十七名
ゴルフの規則書の、救済のドロップの条項に、付箋を貼った。
打てない場所に入った球は、規則に従えば、打てる場所へ落とし直すことができる。それを、救済のドロップという。私はゴルフをしないが、ゴルフ場に関わる仕事をするときは、先に規則書を読む。他業界の言葉は、行ってから覚えるのでは遅い。
契約書と同じ読み方で通読して、よくできた約款だと思った。定義が先にあり、例外が番号で整理され、救済の手順が漏れなく書いてある。世の中の契約書が全部この水準なら、私の仕事は半分になる。
付箋を貼ったのは、この案件に、いちばん関係のある言葉だと思ったからだ。
私は皆川という。皆川誠。ファンドで、土地の仕事をしている。霞ヶ丘カントリークラブの案件は、夏のはじめに、持ち込まれた。
持ち込まれた、という言い方を正確にしておく。仕掛けたのは私ではない。あのゴルフ場の下の土地の権利者の一人が、権利を現金にしたいと言って、うちの窓口に現れた。聞けば、貸している土地の解約の申入れは、もう済ませてあるという。
歯車は、私が来る前に、もう回っていた。私は、回っている歯車に、遅れて乗る。この仕事は、だいたいいつもそうだ。
乗る前に、調べる。この調べの仕事を、私の業界ではデューデリジェンスと呼ぶ。長いので、デューデリ、で通っている。買う前に、買うものの中身を隅まで検分することだ。中古の家なら、床下を覗く。会社なら、帳簿をめくる。土地なら、登記を剥がす。剥がして出てきたものの分だけ、値段と、覚悟が変わる。
最初のうちは、机の上で済んだ。
登記を取った。ゴルフ場の敷地というのは、一枚の土地ではない。何十筆もの土地の寄せ集めで、一筆ずつに登記がある。並べていくと、大部分はクラブの関連の名義で揃っていた。揃っていない一角が、出た。
コースのおよそ三分の一。名義は、個人のままだった。昭和の日付で止まっている。
名義人の名前を調べると、亡くなっていた。ずいぶん前にだ。登記だけが、亡くなった人の名前で、五十年、山の上に立っていた。
ここからが、私の仕事になる。
亡くなった名義人の権利は、消えない。相続人に降りる。相続人を確定するには、戸籍をたどる。ご家族の歴史に、業務でお邪魔します、という仕事である。感じのいい仕事ではない。私は正確に仕事をする。正確は、たいてい、感じが悪い。
登記の古い部分は、いまの電子の記録では届かない。閉鎖された登記簿、その前の土地台帳。紙の時代の記録は、紙の場所にある。私は何度か法務局へ行き、綴りをめくった。土地の仕事を長くやると、字が読めるようになる。達筆と悪筆と、役所の筆と、戦後の筆。読めるようになったことを喜んでいいのかは、いまだに分からない。
戸籍は、三代ぶんに広がっていた。
子が相続し、その子が亡くなってまた分かれ、嫁ぎ先の姓に変わり、遠くの市へ移り、一人は海の向こうにいた。広げ終わったとき、一覧には十七名が並んだ。
十七名のうち、自分がこの山の共有者だと知っている人は、おそらく半分もいない。曾祖父の土地のことなど、普通は誰も知らされない。知らないまま権利だけを持ち、知らないまま、いつか子へ渡す。
権利というものは、金と違って、忘れていても減らない。減らないから、こうして三代あとの夏に、私のような人間の一覧に載る。
十七名。
一つの山の上の芝生を、十七人が、知らないまま共有している。会ったこともない親戚同士が、判子の数だけで繋がっている。
一覧は、姓も土地もばらばらだった。読み上げれば、ただの名簿である。名義人と同じ姓は、もう半分もいない。三代のあいだに、嫁いで姓の変わった人がいるからだ。内山節子、というような名前は、そうやってできる。私は一人ずつ、現住所の確認を始めた。確認のつく人と、つかない人に分かれた。つかない人が、数名いた。
所在の分からない共有者。ここに、法律の新しい道がある。
八月の頭に、現地を見に行った。
土地の仕事は、最後は現地だ。図面の上の三分の一が、現実の何なのかを見ておかないと、値段の桁を間違える。
朝から暑い日だった。クラブハウスの前に車を停めると、駐車場の区画線が引き直されて間がなかった。手入れをしている施設だ。手入れは、金があるか、金より先に手が動く人間がいるか、どちらかの証拠である。どちらなのかは、まだ分からなかった。
受付で名刺を出して、本社の関係で資産の調査に伺った、と告げた。嘘はない。全部を言ってもいない。
警戒されるだろうと思っていた。麦茶が出た。
受付の若い方は、応接に私を通し、支配人を呼びに行き、戻ってくるついでに、冷たい麦茶を置いていった。この施設のセキュリティは、親切で出来ている。破るのに道具が要らないぶん、こちらの気がとがめる仕組みだ。
応接に通される前に、少しだけ外を歩かせてもらっていた。
図面のコピーを手に、山の縁を目でなぞった。図面の上では、色を塗った三分の一が、はっきりそこにある。現地に立つと、ない。芝は続いていて、木は続いていて、どこからが誰の土地なのかは、どこにも書いていない。
境界は、人間の帳簿の中にだけある。帳簿の中にだけあるものが、この芝の上の全員より長生きする。
支配人は、沢渡という人だった。
名刺を交換して、座って、すぐに分かった。この人は、数字の人だ。
敷地の筆数を聞くと、正確な数が返ってきた。地代の支払先を聞くと、支払いの経路と年額が返ってきた。私が聞きにくいことを聞きやすく言い換えようとしたところで、言われた。
「言い換えなくて結構です」
質問は短くなり、答えも短くなり、面談は予定の半分で終わった。
一度だけ、質問が私に向いた。
「調査の目的を、伺っても」
「土地の権利関係の、整理です」
「整理の、あとは」
「私の決めることではありません」
「そうですか」
沢渡さんは、それから言った。
「では、整理は、正確にお願いします」
正確に、と言われた。この言葉を、頼みの形で人から向けられたのは、初めてだった。たいていの人は、正確さを、手心の反対語として恐れる。この人は、手心のほうを恐れている。
終わり際に、沢渡さんが言った。
「話が、通じますね」
「ええ。困ったことに」
帰りの車で、助手席の一覧をもう一度見た。
十七の名前は、行きと同じ順で並んでいた。この中の何人が判子を押し、何人が押さず、何人がそもそも見つからないのか。それを数字にするのが、私のこれからの仕事だ。
私は、いい仕事をしていると思っている。
いい、の定義を聞かれなければ。
最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




