メロン
贈り物というものは、歯と同じで、相手の負担にならないのがいちばんいい。
残るものは、いけない。残るものは、見るたびに贈った人間を思い出させる。それは相手の家に私を一人、置いてくるようなものだ。私はそこまで図々しくない。
だから、残らないものにした。果物である。果物の中でも、切り分けられるものがいい。切り分けられるものは、独り占めの疑いを生まない。考え抜いた結果が、メロンだった。
私は贈り物を、受け取る側でもある。患者さんは、いろいろ持ってきてくださる。畑のもの、海のもの、箱に入ったもの。受け取るたびに、ありがたく、そして少し困る。あの、少し困る、を、あの方に渡してはいけない。
果物屋では、ずいぶん迷った。網の目の細かいのと粗いのが並んでいて、どちらが良いのか、私には分からない。分からないことは専門家に聞く。これは診療でも同じである。店の方は、お使い物ですか、と聞いた。使い物というか、贈り物というか、志というか、と私が言いよどんでいるうちに、店の方はいちばん奥から一玉を出してきて、これなら間違いございません、と言った。間違いのない買い物というものを、私は久しぶりにした。
水曜の朝、私はそれを持ってクラブへ行った。
言っておくが、この日、お願いはしない。お願いと贈り物を同じ日にしてはいけない。取引に見える。誠意と取引は、字が違う。
受付には篠田さんがいた。私は箱を置いた。
「日頃のお礼です。皆さんで」
「規程により、お贈り物は承っておりません」
これは予習してあった。先週までの私なら、ここで引いた。今週の私は違う。
「支配人さん個人に、ではありません。クラブに、です」
篠田さんが、黙った。
規程が、初めて黙ったのである。
篠田さんは箱を見て、私を見て、また箱を見た。あれは、規程を、いま作っている顔だった。私は待った。人が誠実に働いているときは、待つものである。
そこへ、食堂のほうから高砂さんが通りかかった。
「なんの騒ぎや」
騒いではいない。騒いではいないが、高砂さんは箱の前で止まり、蓋を開け、顔を近づけて、息を吸った。
「ええ匂いやのう」
「高砂さん、これは」
「食堂で預かる」
「高砂さん、規程が」
「規程は腐らんやろ。メロンは腐るんや」
箱は持っていかれた。規程は、追わなかった。
私は食堂へついていった。水曜はどうせ、コーヒーを飲んでいく日である。
高砂さんはメロンを台に置き、尻のほうを手のひらで押して、耳を寄せるようにした。それから一言、今日や、と言った。何がどう今日なのかは説明されなかったが、ああいうものは、説明されないから信用できる。うちの医院で言えば、レントゲンを見る前に当たりをつける、あの手つきである。
昼前に、朝いちばんの組が、ハーフを回って上がってきた。コースを半分まで回ると、いったん食堂で休むのである。
メロンは切り分けられて、レジの横の大皿に載っていた。差し入れや、食べ、と高砂さんが言った。
朝の組の手は、迷わなかった。
すっと伸びて、一切れ取って、ごちそうさん、と言った。誰に、とは決めずに言うのである。宛先のない礼だった。私はあれを美しいと思った。礼というものは、宛先を探しているあいだに冷める。
少しあとから来た会員さんは、皿の前で止まった。
「なんぼ」
「ただや」
「……なんで」
なんで、と言われても、差し入れだからである。その方は疑いながら一切れ取り、疑いながら食べ、うまいがな、と言って疑うのをやめた。
高砂さんが、私にも皿を寄越した。
「あんたも食べ」
「私は、いいんです」
「なんでや」
「贈った側ですので」
「もう食堂のもんや、言うたやろ。食堂があんたに出しとるんや」
理屈は通っていた。通った理屈には従うのが、私の流儀である。私は自分のメロンを、他人のメロンとして一切れ食べた。うまかった。うまさの中に悔しさの成分がなかったかと言われると、少し、あった。
面白いもので、手の迷わない人は、だいたい朝の早い人たちである。早起きは、人を大らかにするのかもしれない。私の待合室にも、スリッパを置く場所を自分で決めている常連さんがいる。年季とは、ああいうものだ。
同じ会員で、同じ皿の前なのに、手の速さだけが違う。
あの方が、食堂を通りかかった。
高砂さんが皿を目で指した。
「支配人も食べ。ええメロンや」
あの方は皿を見て、それから私を見た。私は会釈をした。誠意の問題である。
「それは、御代田さんからのお品ですか」
「食堂のもんや。もろたんは食堂や」
「わたしは、結構です」
「減るもんやないで。いや、減るんやけど」
あの方は少しだけ考える顔をして、こう言った。
「メロンは、好きですので」
そして事務室のほうへ戻っていった。
好きだから、食べない。
私はコーヒーを一口飲むあいだ、この文を眺めた。逆ではないのか。逆ではなかった。分かってみれば簡単である。好きなものほど、ただで受け取ってはいけないのだ。嫌いなものなら、義理で食べたと言える。好きなものは、言えない。
公平な方なのだ。
私のメロンは、昼のあいだに私の知らない人たちの中へ切り分けられて消えた。残らないものを選んだのは私である。計画どおり、と言えなくもない。
帰り際に受付の前を通ると、篠田さんに呼び止められた。
「御代田さん」
「はい」
「……ごちそうさまでした」
十四回通って、正面から礼を言われたのは、これが初めてである。メロンは仕事をした。
夕方、医院の待合室に、クラブでメロンが出たらしい、という話が届いていた。ええメロンやったそうですよ、先生、と患者さんが教えてくださった。出所は私である。私であるのに、話は町をひと回りして私のところへ最後に着いた。私は、そうですか、と言って、ええメロンだったそうですね、と答えた。待合室に、嘘はひとつもない。
十五回目は、来週の水曜に決めている。




