、と言った。それでは、のあとに、本題は来なかった。名誉のつく方々のご挨拶が来た。この順番は、この国の会の決まりであって、篠田さんのせいではない。
一人目は、名誉顧問だった。
クラブの歴史を、開場から話しはじめた。会場は初めのうち、句点のたびに拍手をした。拍手には、そこで着陸してください、という意味がある。名誉顧問は拍手のあいだ静かに待ち、拍手が止むと、続けた。拍手は武器にならなかった。むしろ、休憩を与えていた。
二人目が、父だった。
父の挨拶は、長い。私は知っている。名誉のつく人が三人続けて挨拶をすると、総会は二時間になる、というのが私の持論で、父はその二時間の、いちばん長い部分である。持論は、この日、実測になった。
父は、クラブへの感謝から入った。感謝は、五十年ぶん、ほぼ年表の形で進んだ。途中、最後に一つだけ、と言った。会場の背筋が伸びた。一つだけ、は三度更新された。三度目の一つだけ、のとき、隣の席の人が、小さい声で、一つの定義から聞きたい、と言った。私は聞こえなかった顔をした。息子だからである。
隣の列では、大庭さんが膝の規則書を開いていた。ページは、私の見ていた限り、一度もめくられなかった。あれは読んでいるのではない。読む姿勢という避難である。
途中で、中根さんが壁際の席から静かに立って出ていった。しばらくして、同じ静かさで戻ってきた。あとで聞けば、明日のスタート表を確認しに行っていたそうである。世界が変わるかもしれない会の最中に、明日の朝だけは、確定していた。
私は途中から、この挨拶の並びを、麻酔として観察していた。
長い挨拶には、麻酔の性質がある。効いてくると、痛い話の前に、感覚が薄れる。今日のこの会は、後半に痛い話が控えている。名誉のつく三人は、その前に配置されている。設計した人がいるなら制度だし、いないなら、自然にそういう形へ進化したのである。どちらにしても、よく効いていた。効きすぎて、眠りに入る人が何人か出た。寝ずに聞く顔のまま眠る技術は、年齢とともに上がるらしい。
三人目の終身名誉会員が立ち上がったとき、会場の全員がほとんど同時に膝の上の荷物をまとめた。
「まだ座っとらんがな」
言ったのは、当の終身名誉会員だった。この日いちばんの拍手が起きた。着陸を願う拍手ではない。あれは本物だった。
三人目の挨拶が、佳境に入ったころだった。
厨房の戸が開いて、高砂さんを先頭に盆の列が入ってきた。
話が、止まった。
見事に、止まった。名誉のつく話は、拍手でも、時計でも、隣のせき払いでも止まらなかったのに、茶の盆が机の間を進みはじめた途端、句点が来て、そのまま着陸した。盆というものには、そういう力があるらしい。会場が茶を受け取る衣擦れのあいだに、支配人が立って演台の位置に着いた。
「では、ご説明に移ります」
あの盆の列が偶然だったのかどうかを、私は知らない。知らないが、支配人と高砂さんは、一度だけ目を合わせていた。歯科医は、目を合わせる患者と合わせない患者の区別で食べている人種である。あれは、合図の目だった。
説明は、十五分だった。
二時間へのあてつけではないと思う。要る話だけをしたら、十五分だったのだ。
経営の数字。預かっているお金の話。千二百のうち九百の同意があれば、山は残るという話。それから、コースの下の土地の一部について、貸主の側から申入れが来ていて、期限が来年の六月の末であること。会場は、途中から、待ちの組の空気にすらならなかった。待つというのは、この先に自分の打つ番があると信じている者のすることだ。その信心が、数字のたびに、一列ずつ減っていくのが、背中で分かった。
最後に、支配人は言った。
「本日は、決を取りません」
前のほうで手が一つ、行き場を失って降りた。挙手の練習をしてきた人が、いたのだと思う。
「お願いは、多数決で決められる種類のものではありませんので。お一人ずつに、書面でご説明を差し上げます。同意書を、受付でお配りします。お持ち帰りいただいて、読んでいただいて、それからで結構です」
質問は、二つ出た。一つ目は、後ろのほうの席からの、飾りのない声だった。
「潰れるんか」
会場が、その一言のぶんだけ、静かになった。支配人は質問した人の顔を見て、答えた。
「潰さないために、お配りします」
もう一つ、声が出た。前のほうから、怒ってはいない声だった。
「金は、どこへ行ったんや」
「芝と、水と、機械です」
潰れません、とは言わなかった。言わない答えのほうが、私には効いた。効いた人は、ほかにもいたと思う。うちの待合室でも、絶対に痛くしません、と言う医者より、痛かったら手を挙げてください、と言う医者のほうが、信用される。
決めない、と宣言する会を、私は初めて見た。
散会のあと、会場のあちこちで待ちの組がほどけて、いくつもの小さい組になった。どの組も、同じ紙を持って、違う顔をしていた。
父はロビーで誰かに囲まれて、また何か長い話を始めていた。今日の父の挨拶は、たしかに長かった。長かったが、私は途中で気がついていた。父は、感謝の年表のあいだ、一度も、経営の話をしなかった。触れられないから長くなる話し方、というものが、この世にはある。息子は、それを知っている。
帰りの車で、助手席の同意書を信号のたびに見た。
治療計画書に、形が似ていた。現状。方針。同意の欄。判子の位置。
違うのは、一枚しかないことだ。うちの計画書は、断られたら、次の計画書を作る。この紙の次があるのかどうかを、私はまだ聞いていない。
最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




