33.
フィーネは自室に戻り、ソファに腰を落ち着けた。深く、ため息をつく。
(お父様が助かってよかった……でも)
父の態度はやはり気になるのだ。セシリア——勇者パーティの聖女。彼女の話題になると、途端に父は不機嫌になる。それも尋常ではない悪感情が、彼の全身からほとばしるのだ。
(どう考えても異常だわ……やはり過去に何かあったに違いない)
フィーネの手には、セシリアの手記があった。これを見つけたのは全くの偶然だった。幼い頃、庭で遊んでいたときに見つけたのだ。手記の表紙は何故か竜の皮でできていた。火に耐性を持つ竜の皮に包まれていたからこそ、焼かれずに残ったのだろう。
手記を開いて、フィーネは驚いた。書かれているのは今の自分にも、今の時代にも存在しない概念ばかり。しかもどれも共通して、読んだ者がのちに困らないようにという深い慈愛の心が、紙面ににじみ出ていた。
これほど素晴らしい手記を残した人物と、父の語る「大悪女」の姿が、どうしても重ならないのだ。
(なぜ魔王との戦いで命を落とした人物を、悪女などと噂を流したのか……やはりおかしい)
セシリア以外のパーティ全員が無事に帰還した——それも奇妙だ。亡くなった者の魂を侮辱するような真似をすること自体、倫理的におかしい。しかしナハトがそれを是とする以上、誰も止めることができない。
(この国は……歪んでいる。お父様もおかしい。セシリア様の死も……。疑問だらけなのに、なぜ誰も問いたださなかったのか)
理由はシンプルだ。ナハト王がセシリアを嫌っていたから。誰もが、頂点に立つ者の不興を買いたくはないのだろう。
(でも私は知っている。セシリア様に救われた人たちが世界各地にいると)
フィーネは父に隠れて、セシリアを知る人物たちに密かに連絡を取ってきた。彼らからの話を聞くたびに、父の行いの誤りがより鮮明に浮かび上がってきた。
(セシリア様はもうこの世にいない以上、私にできることは汚名を返上することくらいしか……ああ、セシリア様……)
「生きていてくださったなら……はあ……」
そのときだった。こんこん、と窓ガラスがノックされた。窓際へ移動すると、白いフクロウが一羽いた。
「フクロウ便……? しかも、私直通の」
この世界での手紙のやりとりにはフクロウが用いられる。目の前のフクロウは、王女へ直接届けるために特別に育てられた個体だ。
(ケンたちからね)
このフクロウを使うのは、王女お抱えのSランク冒険者パーティ、黄昏の竜の面々だ。現在、彼らにはフィーネが依頼を出していた。
(その報告ね)
フィーネはフクロウを招き入れた。フクロウはくわえていた手紙をそっと差し出す。
封を開けて内容を確かめる。
「……奈落の森で命の危機に瀕したが、助けてもらい、今は宿に泊まっている……」
一行目で心臓が止まりそうになったが、無事だとわかり、フィーネはため息をつきながらソファに深く腰を落とした。彼らは大切な友人だ。失ったら、どれほど悲しかったことか。
(無事でいてくれて本当によかった……)
無謀な依頼だとは百も承知だった。しかし父が事前調査もなく騎士たちを送り込もうとしているのを事
だからこそフィーネは先手を打ち、実力者であるケンたち黄昏の竜に調査を依頼したのだった。Sランクの彼らでさえ一筋縄ではいかないとわかっていた。しかし他に頼れる人材はなく、調査なしに騎士を向かわせることは論外だ。被害を最小限にとどめるために、断腸の思いで依頼を出したのだった。
(彼らの実力なら大丈夫だとは思っていた。でも……甘かった。もっと多くの人員を……いや、今それを考えても仕方ない)
今は過去にとらわれている時間ではなかった。
「誰かいますか?」
呼ぶと、部屋の外で待機していた侍女が入ってきた。
「出かけます。支度を」
「一体どちらへ?」
「奈落の森の近く、ホテル・リライトという宿へ」
侍女が困惑したように首をかしげた。奈落の森は魔物の跋扈する危険な地だ。人外魔境、妖精郷、七獄と並ぶ、世界四大秘境の一つとされている。
「森へ向かうのではなく、その近くにある宿へ行くのです」
「は、はあ……。し、しかし奈落の森の周辺は荒野だと聞きますが……」
(それはわかっている。でも現にケンから連絡が来たのだし)
「私が調査に向かわせたケンたちが、どうやらそこに住む方に命を救われたそうなのです。お礼をしなければなりません」
(それに、彼らの無事を直接確かめたいし、謝罪もしたい)
どこかの王座にふんぞり返っている王に、爪の垢を煎じて飲ませたいほど、しっかりとした人物だった。しかしあの親のもとでフィーネがこれほど真っ当に育ったのは、ひとえにセシリアの手記のおかげでもある。
(滅私奉公——公のために自らの心を殺し、行動する。その姿に感銘を受けたから、今の私がある)
一度も会ったことのない人物に、こうまで恩義を感じているのはそのためだった。
「し、しかし……ナハト王にはどうご説明なさるおつもりですか……?」
「父には黙って行きます」
「!? さすがにそれは……」
「言っても止められるだけです」
(下手をすれば監禁されかねない……)
父の自分への愛情は少々行きすぎたところがある。ならもう少し娘の言葉に耳を傾けてほしいものだが。父に心配をかけることへの後ろめたさがないと言えば嘘になる。バレれば叱責は免れないだろう。それでも——行く。
(大切な友人と、その友人を救ってくれた宿の女将に、謝罪をしなければ気が済まない)
本当に、あの醜悪な王の娘とは思えないほど、できた人物だった。




