寄り道
その日の上がりに、小屋を閉める前に明日のスタート表を見た。
朝いちばんの枠から、詰まっとる。見直しの見直しが効いたんか、キャディ付きの頼みが増えとった。現金なもんや。客も、ここのもんも。
割り振りは、頭の中でもうできとる。病み上がりは楽な組に回すのが俺のやり方やが、明日は病み上がりが十二人おるから、どうにもならん。全員、普段どおりや。医者が聞いたら怒るやろ。医者には聞かせん。
閉める間際に、年長のんが小屋へ顔を出した。
「明日、頼みます」
普段どおりの言い方やった。俺も、おう、と普段どおりに返した。病気の話は、どっちもせん。せんのが礼儀や。あれで筋は通しとるつもりなんや。
小屋の鍵をかけて、車に乗った。
帰りに、寄るところがある。
街道を町のほうへ下りると、道の両側がだんだん店になる。米屋、電器屋、閉まったままの何かの屋。夕方の町は、どの店も同じ色に見える。橋を渡って、郵便局の先で左に入る。白い四角い建物や。看板に、法務局、とある。
中は空いとった。夕方のこの時分は、たいてい空いとる。天井の明かりが半分落としてあって、ついとる半分の下にだけ、人がおる。役所の省エネいうのは、座る場所まで決めてくる。
入って右の台に、用紙が並んどる。取って、備え付けのボールペンで書く。書く欄は決まっとる。手が覚えとるから、考えんでも進む。
記入の台には、書き方の見本が貼ってある。見本の名前の欄には、法務太郎、とある。法務さんいう家があったら、さぞ書類が早いやろ。毎度同じことを思うて、毎度同じところで思うのをやめる。
窓口に、見たことのない若いのが座っとった。前の眼鏡の人は、おらんかった。異動の季節でもないやろうに、役所のことは分からん。
若いのは俺の紙を受け取って、少しあわてた。
「ええと、こちらの用紙ですと、あの、地番はですね」
「ここや」
「あ、はい。書いてありますね。それで、この欄は」
「そこは書かんでええ。書くんはこっちや」
「こっち。……あ、ほんとだ。すみません」
「ええよ」
「それで、お手数ですが、こちらの金額ぶんを、印紙で」
「知っとる」
窓口に出す金を、いっぺん隣で印紙に替えてからでないと、受け取ってもらえん。隣で買わせる意味は、長いこと考えとるが分からん。分からんが、決まりは決まりや。隣で買うて、戻って、欄に貼って渡した。判はつかん。消すのは向こうの仕事や。それも知っとる。
「番号でお呼びします」
札を持って、長椅子に座った。
役所の長椅子いうのは、どこも同じ形をしとる。座り心地で言うたら、キャディ室の座布団のほうがだいぶ上や。今日はあの座布団に、病人が十二人乗っとった。思い出して、少し笑うた。隣の婆さんがこっちを見たから、やめた。
向こうの窓口から、男の声が漏れてきよった。
「せやから、兄の判子がもらえんのですわ。判子一つで、ここへ何遍来させられるんか」
窓口の返事は聞こえん。男の声だけが、同じ高さで続いとった。よう聞く話や。ここの長椅子に座っとったら、月にいっぺんは聞く。
男はまだ言うとった。俺は自分の番号の札を見とった。
隣の婆さんが、こっちへ体を傾けてきた。
「ちょっと。あたし、初めてで、何にも分からんのやけど。名義の書き換えいうのは、どこへ出したらええの」
「用紙が違う。あっちの台の、右の端のや」
「右の端」
「書き方の見本が横に貼ったる。分からんかったら、窓口で聞いたら教えてくれる」
「詳しいんやねえ。……お役人さん?」
「違う」
「あら。ほんなら何のお人?」
「ゴルフ場や」
婆さんは、ゴルフ場、と繰り返して、それ以上は聞かんかった。ゴルフ場、で話が済む町や。済まん町なら、俺はこんなに楽に生きとらん。
向こうの窓口の男が椅子を鳴らして立って、出ていった。判子は、もらえんかったらしい。婆さんが小さい声で、怒っとったねえ、と言うた。
「判子は、人を怒らせるんや」
「あんたも怒らされたん?」
「……あっちの台の、右の端や」
婆さんは、はいはい、と言うて、右の端の台へ歩いていった。歩き方は、しっかりしとった。
呼ばれて、窓口で紙を一枚もろた。
その場で、顔を近づけて読んだ。老眼鏡は持っとらん。持たんでも、読むところは決まっとる。
読んで、折って、胸のポケットに入れた。
若いのが、俺の顔を見とった。
「……お詳しいですね」
「そうか」
「はい。その、手続きに。引き継ぎのときに、前の者からも、こちらの方は、と」
言いかけて、口をつぐんだ。役所の引き継ぎに、俺の欄があるらしい。何と書いてあるんかは知らん。知らんでええことにしとる。
「そうか」
それ以上は何も言わんかったし、向こうも何も聞かんかった。役所の若いのに、客の詮索をせん、ということだけはよう教え込んである。前の眼鏡の人も、いっぺんも聞かんかった。ええ役所や。
外に出たら、まだ明るかった。六月は日が長うて、役所を出ても昼の続きみたいな顔をしとる。冬なら、出たらもう暗い。
車に乗る前に上着を脱いで畳んで、助手席に置いた。紙は、上着の胸のポケットに入ったままや。
橋を渡って、街道を上がった。
途中でコースの森が見えてくる。木のあたまだけが、道の上に並んで見える。毎日見とる並びや。今日も同じ並びやった。同じ並びかどうかを、毎日見とるのかもしれん。どっちでも同じことや。
家に帰って、飯を食うて、寝た。
明日のスタートは、七時半からや。
最後に、お断りを。この作品はフィクションです。作中の制度や手続きについては、できるだけ正確に書くようにしていますが、筆者はその分野の専門家ではありません。制度はこの先変わっていきますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




