32.
大臣を追い返した後——。
「お父様」
一人の美しい女性が入ってきた。ナハトと同じ金髪に碧眼、年齢は十代前半。白い肌と、わずかに吊り上がった目もと。すっと背筋を伸ばし、まっすぐこちらへと歩いてくる。
「おお、フィーネ」
フィーネと呼ばれた女性がドレスの裾を揺らしながら近づいてくる。ナハトは猫撫で声で名を呼び、立ち上がろうとした。体の節々が軋んで痛むが、彼女の前では虚勢を張りたかった。
「我が可愛いフィーネや。今日も美しいのう」
フィーネ・フォン・ゲータ・ニィガ。ナハト王の実の娘だ。
「お父様。今日はお話があって参りました」
「……そうか」
一瞬にして、ナハトの顔が曇った。話の内容がわかっているからだ。
「今すぐ、セシリア様の悪名が誤解であったと公表すべきです」
(またこれか……この子はなぜかセシリアに肩入れするのだ……)
「真実を明らかにし、誠意ある謝罪をすべきです」
「はは、フィーネや。おまえの意見はいつも正しい。そうだな、検討しておこう」
(そんなつもりはまったくないが、娘の機嫌を損ねたくない……とりあえずごまかすか)
しかし、フィーネはナハトをまっすぐに見据えた。
「お父様。もう何度目ですか、その言葉は」
怒りを滲ませながら、フィーネが近づいてくる。その圧に、ナハトは思わず後ずさりしてしまった。
「ちゃんと話し合いには出しているのだよ……フィーネ。本当だよ?」
「嘘です」
そう言って、フィーネはすぐそばまで近づき、告げた。
「前回の訴えから今日までの間、この件が国儀の議題に上がっていないことは、議事録で確認済みです」
(ぐっ……。方針を決める会議の議事録は王族なら誰でも閲覧できる決まりで……そこまで調べたとは……)
「お父様」
ずい、とフィーネが顔を近づけてくる。亡き妻に似た美しい顔だ、とのんきに思う間もない。
「なぜ自らの過ちを謝罪するという、それだけのことができないのですか?」
「か、過ちではない……! 断じて……!」
言ってしまってから、ナハトは慌てて「す、すまないフィーネ……声を荒らげてごめんよぉ……」と縮こまった。
「申し訳ないと思っているのでしたら、正式な謝罪を求めます」
「し、しかし相手はもう亡くなった者だぞ? 謝ったところで、一体誰が得をするというのだ……?」
フィーネの顔が、みるみる怒りで赤く染まっていった。
「損得の話をしているのではありません……!」
「ひっ! す、すまないすまないフィーネ! 怒らないでおくれよ……」
「ならば! セシリア様へのご謝罪を、そして国を挙げての弔いを、今すぐ実行してください!」
「わ、わかったわかった……検討するから……」
「そう言ってはいつも逃げてばかりです! お父様は卑怯者です!」
愛する娘から卑怯者と言い放たれ、精神的な打撃は大きかった。今まで気力で保っていたものが、一気に崩れていくような感覚があった。
「お父様……? どうかなさいましたか!」
「ぜえ……はあ……く、苦しい……」
フィーネはすぐに父の変化に気づいた。すかさず傍に座り、魔法を発動させる。手を差し伸べると、魔法の光が父を包んだ。しばらくして、ナハトの息苦しさが和らいでいった。
「し、信じられない……どうなっているのだ……? フィーネ、おまえは治癒魔法が使えないはずでは……?」
治癒の使い手は生まれつきのスキルによって決まり、その数は限られている。
「はい。今使ったのは風と水の魔法です。体内の血中酸素濃度を高めました」
「……それはいったい何のことだ?」
するとフィーネが懐から、一冊の手記を取り出した。血で汚れたそれに、見覚えがあった。
「それは……! セシリアが付けていた手帳! 燃やしたはずのものを、なぜおまえが……!?」
「これは、教科書です」
「教科書……だと?」
「はい。セシリア様が残した叡智が書かれておりました。最先端の医術、野営の極意、その他諸々……」
(そんなことが書かれていたのか……いや、しかしまずい。我がセシリアを殺したと書かれていたら……)
それを危惧してセシリアの持ち物はすべて処分したのだ。この手記は後年フィーネが生まれた後に見つかり、焼き捨てたはずだったのだが——フィーネがどこからか手に入れて、中を読んでいたらしかった。
「お父様、セシリア様の手記には魔法を使った治癒の術が記されておりました。私が用いたのはそれです。そして——それこそが今、貴方を救ったのです」
フィーネが用いたのは、まず風の魔法で体内に酸素を取り込むこと、次に水の魔法でそれを血液に乗せて巡らせること。この二つを組み合わせることで、体が酸素不足を起こしている状態を改善できると記されていた。
風と水の魔法は使い手が多い。つまりこれは、聖女でなくても、彼女の知恵があれば誰にでも行えることを意味していた。
なぜセシリアはそのような「知識を残す」行為をしたのか。答えは、フィーネが今示した通りだ。自分がいなくなったとしても、人を救えるように——そういった願いがこの手記には込められていたのだ。そしてフィーネはその思いを、正しく受け取っていた。
「お父様を救ったのは……いいえ、今も昔も救い続けているのは、セシリア様なのでございますよ」
「ぐっ……! 黙れ……!」
娘への愛よりも、己のプライドを優先させたナハトは、礼の言葉ひとつ口にすることなく部屋を出ていった。
「認められるか……! あいつが有能だと? あいつが我を救っていただと!? そんなこと……断じて認められるわけがない……!」




