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ラスカが着替えを済ませ、部屋を出ようとしたとき、廊下でセシリアとぱったり鉢合わせた。
「あ、ラスカさん! ちょうど良かった。これ、よかったら使ってみてください」
セシリアが手にしていたのは、筒状の不思議な道具だった。
「……なんやそれ」
「ドライヤーです。髪を乾かすものですよ」
「は……?」
「やってみます?」
ラスカは半信半疑のまま、言われるがままに椅子に座った。
セシリアが道具の先端をラスカの髪に向けると、ふわっと温かな風が吹き出してきた。
「ほーん……ま……」
言葉にならなかった。ただの温風にしか見えないのに、髪が見る間に乾いていくのだ。しかもただ乾くだけでなく、一本一本がなめらかに整っていく感じがする。
「火の魔石を加工して作ったんです。魔石は魔法への耐性が高いので、筒状に整形して風が通るように——」
「ちょっと待って」
ラスカが遮った。
「ね、簡単でしょ? って顔してはるけど」
「してない、してない」
「どこが簡単やねん……」
ラスカはため息をついた。魔石の加工は熟練の職人でさえ難しい作業だ。それを「ね、簡単でしょ」とばかりにさらっとやってのけるこの女将は、まったくもっておかしかった。
これほどの力を持ちながら、誇るでもなく、ただお客様に喜んでもらいたいというだけで作ってしまう。
「もっとセキュリティを強化した方がいいと思うんやけど……夜中に一人でうろうろしてはるし」
するところころと、小さなゴーレムが廊下を転がってきた。先ほどラスカを風呂場へ案内したものと同型だ。
「大丈夫ですよ。夜はパトロールのゴーレムが見回っていますので」
「……そか」
「夜分にすみませんでした。ではごゆっくり〜」
ぺこりと一礼して、セシリアは廊下の向こうへ消えていった。
残されたラスカは、ドライヤーを手にしたまま、しばらく呆然と立ち尽くした。それから我に返り、もう一度自分の髪を触ってみる。
「まじか……」
つやつやだった。しっとりとして、するりと指の間を流れる。シャンプーと温風の効果だろう、一本一本が光を帯びているようだ。
(どないなっとんねん……何度目やねん、このセリフ)
そしてふと思った。
「これ……貴族に知られたらやばいんとちゃいます……?」
金を積んでも手に入らない体験が、ここにはある。それが世に知れ渡れば、押し寄せる人の波は想像もつかないほどになるだろう。
「…………」
魔族である自分も、何の疑いもなく使わせてもらった。盗まれることを恐れるとか、魔族だから断るとか——そういった発想が、セシリアにはそもそもないらしい。
レオニダスも彼女を信頼している。つまり彼女は、魔族を悪と断じていない。ただ目の前の人として、接してくれている。
「魔族でも使える宿……か」
ラスカには同胞がいる。この宿のことを、教えてあげたいと思った。
☆
翌朝、フィーネたちは食堂へ下りてきた。魔族の騎士たちも、昨日とは見違えるほど顔色が良い。
(あのベッドと部屋着のせいやろな……)
調和の魔力がしみ込んだそれらが、体の内側からじわじわと作用したのだろう。体液やリンパの流れが整い、こりや疲れが消え、体の調子が底上げされていく——そんな感覚が、ラスカにもあった。
(聖女の魔力っちゅーのは……なんでもできるんやな)
それも、誇示するためではなく、ただ客に喜んでもらいたいというだけで発揮されるのだから、たちが悪い。善人すぎて、逆に違和感があった。
(なにゆえナハト王は、このお方を悪女などと言ったんやろうか……)
フィーネのように手記を通じて作り上げたイメージではなく、実際に会って感じたセシリアは、人を欺くような悪女にはとても見えない。
もし悪女と呼ばれるだけの理由があったとすれば、それはナハト王の側にある——そういうことになる。
(これは……思ったより闇深い問題かもしれへんな。ナハト王にはセシリアのことを伝えない方がいい)
ラスカは静かに、そう心に決めた。
「皆さん、おはようございます!」
セシリアが食堂に顔を出した。いつもの笑顔だ。
「今日はバイキング形式にしてみました!」
「……ばいきんぐ?」
「好きなものを、好きなだけ取れる形式です!」
テーブルの上には、焼きたてのパン、野菜のソテー、スープ、果物——彩り豊かな料理が並んでいる。
(好きなもんを……自分で……?)
朝食とは、出されたものを食べるものだ——誰もがそう思っていた。ラスカも、フィーネも、騎士たちも。しかし目の前の光景は、その常識をやすやすと覆してしまった。
わらわらと、騎士たちが嬉しそうに料理を取り始める。フィーネもそっと、好きなものを皿に載せていく。
そのとき、セシリアが食堂の端に小さなコンロを設置した。手にしているのは小さなフライパンだ。
「……何するんですか?」
「オムレツを作ります」
「え」
「目の前で。お好みの方はどうぞ」
ラスカはじっと見ていた。
卵を割り、フライパンへ。炎の加減を調整しながら、くるくるとかき混ぜる。そしてふわりと——ぷるぷると震えるスフレ風のオムレツが完成した。
くるん、ぽんっ、と皿の上に乗る。
「おおっ……!」
騎士の一人が目を輝かせながら、熱々のオムレツを口に運んだ。
「はふ……はふ……うまいっ……!」
「ふわふわで……こんな卵料理は初めてです……!」
実演料理——目の前で作ったものを、熱々のまま食べる。そんな発想は誰も持っていなかった。
「すごい……」
フィーネがぽつりとつぶやいた。宮廷の料理人でも考えなかったことを、この女将はさらりとやってのける。
(まったく……どこまでいくんや、この人は)
ラスカはため息をつきながら、差し出されたオムレツを口に運んだ。
「…………どないなっとんねん」
何度目かの、どないなっとんねん、だった。




