体調不良
前の日、事務室から紙が回ってきた。
『キャディ制度の見直しについて(案)』
セルフを増やして、キャディは減らす。ざっと言えばそういう紙や。セルフいうのは、キャディを付けんと、客だけで回るやり方や。
案、と書いてある。案と書いた紙で、案やったためしがない。
俺は読んで、たたんで、引き出しに入れた。誰にも何も言うとらん。これは先に言うとく。
俺はキャディマスターをやっとる。キャディの朝の割り振りを決める役や。誰の組に誰を付けるか。それを決める者がおらんと、朝のスタートは動かん。
キャディの仕事は、袋を担ぐだけやと思われとる。担ぐのは仕事のいちばん軽いとこや。飛んだ球の落ちどころを見とく。芝の目を読む。距離を出す。客の腰の具合と、機嫌の波と、どの客とどの客を同じ組にしたらあかんかを覚えとる。覚えとることが仕事や。書いたものはない。
明くる朝、スタート小屋の電話が鳴った。
「体調不良で、本日お休みさせていただきます」
そうか、お大事に、と言うて切った。すぐまた鳴った。
「体調不良で、本日お休みさせていただきます」
そうか、と言うて切った。また鳴った。切った。鳴った。
しまいまで数えんでも分かっとったが、いちおう最後まで受けた。十二人、全員や。全員が全員、同じ言い回しやった。普段は、頭痛い、腰が、孫が、と来る連中や。それが揃いも揃うて、体調不良で、本日お休みさせていただきます、や。
誰がこの文面を作ったんかは知らん。俺は知らんでええことになっとる。
電話を置いて、表に出た。
職員の停めるところが、満車やった。
体調不良の人間の車が、朝いちばんから、全部並んどる。並び方まで普段のままや。奥から詰めて、軽トラの横だけ空けてある。
キャディ室を覗いたら、全員おった。
茶を飲んどる。座布団を出しとる。若いのは横になって、年長のんが上から毛布を掛けてやっとった。病人の部屋いうより、湯治場や。
「休んどるんか」
「休んどるんです」
「家で休まんのか」
「家より、ここのほうが休まるんです」
嫁がおるから、と誰かが小さい声で言うて、誰も笑わんかった。病人やからな。
俺は戸を閉めた。閉める前に、換気だけせえよ、と言うといた。病人の部屋やから。
スタートは、荒れた。
キャディ付きで頼んどった組に、片っ端から詫びの電話や。受付の篠田が、本日はセルフでお願いできますでしょうか、を繰り返した。昼には言いすぎて、本日はセルフで、だけで客に通じるようになっとった。断って帰った組もある。まあ出るわ、と出た組もある。手引きのカートが足らんようになって、逢坂が倉庫から埃かぶったんを引っ張り出してきた。
出る言うた年寄りの客が、小屋へ寄ってきた。
「キャディさん、おらんの」
「おらん」
「ほな、誰がわしの球を見つけるんや」
「あんたや」
「見つからんかったら」
「新しいのを打ったらええ」
「新しいのは、金がかかるがな」
「キャディも金がかかっとったんや」
客は、ほう、という顔をして出ていった。今日いちばん、話の早い客やった。
その逢坂が言うた。
「僕、出ましょうか」
「お前はキャディやない」
「じゃあ僕は何ですか」
「研修生や」
「研修生は、何をするんですか」
「そういうことになっとることをや」
逢坂は分かったような顔で、カートを拭きに戻った。あれは分かっとらん顔や。
昼前に、九番から二人が言い合いながら戻ってきた。
木の根の上に球が乗った。打てん。そういうときのために、アンプレヤブルいう規則がある。打てません、と自分で宣言して、罰を一つ払うて、球を動かしてええ。それだけのことに、名前が付いとる。
揉めとったんは、その先や。
「罰は一つやろ」
「二つや言うんや、こいつが」
「中根さん、一つやな」
「一つや」
「ほれ見い」
「打ち直しは、どこからやった」
「……」
二人とも黙った。動かした先が悪かったらしい。キャディがおったら、その場で終わっとる話が、こうして小屋まで歩いてくる。今日はこれが何遍もあった。
合間に、逢坂も来た。
「予備のカート、タイヤの空気が抜けてます」
「入れとけ」
「入れても抜けるんです」
「入るなら、ええんや」
逢坂は口を開けて、閉めて、空気を入れに行った。あいつはいつか言い返してくるやろが、今日ではなかった。
昼過ぎ、朝の話の早い年寄りが前半を回って上がってきた。
「球は、見つかったか」
「三つ、のうなった」
「新しいのは打ったか」
「打ったがな。ようけ打ったわ」
言いながら肩の袋を担ぎ直そうとして、よろけた。
キャディ室の戸が開いたんは、そのときや。若いのが飛び出して、客の袋を担いどった。担いでから、自分の手ぇを見とった。キャディ室の窓に残りの十一人の顔が並んどった。あーあ、という顔や。
「……体が、勝手に担ぐんです」
「お前、病人やろ」
「病人です」
「置いて、寝とけ」
「はい」
置かんかった。玄関まで担いで、客に、お大事にな、と言われて、寝に戻った。
仮病いうもんは、性根が仕事やと保たんのや。ここのんは、性根が仕事や。褒めとるんやない。困っとるんや。
そのすぐあとに、支配人が来た。
キャディ室の前に立って、中を見んと、駐車場のほうを見とった。長いこと見とった。それから小屋へ来た。
「皆さん、お加減はいかがですか」
「風邪やろ」
「十二人、同時にですか」
「流行っとるからな」
支配人は、そうですか、と言うた。怒った顔はしとらんかった。笑うた顔もしとらん。手帳を出した。
「今日、お断りした組は、何組ですか」
「知らん。受付が知っとる」
「規則で揉めて、ここまで来た件は」
「五つ」
言うてから、さっきの根っこの二人を思い出した。
「六つや」
「六つ、ですね」
手帳に書いた。それから、こう言うた。
「今日、キャディなしで回れなかった組と、揉め事の数を、数えておきます。キャディの皆さんのお仕事の値段が、今日初めて数字になりますので」
「数字になったら、どうなるんや」
「数字になれば、守れます」
そう言うて、帰っていった。守る、と言うたのか、削る、と言うたのか、あの言い方ではどっちにも取れる。どっちにも取れる言い方を選んどるんやろ。ああいうのがいちばん手ごわい。
日の高いうちに、事務室の前に新しい紙が貼られた。
『キャディ制度の見直しについては、見直します』
見直しの見直しや。
貼り紙から小一時間で、キャディ室の空気が変わった。茶碗が片付いて、毛布がたたまれて、若いのが素振りをはじめた。医者に聞かせたら首をかしげるやろが、現場ではよくあることや。
帰り際に、支配人がもういっぺん小屋へ寄った。
「明日は、皆さん出られそうですか」
「治る思うで」
「そうですか。皆さんに、お大事にとお伝えください」
頭を下げて帰っていった。負けた顔はしとらんかった。それが少し、気に入らん。
今日の罰が何打やったんかは、まだ誰も数えとらん。




