七十八
名簿と、会費の請求データを、突き合わせることになった。
どちらもパソコンから出る。名簿には千二百ほどの名前がある。請求のほうにも、名前が並んでいる。同じ画面から出るのだから、同じはずだと、わたしはずっと思っていた。突き合わせようと思ったことがなかった。名簿はわたしの担当で、請求は請求の仕事だったからだ。
並べてみると、合わなかった。
名簿にいて、請求にいない名前が、思ったよりずっと多かった。
最初の何十人かは、説明のつく名前だった。
「この方は」
「亡くなっています」
「この方は」
「亡くなった方の、息子さんです。手続きだけ、まだです」
「この方は」
「引っ越されて、それきりです」
「この方は」
「……同じお名前の方が、請求のほうにいます。別の方かもしれません」
一瞬、それで全部の説明がつく気がした。同じ方なら、ただの帳簿のずれだ。生年月日を引いてみたら、違う人だった。同姓同名で、片方は払っていて、片方は払っていない。説明は、つかないほうに戻った。
亡くなった方にも、名簿は毎年届いている。会費の請求は、止まっている家もあれば、律儀に払い続けている遺族もあった。高砂さんがお茶を持ってきて、画面を覗いて言った。
「あの世で校正しとるんやろ。誤植のうるさい人やったから」
誰のことかは、聞かなかった。
その途中で、逆の人も見つかった。
「この方、二回入っています」
「二回、とは」
「入会が二回です。昔に一回、あとにもう一回。会費も、二口で払っておられます」
「……ご本人は」
「気づいておられないと思います。引き落としなので」
「お知らせすると」
「片方ぶん、お返しすることになります。ずいぶん前からのぶんを」
「お知らせしてください。正しい帳簿にします」
集計を始めて最初に動いたお金は、入ってくるお金ではなく、出ていくお金だった。
説明のつく名前を全部除けると、残りが出た。
亡くなってもいない。退会もしていない。いまも予約が入り、いまも朝のコースを歩いている。名簿に載っていて、請求のほうには、いない。
いない、というのが正確だ。無料と書いた欄はどこにもない。印も、注記も、何もない。請求のデータに、最初から入っていないだけだ。いつからかと調べたら、いまのパソコンに移した最初の年から、もういなかった。移す前の帳簿は残っていない。
誰かが消したのではないと思う。消した跡は、探したがなかった。移したときに、入れなかった。入れなかった理由を知っている人が、この事務室にいない。それだけのことが、三十年ぶん積もっていた。
残りの一覧を、画面から紙に刷った。
知らない名前の一覧に、なるはずだった。ならなかった。毎朝、おはようございますと言い合っている名前が、上から順に並んでいた。今井さんの名前もあった。練習場の、あの今井さんだ。
大庭さんの名前は、なかった。競技委員の大庭さんも、生き字引の大庭さんも、請求のほうに、ちゃんといた。ちゃんといる、ということが、この仕事を始めてから、初めて人を褒める言葉になった。
入会の年の列も見た。残りの人たちの入会年は、どれも古かった。いちばん新しい人の年でも、わたしが生まれる前だった。新しい人が、一人も足されていない。いつかの年を最後に、この一覧は閉じている。どの年で閉じたのかを、沢渡さんは長いこと見ていた。
わたしは名前を数えた。
三回数えた。三回とも、七十八だった。
七十八の名前を、予約表の印と突き合わせた。朝の印の人たちは、全員この中にいた。七十八の中にも、印の付かない人は、いなかった。
その紙を、沢渡さんに渡した。沢渡さんは端から読んでいった。
「この方々と、どういうお約束があるのか。書いたものは、ありますか」
「こちらには、何も」
こちらには、と言ってから、自分の言い方が引っかかった。こちらにないなら、どちらかにはあるような言い方だ。引っかかったまま、思い出した。いちばん古い予約表の束は、全部手書きで、それでも印は同じ位置に同じだけ並んでいた。印より古いものが、どこかにあるはずなのだ。
高砂さんに聞いたのは、沢渡さんだった。
「朝のお客さまがたと、クラブのあいだに、何か書いたものがあると聞いたことは」
高砂さんは、湯呑みを置いてから答えた。
「紙の人らやろ」
「紙、ですか」
「昔もろた紙があるんや、て聞いたことはある。見たことはないで。あたしは一枚も見とらん」
「聞いたのは、どなたから」
「忘れた。五十年おったら、誰から聞いたかはのうなるんや。話だけ残る」
「どんな紙かは」
「領収書みたいなもんや、て言う人と、賞状みたいなもんや、て言う人がおった。どっちも見た上で言うとるようには、聞こえんかったな」
紙がある。あるらしい、という話だけが、ある。
沢渡さんは手帳に、紙、と書いた。それから七十八の一覧をもう一度手に取って、しばらく黙っていた。
ついでのように書いておくと、七十八人のうち、七十歳にならない何人かのぶんの利用税は、帳簿の雑費の奥で、クラブが払い続けていた。決めた記録は、これもなかった。昔からそうしとる、というのが、聞けたことの全部だった。
わたしは、何か言いたかったのだと思う。
「名簿は、合っていました」
「はい。合っていないのは、お金の側です。それも、クラブが損をする向きに、だけ」
三十年、悪いほうに間違え続けたスコアカードが、机の上に一枚、刷り上がっていた。
「この方々と、話をすることになると思います」
沢渡さんは、それから付け足した。
「一人ずつ」
最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




