第34章(初めての二人きりのドライブ)
「やっぱり、二人だけでなんて無理。由紀奈に一緒に行ってもらうよう、明日言おう。」
そう思っていたのに、朝食が済むと、涼に引っ張られて無理やりポルシェの助手席に押し込められた。
「一時に待ち合わせでいいよね」と玄関で話しているのが聞こえる。
「やっと巻いてやった。口うるさい妹がいると、いつも三枚目になってしまって、
明菜ちゃんに誤解されてしまう。本当は、こんなに真面目で誠実なのに。
このポルシェ、車の免許を取って先日届いたばかりなんだ。
明菜ちゃんに初めて助手席に乗ってもらえるなんて、本当に光栄だな。」そう言ってくれた。
「いつもなら、ここらで妹の突っ込みが入ってきそうだけど、ないと、ちょっと照れるな。」
と言うので、クスリと笑ってしまった。
本当に、由紀奈の「このスケコマシ。」という言葉が聞こえてくるようだ。
「妹があんなに明るくなったのは、明菜ちゃんのおかげだな。本当に家族みんな感謝してるんだよ。」
と言うので、意外に思って問い返した。
「由紀奈ちゃんって、会った時から明るくって、クラスの人気者でしたよ。」と。
「そうなの? でも、小学生の時、いじめられて病んで、学校に行けなかったんだ。
親友の嫉妬を買って、あることないこと吹聴されて、好きな男子も誰も信じられなくなって、
町の不良にも囲まれて怖い思いをしたらしく、格闘競技を次々と習いに行って、
レスリングで日本一なんて、すご過ぎるだろう。」と言って笑った。
笑顔の向こうに、たまにダークな影が見えたのは、そういうわけだったのだと納得した。
たくさんの友人に囲まれていても、たくさんの男子にモテてもなびかない。
どこか冷めていて臆病なのは、そんな過去のトラウマがあったのだと初めて知った。
映像のように、小さな由紀奈が傷つき、泣いている姿が見える。胸がキリキリ痛んで、
知らず知らず涙が流れる。その涙を見て、涼が驚いて車を脇に寄せる。
「どうしたの? 大丈夫?」と心配する涼に、
笑顔を一生懸命作ろうとするのだけど、涙が止まらない。
「私も小学生の時、いじめられて学校に行けなかったの。いつも一人で、友達なんて作らないって決めていたのに。由紀奈ちゃんに声をかけられて、心が凍っていたのが溶けていくのがわかった。
最初は、一人ぼっちの自分を同情して声をかけてくれたのだと思ってた。家族に愛されて、みんなの人気者の由紀奈ちゃんとは育ちも違うし、気後れしてばかりいた。なのに……」
もう、声が上ずって何もしゃべることができなかった。涙が次々とあふれて、嗚咽が出る。
その時、涼の温かい胸に抱きすくまれていた。
涙が涼のシャツを濡らすのも気にも留めず、優しく髪をなでてくれる。
「ごめん。つらい思いをしてきたんだね。」とささやく声に溶けていく。
心に刺さった、今までのトゲのようなものが。しばらく泣いて、涙も底をついたのか、
「どうしよう。シャツがびしょびしょ」と言って、涼から離れる。
「本当だ。記念に洗わずに大切にしまっておこう」と言うものだから、
「やめて。恥ずかしいから」とにらんでいた。
「妹も、こうやって抱きしめてやれたらよかったんだけど」と、涼は悲しそうな目をした。
その当時、何もできなかった無力な自分を恥じているようだった。
「妹って、可愛いものなの?」と聞くと、
「憎たらしいことを言っても、何だか気になって仕方ない。あっちの方が強いんだけど、
守ってやらなければならないなんて思うのは、親の刷り込みなんかな?」
と、恥ずかしそうに言う。
「私にも兄がいたの。幼い頃に交通事故で亡くなっちゃったけどね。」
でも、今も兄の愛情は痛いほど感じている。だから、今でもちょくちょく出てくるのだ。
「生きていらしたら、今頃叱られそうだな。大事な妹に手を出したら、
ただでは済まさんぞってね。」と笑った。
「化けて出たらどうします?」と脅すと、
「明菜さんは僕が幸せにしますって言ってみようかな?」と軽口を言うのだが、
本気にしそうになる。「何か欲しいものある?」と聞かれても困ってしまって、
「本当に何も欲しい物なんてないんで、お気持ちだけで」と断るのだが、それも想定内のようで、
「じゃあ僕の趣味で決めてもいいかな?」と楽しそうに言う。
連れて行かれたのは、スポーツショップだった。迷わずテニスウエアの売り場に行って、
店員にオーダーしている。試着を勧められる。
「テニスなんてしたことないんですけど。」と言うと、
「だから、ウエアも持っていないと思って。我が家はテニスが好きで、
会員制のテニスクラブにも入っているんだけど、父が明菜ちゃんと一緒にテニスしたがってね。
僕が教えるから一緒にしようよ。」と言ってくれる。
FILAやellesseの色鮮やかなテニスウエアを試着するたびに、
「どれも似合うね。さすがモデルしてるだけある。明菜ちゃんは、どれが気に入ったの?」
と聞くので、紺のシャツにホワイトのスコートを選んだ。ellesseのマークが可愛かったからだ。
値段を見ると高くて驚いた。断ろうかとも思ったけれど、
こんな値段なら自分では絶対に買えないと思って、好意を素直に受けることにした。
一緒に西井家の一員としてテニスをしてみたかった。
シューズもテニスラケットも全部用意してくれた。
「こんな高級品、家に持って帰ったら祖母に怒られそう。やっぱり無理です。」と断ったら、
「僕の車に入れておくといいよ。当分、うまくなるまで僕が教えるんだから。」
と言って、かなり大きな荷物になったが、プレゼント包装にリボンをつけて車まで運んでくれた。
「これは由紀奈には内緒だよ。今度、テニス場で驚かせてやろう。
利絵ちゃんとは一緒によくテニスに行っているらしいけど、
明菜ちゃんと行きたいって言ってたんだ。妹のためにも、わがままを聞いてくれてありがとう。
そうだな。次の日曜日はどう?迎えに行くよ」と言う。まるで夢のようだった。
由紀奈の夢を叶えるためだと言われたら、断るわけにもいかない。
「運動音痴だけど、笑わない?」と言うと、
「笑わないよ」と言って笑っている。




