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支配人はコースに出ません  作者: 一之瀬 樹
七番 アンプレヤブル
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14/39

体調不良

 前の日、事務室から紙が回ってきた。


『キャディ制度の見直しについて(案)』


 セルフを増やして、キャディは減らす。ざっと言えばそういう紙や。セルフいうのは、キャディを付けんと、客だけで回るやり方や。


 案、と書いてある。案と書いた紙で、案やったためしがない。


 俺は読んで、たたんで、引き出しに入れた。誰にも何も言うとらん。これは先に言うとく。


 俺はキャディマスターをやっとる。キャディの朝の割り振りを決める役や。誰の組に誰を付けるか。それを決める者がおらんと、朝のスタートは動かん。


 キャディの仕事は、袋を担ぐだけやと思われとる。担ぐのは仕事のいちばん軽いとこや。飛んだ球の落ちどころを見とく。芝の目を読む。距離を出す。客の腰の具合と、機嫌の波と、どの客とどの客を同じ組にしたらあかんかを覚えとる。覚えとることが仕事や。書いたものはない。


 明くる朝、スタート小屋の電話が鳴った。


「体調不良で、本日お休みさせていただきます」


 そうか、お大事に、と言うて切った。すぐまた鳴った。


「体調不良で、本日お休みさせていただきます」


 そうか、と言うて切った。また鳴った。切った。鳴った。


 しまいまで数えんでも分かっとったが、いちおう最後まで受けた。十二人、全員や。全員が全員、同じ言い回しやった。普段は、頭痛い、腰が、孫が、と来る連中や。それが揃いも揃うて、体調不良で、本日お休みさせていただきます、や。


 誰がこの文面を作ったんかは知らん。俺は知らんでええことになっとる。


 電話を置いて、表に出た。


 職員の停めるところが、満車やった。


 体調不良の人間の車が、朝いちばんから、全部並んどる。並び方まで普段のままや。奥から詰めて、軽トラの横だけ空けてある。


 キャディ室を覗いたら、全員おった。


 茶を飲んどる。座布団を出しとる。若いのは横になって、年長のんが上から毛布を掛けてやっとった。病人の部屋いうより、湯治場や。


「休んどるんか」


「休んどるんです」


「家で休まんのか」


「家より、ここのほうが休まるんです」


 嫁がおるから、と誰かが小さい声で言うて、誰も笑わんかった。病人やからな。


 俺は戸を閉めた。閉める前に、換気だけせえよ、と言うといた。病人の部屋やから。


 スタートは、荒れた。


 キャディ付きで頼んどった組に、片っ端から詫びの電話や。受付の篠田が、本日はセルフでお願いできますでしょうか、を繰り返した。昼には言いすぎて、本日はセルフで、だけで客に通じるようになっとった。断って帰った組もある。まあ出るわ、と出た組もある。手引きのカートが足らんようになって、逢坂(おうさか)が倉庫から埃かぶったんを引っ張り出してきた。


 出る言うた年寄りの客が、小屋へ寄ってきた。


「キャディさん、おらんの」


「おらん」


「ほな、誰がわしの球を見つけるんや」


「あんたや」


「見つからんかったら」


「新しいのを打ったらええ」


「新しいのは、金がかかるがな」


「キャディも金がかかっとったんや」


 客は、ほう、という顔をして出ていった。今日いちばん、話の早い客やった。


 その逢坂が言うた。


「僕、出ましょうか」


「お前はキャディやない」


「じゃあ僕は何ですか」


「研修生や」


「研修生は、何をするんですか」


「そういうことになっとることをや」


 逢坂は分かったような顔で、カートを拭きに戻った。あれは分かっとらん顔や。


 昼前に、九番から二人が言い合いながら戻ってきた。


 木の根の上に球が乗った。打てん。そういうときのために、アンプレヤブルいう規則がある。打てません、と自分で宣言して、罰を一つ払うて、球を動かしてええ。それだけのことに、名前が付いとる。


 揉めとったんは、その先や。


「罰は一つやろ」


「二つや言うんや、こいつが」


「中根さん、一つやな」


「一つや」


「ほれ見い」


「打ち直しは、どこからやった」


「……」


 二人とも黙った。動かした先が悪かったらしい。キャディがおったら、その場で終わっとる話が、こうして小屋まで歩いてくる。今日はこれが何遍もあった。


 合間に、逢坂も来た。


「予備のカート、タイヤの空気が抜けてます」


「入れとけ」


「入れても抜けるんです」


「入るなら、ええんや」


 逢坂は口を開けて、閉めて、空気を入れに行った。あいつはいつか言い返してくるやろが、今日ではなかった。


 昼過ぎ、朝の話の早い年寄りが前半を回って上がってきた。


「球は、見つかったか」


「三つ、のうなった」


「新しいのは打ったか」


「打ったがな。ようけ打ったわ」


 言いながら肩の袋を担ぎ直そうとして、よろけた。


 キャディ室の戸が開いたんは、そのときや。若いのが飛び出して、客の袋を担いどった。担いでから、自分の手ぇを見とった。キャディ室の窓に残りの十一人の顔が並んどった。あーあ、という顔や。


「……体が、勝手に担ぐんです」


「お前、病人やろ」


「病人です」


「置いて、寝とけ」


「はい」


 置かんかった。玄関まで担いで、客に、お大事にな、と言われて、寝に戻った。


 仮病いうもんは、性根が仕事やと保たんのや。ここのんは、性根が仕事や。褒めとるんやない。困っとるんや。


 そのすぐあとに、支配人が来た。


 キャディ室の前に立って、中を見んと、駐車場のほうを見とった。長いこと見とった。それから小屋へ来た。


「皆さん、お加減はいかがですか」


「風邪やろ」


「十二人、同時にですか」


「流行っとるからな」


 支配人は、そうですか、と言うた。怒った顔はしとらんかった。笑うた顔もしとらん。手帳を出した。


「今日、お断りした組は、何組ですか」


「知らん。受付が知っとる」


「規則で揉めて、ここまで来た件は」


「五つ」


 言うてから、さっきの根っこの二人を思い出した。


「六つや」


「六つ、ですね」


 手帳に書いた。それから、こう言うた。


「今日、キャディなしで回れなかった組と、揉め事の数を、数えておきます。キャディの皆さんのお仕事の値段が、今日初めて数字になりますので」


「数字になったら、どうなるんや」


「数字になれば、守れます」


 そう言うて、帰っていった。守る、と言うたのか、削る、と言うたのか、あの言い方ではどっちにも取れる。どっちにも取れる言い方を選んどるんやろ。ああいうのがいちばん手ごわい。


 日の高いうちに、事務室の前に新しい紙が貼られた。


『キャディ制度の見直しについては、見直します』


 見直しの見直しや。


 貼り紙から小一時間で、キャディ室の空気が変わった。茶碗が片付いて、毛布がたたまれて、若いのが素振りをはじめた。医者に聞かせたら首をかしげるやろが、現場ではよくあることや。


 帰り際に、支配人がもういっぺん小屋へ寄った。


「明日は、皆さん出られそうですか」


「治る思うで」


「そうですか。皆さんに、お大事にとお伝えください」


 頭を下げて帰っていった。負けた顔はしとらんかった。それが少し、気に入らん。


 今日の罰が何打やったんかは、まだ誰も数えとらん。

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