31.
治癒師を追い出した後、ナハトは悪態をついた。
「ぜえはあ……ちくしょう……なんでだ……なぜどんな治癒師も余を治せないのだ……!」
怒りながらも、水差しに入ったワインをあおる。ナハトは水代わりに高級ワインを飲んでいた。そのつまみには高級な魚卵をむさぼり、汗をかけば奴隷に団扇を仰がせ、自分では極力動こうとしない。
現代人が見れば思わず目を疑うような光景だったが、生活習慣病という概念そのものが存在しない異世界の人間なのだ。健康に気を遣わないのも、ある意味では当然のことだった。とはいえ、概念がなくとも感覚で気づけるはずだと言われれば、それまでではあるが。
「くそ……はあ……はあ……セシリアめ……。あいつのせいだ……全部あいつが悪い……!」
三十年前に自ら手を下した、聖女の名前をつぶやく。
「あいつ……言っていたな。そんな生活を続けたら病気になるとか……」
科学の未発達な異世界人ならともかく、ナハトのそばには現代人であるセシリアがいたのだ。しかも彼女は日頃から、健康を意識するようにとナハトに繰り返し言い聞かせていた。
「あいつ……いつも野草の入った薄味のスープを出してきていたな……塩分や油を取りすぎるなとか……」
ナハトは理解していないが、セシリアは彼の生活習慣を整えようとしていたのだ。魔王討伐前に勇者が倒れては一大事だと、彼の健康を気遣った料理を作り続けていたのである。
しかし当の本人は、旅の間じゅう、そのような気遣いを馬鹿にしていた。野草しか入っていないだの、調味料をケチった貧乏人の料理だの——作ってもらっている立場でありながら、延々と文句を垂れ続けていたのだ。
結果として、セシリアがいた間は健康を保てていたのだが——。
「くそ……やはりセシリアのせいだ。あいつが余に呪いをかけていったのだ……!」
セシリアを殺した(と思っている)あの日から三十年が過ぎた。以来、体の不調が続いている。ナハトはそれを「セシリアの呪い」と解釈していた。
「ですが……ナハト王よ」
大臣が額に汗を浮かべながら言う。
「呪術師にも診ていただいたではございませぬか。呪いはかかっていないと」
「ぐっ……! だ、黙れ……! その呪術師もやぶだったのだ! この国にはまともな人材がいないのか!?」
仕方のないことだった。この国のトップがこれでは、まともな人材が育つはずもない。
「…………」
大臣の表情が曇った。暗に、自分もまともな人材ではないと思われているということだからだ。
「……やはり、セシリア様のお墓を建て、きちんとお祀りすべきでした。なぜ悪女などという噂を流されたのですか?」
大臣も、そしてナハト自身も、この不調を呪いだと思っていた。セシリアにひどい仕打ちをして、その魂を鎮めなかったせいだと——実際にはセシリアは生きており、呪いでもなく、ナハトの自業自得なのだが。
「う、うるさい、うるさい! さっさと出て行け! げほげほ……くそ……トイレ……あいたたたたた……!」
鈍重な動きで立ち上がろうとすると、体の節々が悲鳴を上げる。痛風の症状が出ているのだが、本人にはその自覚がない。
「くそ……くそぉ……健康が……健康が欲しい……」
若い頃はまったく意識しなかった。しかし年を重ねた今、ナハトは痛感していた。金で買えないものこそが、本当に必要なものなのだと。金で買えるものなどたかが知れている、努力すれば手に入るのだから。そうではないもの——健康こそが、最も得がたく、そして何より必要なものなのだと。
そこまで理解していながら、自分の健康を守り続けてくれていたのがセシリアだったとは、やはり認めようとしないナハトなのだった。




