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支配人はコースに出ません  作者: 一之瀬 樹
九番 アウトオブバウンズ
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19/39

うちの土地だろう

 久しぶりに支配人室に入ったら、片づいとった。片づきすぎとった。机と、椅子と、コースの図面が一枚、壁に貼ったるだけや。


 理事長をやっとったころは、ようけ入った。あのころのこの部屋は、書類の山と灰皿の部屋で、山のあいだから声だけが返ってきたもんや。同じ部屋で商売の種類が変わったら、部屋はここまで別人になる。


 支配人と、記録係の篠田さんがおった。高砂さんがお茶を持ってきて、わしの湯呑みだけ、ちょっとええやつやった。年の功や。


「昨日の郵便のことで、お知恵を借りたいのです」


 支配人はそう言うて、壁の図面の前に立った。


「あの内容証明は、土地の話でした。コースの下の土地の、一部について、いまの権利をお持ちの方からの、申入れです」


「土地の、何の申入れや」


「お貸ししているものを、終わりにしたい、という申入れです」


 わしは湯呑みを置いた。


「待て。貸しとる、て誰がや」


「先方が、クラブに、です」


「話が逆やろ。ここはクラブの土地や。うちの土地やろ」


 言うてから、自分の声の大きさに気がついた。篠田さんの鉛筆が止まっとった。


 支配人は怒りもせんと、机の上の紙を一枚出した。


「登記を確認しました。いまはパソコンで取れますので、昨日のうちに」


 役所の書式の紙やった。ようけ字が並んどるが、支配人の言いたいことは一行やった。コースの下の土地の、およそ三分の一。名義は、クラブになっとらん。昔の地主の名前のまま、今日まで来とる。


「なんかの間違いやろ。五十年、うちがコースにしとるんやぞ」


「使ってきたことと、持っていることは、登記の上では別でした」


 わしはここで、とっておきを出すことにした。出しどころを間違えたとは、いまも思うとらん。


「定義の話をしよか」


 鞄から、規則書を出した。いちばん新しい、白い表紙のやつや。付箋は貼っとらん。どこに何が書いたるかは、体が覚えとる。


「アウトオブバウンズ。コースの外や。境界は白い杭で示す。白杭の外はコースやない。球が出たら、罰を払うて、内から打ち直しや。ここまではええな」


「はい」


「うちのコースの白杭は、外周にぐるっと打ったる。杭の外はコースやない。ほな、杭の内側は何や。コースや。コースは誰のもんや。クラブのもんやろ。ほれ、定義から出た」


 部屋が、しんとした。


 篠田さんの鉛筆が、動きかけた。支配人も、手帳に何か書きかけて、止まった。ええか、いまのは筋が通っとったんや。三段とも、一段ずつは正しい。わしは長いこと裁定をやっとるから、通っとる瞬間の顔は分かる。二人とも、その顔やった。


 支配人が、消しゴムを出した。


「……いま、書きかけました」


 手帳の字を消して、こう言うた。


「白杭は、どなたが打たれたものですか」


「……クラブや」


「クラブが打った杭は、クラブの言い分です。登記は、よその言い分も聞いた上の帳簿です」


 わしの理屈は、支配人の手帳に三秒だけ存在した。三秒あっただけ、上等やと思うことにしとる。


 篠田さんのほうを見たら、鉛筆がまだ動いとった。


「いまの、どう書いたんや」


「理屈が通って聞こえた、と書きました」


「消さんでええんか」


「事実ですので」


 通って聞こえた、が記録に残るんなら、それはそれで、わしの勝ちの一種やと思うことにした。思うことにした、が今日は多い。


 高砂さんが盆を取りに戻ってきて、机の上の規則書を見て言うた。


「規則の本に載っとらんの、それ」


「……ゴルフの規則やからな」


「なんや。肝心なことは載っとらんのやな」


 持って回るのはやめて、昔の話をした。


「造成のころの話は、わしも聞いとる。あのころ、売らん言うた家が一軒あった、いうのは、な。せやけどあれは、あとで話がついた、て聞いとったで」


「どなたと、どなたが、つけた話ですか」


「クラブと、あっちや」


「あっち、とは」


「……あっちや」


 誰から聞いた、と重ねて聞かれて、思い出そうとした。出てこん。話は覚えとるのに、声が思い出せん。わしが入会したとき、その話はもう、風呂場の湯気みたいなもんやった。誰の口から出たんでもなく、部屋に満ちとった。


 支配人が言うた。


「お伺いしたかったのは、その、話がついた、のところでした。いつ、どなたが、どうつけたのか。書いたものが、どこにもないのです」


 ない、はずがない。ないはずがないと言いたいのに、わしの手元にあるのは、ゴルフの規則書が三冊や。


「言うとくがな。わしは、聞いとらんだけで、知らんのとは違うぞ」


「はい」


 支配人は、はい、としか言わんかった。それが、いちばん応えた。


 もう一つ聞いた。


「その三分の一いうのは、どこや。どのホールや」


 支配人が図面に手を伸ばしかけたところで、わしは手を上げて止めた。


「言わんでええ」


「よろしいのですか」


「聞いたら、明日から、そのホールで打つたび思い出す。歳を取ったらな、忘れる楽しみいうのは、もうないんや。覚えん自由だけが残っとる」


 帰り際に、支配人が言うた。


「このことは、まだ、ほかの会員の方には」


「言わん」


 即答した。義理やない。見栄や。うちの土地やろ、と言い張った男が、そうやなかったらしい、と言うて回れるかい。


 最後に、わしのほうから聞いた。


「地代のことも、聞いてよろしいか。クラブは、あの土地に金を払うとったんか」


「毎年、払っています。昔から、今日まで」


「なんでうちの土地に、地代を払うんや」


「うちの土地では、ないからです」


「……払うとることを、誰が知っとったんや」


「帳簿が、です」


 外に出たら、コースはいつもどおりやった。九番の花道を、知らん組が笑いながら上がっていきよる。あの中の誰も、自分の踏んどる芝の下の話を知らん。わしも昨日まで知らんかった。


 ロビーのいつものソファに座って、資料を膝に広げた。通りかかる人が何人かおった。この日は、誰にも池の話をせんかった。話したうなかったんやない。あの話の先に何が繋がっとるのか、初めて分からんようになったからや。分からん話を人に聞かせるのは、字引のやることやない。


 白い杭は、コースの外との境に打つ。わしらは五十年、内側におるつもりで打っとった。

 最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

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