十四回
競技のスコアカードには、同伴競技者という欄がある。
同じ組で回った者の名前を、互いに書き合う欄だ。スコアというものは自分では証明できない。隣で見ていた人間が署名して、初めて数字になる。
私はこの欄が、昔から好きだ。
沢渡支配人の名前を、いつか自分のカードのその欄に書きたい、というのが、私のささやかな願いである。邪心はない。同じ芝の上を、同じ半日、歩いてみたいというだけのことだ。
本日、十四回目のお願いをした。
回数を数えているのを、卑しいことだとは思わない。回数を数えるのは、誠意の問題である。私は歯科医だ。患者の通院回数を数えない歯科医はいない。治療というものは、一回では終わらない。終わらないことを、恥じる理由もない。
十四回のお願いは、すべて受付でしている。
ご本人に直接、というのは、初対面の折に一度だけやった。あのときは、いささか行き違いがあった。名刺をいただいたのに、私はあの方を支配人だと分からなかった。いや、正確に言えば、支配人という言葉と、目の前の方とが、頭の中でしばらく繋がらなかった。繋がらなかった時間のことは、いまでも折にふれて思い出す。思い出して、うなる。
あの日のロビーには、大庭さんの池の話が出ていた。私はその途中から入った。人の第一印象というものは、環境に左右される。私のせいばかりではないと思う。
いただいた名刺は、いまも持っている。診察室の抽斗に入れてある。処分する理由が見当たらないから、持っている。それだけのことである。
待合室で聞いた話では、あの方は、本社の中でも手を挙げる人のいなかった席に、自分から手を挙げて来たのだそうだ。手を挙げる側の人間として、私は親近感を覚えた。向こうは覚えていないと思う。
ともかく、それ以後は、手続きを踏んでいる。手続きを踏むのは、誠意の問題である。
受付には、篠田さんがいる。
篠田さんは、私が水曜に来ることを知っていて、私が何を言うかも知っていて、私が言い終わるのを、ちゃんと待ってから断る。立派な人だと思う。
「支配人さんと、ご一緒できる日はありませんか」
「支配人はコースに出ませんので」
これが長く続いた。あるとき、角度を変えてみた。
「では、ご連絡先を」
「ご予約は、代表のお電話で承っております」
「いえ、予約ではなくてですね」
「代表のお電話で承っております」
答えになっていない、と思われるかもしれない。私も思った。だが診察室で考え直した。あれは答えになっていないのではない。あれが答えなのだ。歯の痛い患者が、先生の携帯を、と言ってきたら、私も同じことを言う。感心して、次の水曜も行った。
そのうちに、返事が変わった。
「規程により、支配人の同伴プレーは承っておりません」
規程、というものが、いつの間にかできていた。
私は規程を尊重する人間である。歯科医院にも規程はある。規程がなければ、待合室は回らない。だから私は、次の水曜に角度を変えた。
「では、お食事のお誘いを、取り次いでいただくことは」
「規程により、私的なお誘いの取り次ぎは承っておりません」
「では、お手紙を、お預けすることは」
「規程により、職員宛のお預かり物は承っておりません」
規程は、私が角度を変えるたびに、先回りして待っていた。たいした規程である。作った方の顔が見たい。
その次の水曜、私はかねてから考えていたことをついに口にした。
「その規程を、一度、拝見できますか」
篠田さんは、少しも慌てなかった。
「規程の閲覧は、規程により承っておりません」
私は感心して、その日は帰った。帰りの車の中で、しばらく笑った。笑ってから、待てよ、と思った。あの規程は、ひょっとすると、存在しないのではないか。
思っただけで、その考えは捨てた。存在を疑うのは、失礼にあたる。うちの医院の予約優先も、書いたものはどこにもないが、ちゃんと存在している。規程とは、そういうものだ。
受付以外の道も、試していないわけではない。
先月のコンペに、景品を一つ寄付した。値段は言わない。言わないが、断るには高すぎる程度には、高い。景品は受け取られた。規程は、受付の外までは出てこないらしい。これは発見だった。
後日、礼状が届いた。クラブの名前で。文面は立派だった。判子も立派だった。あの方の字は、どこにもなかった。
税理士を連れていったこともある。クラブの経営が大変らしい、という話が、待合室に来ていたからだ。それなら経営の話をすればいい。経営の話なら、断る理由がない。うちの税理士は患者でもあるので、話は早かった。話が早かったのは私と税理士のあいだだけで、受付の篠田さんは、税理士の名刺と私の顔を見比べてから、支配人は席を外しております、と言った。税理士は帰りの車で、先生、私はもう結構です、と言った。あれは税理士の言葉ではなかった。患者の言葉でもなかった。ただの、気まずかった人の言葉だった。
誤解のないように言っておくが、私は焦ってはいない。
大事なのは間隔である。詰めすぎた予約は、患者を遠ざける。週に三度クラブへ来て、お願いは月に数度。この配分は、考え抜いた上のものだ。
それに、待っているあいだにも、入ってくるものはある。
私の医院の待合室は、この町の話が集まる場所だ。誰が入院したか、誰の家が代替わりしたか、たいてい私は、新聞より先に知る。クラブの話も来る。支配人が代わって食堂の味が落ちた、という説は、うちの待合室では先週から下火である。かわりに、支配人がレジの前で何かを数えさせている、という説が入ってきている。数えるのがお好きな方らしい。
結構なことだ、と私は思う。数えるのが好きな方なら、十四回という数字にも、いつか目を留めてくださるだろう。
口の中を見れば、その人の暮らしはだいたい分かる、と私は思っている。この町の口の中を、私はたいてい見てきた。あの方のことだけ、私は何も知らない。カルテがないからだ。診てみたい、という意味ではない。念のため。
それに、考えてもみてほしい。この十四回、私を断ってきたのは、予約表と規程である。あの方ではない。
私は、あの方個人には、まだ一度も断られていない。
患者にもよく言う。抜くと決まったわけではありません、と。




